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'''LCDサウンドシステム''' ('''LCD Soundsystem''') は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ニューヨーク]]の[[ダンス・パンク]]バンド。[[DFAレコーズ]]を主宰するジェームス・マーフィー ([[:en:James Murphy (electronic musician)|James Murphy]]) による[[一人バンド|ソロ・プロジェクト]]だが、ライブでは[[バンド (音楽)|バンド]]形式をとっている。[[2001年]]結成、[[2011年]]活動終了。
'''LCDサウンドシステム''' ('''LCD Soundsystem''') は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ニューヨーク]]の[[ダンス・パンク]]バンド。[[DFAレコーズ]]を主宰する[[ジェームス・マーフィー]](''James Murphy'')による[[一人バンド|ソロ・プロジェクト]]、ライブでは[[バンド (音楽)|バンド]]形式をとっている。[[2001年]]結成、[[2011年]]活動終了した。代表曲に「''All My Friends''」「''Losing My Edge''」「''Someone Great''」などがある<ref>{{cite web|url=http://www.stereogum.com/1344162/the-10-best-lcd-soundsystem-songs/top-stories/lead-story/|title=The 10 Best LCD Soundsystem Songs - Stereogum.|accessdate=2013-10-09}}</ref>


== 来歴 ==
== 来歴 ==
=== -2001年:DFAレコーズ ===
[[1988年]]から[[1989年]]にかけてFalling Man、[[1992年]]から[[1994年]]にかけてPony、[[1995年]]から[[1997年]]にかけてSpeedkingといったバンドで、ギターやドラムなどを演奏していたジェームス・マーフィー。彼はその後、自分のスタジオを作り生活のためにレコーディングの仕事で収入を得ていたが、David Holmesのアルバム製作中に、Unkleとして活動していたティム・ゴールズワージー (Tim Goldsworthy) と出会う。2人は意気投合しローワー・イースト・サイドのクラブでパーティーを始めるようになり、[[1999年]]プロデューサーチーム[[DFAレコーズ|The DFA]]の活動を開始する。[[2001年]]にマネージャーのジョナサン・ガルキンと出会い、同年9月、3人で[[DFAレコーズ]]を設立した。同年、DFAは[[レディオ4]]の「Dance to the Underground」を手がけ広く知られるようになるが、その最中ジェームスは自身のプロジェクトとしてLCDサウンドシステムを立ち上げた。
[[1988年]]から[[1989年]]にかけてFalling Man、[[1992年]]から[[1994年]]にかけてPony、[[1995年]]から[[1997年]]にかけてSpeedkingといったバンドで、ギターやドラムなどを演奏していた[[ジェームス・マーフィー]]。彼は[[スティーヴ・アルビニ]](''Steve Albini'')やボブ・ウェストン(''Bob Weston'')の下で[[レコーディング・エンジニア|エンジニア]]として修業していた経験があり、バンド活動を辞めて自分のスタジオを作りレコーディングの仕事で生計をたてるようになる<ref>{{cite web|url=http://www.nytimes.com/2007/03/20/arts/20iht-discopunk.4968796.html?_r=0|title=James Murphy, LCD Soundsystem's mastermind, hits hard with his new album - The New York Times.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。[[1990年代]]後半、ジェームスは傾倒していた[[パンク・ロック|パンク]]や[[ポスト・パンク]]などのインディーミュージックを含め、アメリカの音楽シーン全体がとてもつまらないものになってしまったと感じており、情熱を傾ける理由が見つからず音楽を作ることを止めてしまっていた<ref name=cs>Cookie Scene vol.41, 2005, P24-P29.</ref>。そんな最中ジェームスがエンジニアとして参加していたデヴィッド・ホルムス(''David Holmes'')のアルバム製作中に、Unkleとして活動していたティム・ゴールズワージー(''Tim Goldsworthy'')と出会う。2人は[[1980年代]]にパンクに傾倒するという同じバックボーンを持っていたが、90年代に入るとジェームスは[[アメリカ]]でパンクシーンのドラマー・エンジニアをしており、一方のティムは[[ロンドン]]で[[ヒップホップ]][[レコードレーベル|レーベル]]の[[音楽プロデューサー|ビートプログラマー]]として活躍するという全く違う道を歩んでいた<ref name=s035>Snoozer #035, 2003, P102-P107.</ref>。2人はこの違いがなぜ生まれたのかを話しているうちに、アメリカとイギリスで音楽シーンに違いが生まれた理由や、現在のような音楽シーンの状況になってしまった理由について考えるようになる。2人はその理由をかつて同じだったはずの[[ロック (音楽)|ロック]]と[[エレクトロニック・ダンス・ミュージック|ダンスミュージック]]が分かれてしまったことにあると考え、2つがクロスしていたのはどこなのか音楽の探求を始めた<ref name=s035></ref>。すっかり意気投合した2人はロックとダンスミュージックが再びクロスすることを夢見て、ローワー・イースト・サイドのクラブでパーティーを始めるようになり、[[1999年]]プロデューサーチーム[[DFAレコーズ|The DFA]]の活動を開始する。[[2001年]]にはマネージャーのジョナサン・ガルキンと出会い、同年9月、3人で[[DFAレコーズ]](''DFA Records'')を立ち上げた<ref>{{cite web|url=http://jp.residentadvisor.net/feature.aspx?1458|title=Behind the scenes at DFA, RA.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。


=== 2001年-2003年:ルージング・マイ・エッジ ===
[[2002年]]7月、バンドは12インチシングル「Losing My Edge」でデビューする。同時期にDFAからリリースされた[[ザ・ラプチャー]]の「House of Jealous Lovers」と共にヒットし、[[DFAレコーズ]]の評価は決定的なものになった。つづいて2002年12月、2ndシングル「Give It Up」をリリース。バンドは勢いに乗りたいところだったが、ジェームスはDFAとしての仕事に追われ自分のプロジェクトどころではなくなっていた。プロデュースにリミックスワーク、ワールドワイドになっていくレーベル業の激務の最中、[[2003年]]9月には3rdシングル「Yeah」のリリースもあったが、[[2004年]]明けに小さなアクシデントが起こる。拠点にしていた[[ニューヨーク]]のDFAスタジオの暖房が壊れたために仕事ができなくなり、2か月ほど休暇が取れることになったのだ。ジェームズはマサチューセッツの納屋を借りてアルバムを製作、アクシデントをチャンスに変えた。[[2005年]]1月、初のスタジオアルバム『LCD Soundsystem』(2枚組)をリリース。最初のシングルヒットから2年半後のリリースだった。このアルバムは世界中のライヴ・ハウスやダンス・フロアを沸かし大ヒット。アルバムと収録曲「Daft Punk Is Playing at My House」は[[グラミー賞]]にノミネートされた。<ref>http://www.emimusic.jp/intl/lcd/</ref>
[[2001年]]、DFAは[[レディオ4]]の「''Dance to the Underground''」を手がけ広く知られるようになる。それまで音楽的な成功と縁がなかったジェームスだったが、DFAのプロデュース業とDJによって脚光を浴びるようになっていた<ref name=s035></ref>。しかし彼が推してきた音楽は[[エレクトロクラッシュ]]や[[ポストパンク・リバイバル]]といったムーブメントにあっという間にのみ込まれてしまい、ジェームスは流行りもの専門のDJとして燃え尽きてしまうことを覚悟する<ref name=su>documentary film, Shut Up and Play the Hits, 2012.</ref>。やっと成功しはじめた小さな夢が終わってしまうと悟ったジェームスは、突然大勢の一人になってしまった’’負け犬でいること’’を歌った曲「''Losing My Edge''」を製作する<ref name=s035></ref>。[[2002年]]7月、LCDサウンドシステムの名の下12インチシングル「''Losing My Edge''」が発売される。すべての楽器をジェームス自身でプレイしたこのデビューシングルはDFAの推し進めてきたダンスとパンクのクロスオーバーが見事に成熟しており、同時期にDFAからリリースされた[[ザ・ラプチャー]]の「''House of Jealous Lovers''」と共に[[ダンス・パンク]]ムーブメントの火付け役、[[ポストパンク・リバイバル]]を後押しする存在として決定的な評価を受けた<ref name=s035></ref>。「''Losing My Edge''」は[[音楽メディア]]が発表する[[2000年代]]10年間のベストソングのリストにて[[Resident Advisor]]で7位、[[ピッチフォーク・メディア|ピッチフォーク]]で13位、[[ニュー・ミュージカル・エクスプレス|NME]]で29位、[[ローリング・ストーン]]で37位に選ばれている
<ref>{{cite web|url=http://www.residentadvisor.net/feature.aspx?1145|title=RA Poll: Top 100 tracks of the '00s.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://pitchfork.com/features/staff-lists/7693-the-top-500-tracks-of-the-2000s-20-1/|title=Staff Lists: The Top 500 Tracks of the 2000s: 20-1, Features, Pitchfork.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://www.nme.com/list/100-best-tracks-of-the-00s/269740/page/8|title=100 Best Tracks of the 00s, NME.COM.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://www.rollingstone.com/music/lists/100-best-songs-of-the-aughts-20110617/lcd-soundsystem-losing-my-edge-20110616|title=100 Best Songs of the 2000s: LCD Soundsystem, 'Losing My Edge', Rolling Stone.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。
2002年12月、2ndシングル「''Give It Up''」をリリース。バンドは勢いに乗りたいところだったが、ジェームスはDFAとしての仕事に追われ自分のプロジェクトどころではなくなっていた。プロデュースにリミックスワーク、ワールドワイドになっていくレーベル業の激務の最中、[[2003年]]9月には3rdシングル「''Yeah''」をリリースする。


=== 2004年-2006年: LCDサウンドシステム ===
[[2007年]]、2ndアルバム『Sound of Silver』をリリース。各音楽メディアやアーティストから大称賛を浴び、前作に引き続きグラミー賞にノミネートされる。この作品は[[2000年代|00年代]]のベストアルバムのひとつに数えられ、各音楽メディアが発表した00年代ベストアルバムのリストにて、[[ニュー・ミュージカル・エクスプレス|NME]]で11位、[[ローリング・ストーン]]で12位、[[ピッチフォーク・メディア|ピッチフォーク]]で17位となっている。また、収録曲「All My Friends」はピッチフォークが発表した00年代ベストソングのリストで2位となっている。
[[2004年]]1月、拠点にしていた[[ニューヨーク]]のDFAスタジオの暖房が壊れたために仕事ができなくなり、2か月ほど休暇が取れることになったジェームスはアルバムの製作を開始する。ニューヨークではビジネスのことで忙しくアルバムを作れる環境ではなかったため、車で6時間ほどの[[マサチューセッツ]]にあるLongview Farms Studioを借り、電話もインターネットも繋がらない田舎で3週間を掛けアルバムを製作した<ref name=cs></ref>。同年11月、[[エレクトラグライド]]で日本初ライブを行なう。


[[2005年]]1月、初のスタジオアルバム『''LCD Soundsystem''』(2枚組)をリリース。アルバムの1枚目には新曲を収録、2枚目にはそれまでリリースした3枚のシングルが収録された。最初のシングルヒットから2年半後のリリースだったが、アルバムは世界中のライヴ・ハウスやダンス・フロアを沸かした<ref name=umj>{{cite web|url=http://www.universal-music.co.jp/lcd-soundsystem/biography/|title=BIOGRAPHY - LCDサウンドシステム - UNIVERSAL MUSIC JAPAN.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。このアルバムから「''Movement''」「''Daft Punk Is Playing at My House''」「''Disco Infiltrator''」「''Tribulations''」の4曲がシングルカットされたが、特に「''Daft Punk Is Playing at My House''」は[[全英シングルチャート]]で29位と健闘した<ref name=uk>{{cite web|url=http://www.officialcharts.com/artist/_/lcd%20soundsystem/|title=LCD SOUNDSYSTEM, Artist, Official Charts.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。アルバム『''LCD Soundsystem''』と収録曲「''Daft Punk Is Playing at My House''」は[[第48回グラミー賞]]の最優秀エレクトリック/ダンス・アルバム賞と最優秀ダンス・レコーディング賞にノミネートされた<ref name=umj></ref>。アルバムは音楽メディアが発表する2000年代のベストアルバムのリストにてResident Advisorで5位、ピッチフォークで113位に選ばれている
[[2010年]]、約3年ぶりのスタジオアルバム『This Is Happening』をリリース。[[ビルボード]]のアルバムチャートトップ10に送り込む。ジェームスはこのアルバムを最後にLCDサウンドシステムとしての活動を終了すると発言し、最後のツアーを開始する。
<ref name=ra>{{cite web|url=http://www.residentadvisor.net/feature.aspx?1144|title=RA Poll: Top 100 albums of the '00s.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://pitchfork.com/features/staff-lists/7707-the-top-200-albums-of-the-2000s-150-101/4/|title=Staff Lists: The Top 200 Albums of the 2000s: 150-101, Features, Pitchfork.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。また「''Daft Punk Is Playing at My House''」はローリング・ストーンが発表した2000年代のベストソングのリストで78位に選ばれた<ref>{{cite web|url=http://www.rollingstone.com/music/lists/100-best-songs-of-the-aughts-20110617|title=100 Best Songs of the 2000s, Rolling Stone.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。
同年2月、東名阪で単独ライブを行なう。


[[2006年]]10月、コンピレーションアルバム『45:33』をリリースする。このアルバムは[[ナイキ]]と[[iTunes]]のプロモーションの為に作られたアルバムで、ランナーのトレーニング用に45分33秒の収録時間となっている<ref name=side>{{cite web|url=http://www.side-line.com/news_comments.php?id=25904_0_2_0_C|title=LCD Soundsystem records track for Nike - LCD Soundsystem news at SIDE-LINE.COM.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。また、アルバムタイトルの『45:33』は[[ジョン・ケージ]]の「[[4分33秒|4:33]]」のオマージュとなっている<ref name=side></ref>。
[[2011年]]4月2日、[[マディソン・スクエア・ガーデン]]でラストライブを行い、10年の活動に幕を閉じた。


=== 2006年-2009年:サウンド・オブ・シルヴァー ===
[[2012年]]、ラストライブとその裏側を撮影したドキュメンタリー映画『[[:en:Shut Up and Play the Hits|Shut Up and Play the Hits]]』を発表。夏にアメリカで公開される。
[[2006年]]、ジェームスはLongview Farms Studioでアルバムの製作を開始する。スタジオは壁などをシルバー一色に装飾して、環境から影響を受ける状態にしていたという<ref name=ro>Rockin'on 6, 2010, P88-P91.</ref>。また、[[マスタリング]]はイギリスの[[アビー・ロード・スタジオ]]で行なわれた<ref>{{cite web|url=http://www.discogs.com/LCD-Soundsystem-Sound-Of-Silver/release/924293|title=LCD Soundsystem - Sound Of Silver (CD, Album) at Discogs.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。


[[2007年]]3月、2ndアルバム『''Sound of Silver''』をリリース。[[全英アルバムチャート]]で28位を記録する<ref name=uk></ref>。このアルバムではポスト・パンクに飽き足らず[[デヴィッド・ボウイ]]や[[クラウトロック]]など多様な音楽から参照点を見つけ出し、自身で築き上げたダンス・パンクをさらに上の次元に引き上げ高い評価を受けた<ref>{{cite web|url=http://pitchfork.com/reviews/albums/10017-sound-of-silver/|title=LCD Soundsystem: Sound of Silver, Album Reviews, Pitchfork.|accessdate=2013-10-09}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.allmusic.com/album/sound-of-silver-mw0000478740|title=Sound of Silver - LCD Soundsystem, Songs, Reviews, Credits, Awards, AllMusic.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。このアルバムからは「''North American Scum''」「''All My Friends''」「''Someone Great''」「''Time To Get Away''」の4曲がシングルカットされた。「''All My Friends''」についてジェームスは「自分の友達について曲を書き続けたとしてもあれ以上の曲は作れないと思う」と述べている<ref name=ro></ref>。アルバム『''Sound of Silver''』は[[第50回グラミー賞]]の最優秀エレクトリック/ダンス・アルバム賞にノミネートされた<ref name=umj></ref>。
日本には2004年の[[エレクトラグライド]]で初来日。2005年に単独公演、2007年の[[サマーソニック]]、2010年の[[フジロックフェスティバル]]に出演した。
音楽メディアが発表したこの年のベストアルバムのリストではUncut、Drowned In Sound、[[ガーディアン]]で1位、ピッチフォークで2位、A.V. Clubで4位、Resident Advisorで5位、ローリング・ストーンで7位、NMEで11位に選ばれた
<ref>{{cite web|url=http://drownedinsound.com/in_depth/2673307-diss-albums-of-2007--5-1-and-full-top-50|title=DiS's albums of 2007: 5-1 (and full top 50) / In Depth // Drowned In Sound.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://www.idolator.com/328617/uncut-sings-the-praises-of-emsound-of-silverem|title=“Uncut” Sings The Praises Of.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://www.theguardian.com/music/2007/dec/07/4|title=2007's best albums, Music, The Guardian.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://pitchfork.com/features/staff-lists/6753-top-50-albums-of-2007/|title=Staff Lists: Top 50 Albums of 2007, Features, Pitchfork.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://www.avclub.com/articles/the-best-music-of-2007,2104/|title=The best music of 2007, Music, The A.V. Club.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://www.residentadvisor.net/feature.aspx?866|title=RA Poll: Top 10 albums of 2007.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://www.albumoftheyear.org/list/31-rolling-stones-top-50-albums-of-2007.php|title=Rolling Stone's Top 50 Albums of 2007.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://www.albumoftheyear.org/list/198-nmes-50-best-albums-of-2007.php|title=http://www.albumoftheyear.org/list/198-nmes-50-best-albums-of-2007.php.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。
またこの年のベストソングのリストでは「''All My Friends''」がピッチフォーク、ガーディアンで1位、[[タイム (雑誌)|タイム]]で4位、ローリング・ストーンで20位に選ばれた
<ref>{{cite web|url=http://pitchfork.com/features/staff-lists/6752-top-100-tracks-of-2007/10/|title=Staff Lists: Top 100 Tracks of 2007, Features, Pitchfork.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://www.theguardian.com/music/musicblog/2007/dec/19/thegumusicreaderspoll2007|title=The GU Music Readers' Poll 2007 results, Music, theguardian.com.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://content.time.com/time/specials/2007/article/0,28804,1686204_1686244_1690626,00.html|title=Top 10 Songs - Top 10 Everything of 2007 - TIME.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://www.popcrunch.com/rolling-stone-magazine-the-100-best-songs-of-2007/|title=Rolling Stone Magazine The 100 Best Songs Of 2007.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。
さらに後年、音楽メディアが発表した2000年代のベストアルバムのリストではNMEで11位、ローリング・ストーンで12位、ピッチフォークで17位、Resident Advisorで23位に選ばれている<ref name=aoty>{{cite web|url=http://www.albumoftheyear.org/album/410-lcd-soundsystem-sound-of-silver.php|title=LCD Soundsystem - Sound of Silver - Reviews & Ratings.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref name=ra></ref>。
また2000年代のベストソングのリストでは「''All My Friends''」がピッチフォークで2位、ローリング・ストーンで41位に選ばれている
<ref>{{cite web|url=http://pitchfork.com/features/staff-lists/7693-the-top-500-tracks-of-the-2000s-20-1/2/|title=Staff Lists: The Top 500 Tracks of the 2000s: 20-1, Features, Pitchfork.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://www.stereogum.com/105081/rolling_stones_100_best_albums_songs_of_the_00s/list/|title=Rolling Stone’s 100 Best Albums, Songs Of The ’00s - Stereogum.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。
また同じく「''Someone Great''」がピッチフォークで22位、Resident Advisorで41位に選ばれている
<ref>{{cite web|url=http://pitchfork.com/features/staff-lists/7692-the-top-500-tracks-of-the-2000s-50-21/3/|title=Staff Lists: The Top 500 Tracks of the 2000s: 50-21, Features, Pitchfork.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://www.residentadvisor.net/feature.aspx?1145|title=RA Poll: Top 100 tracks of the '00s.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。
同年8月、[[サマーソニック]]に出演のため来日。

[[2008年]]8月、シングル「''Big Ideas''」をリリースする。この曲は映画『[[ラスベガスをぶっつぶせ]]』のサウンドトラックとして書き下ろされたもので、映画のサウンドトラックアルバムにも収録された。この曲をローリング・ストーンは2008年のベストソングの63位に選んでいる<ref>{{cite web|url=http://www.rollingstone.com/news/story/24947047/the_100_best_singles_of_2008/16|title=Rolling Stone.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。

=== 2009年-:ディス・イズ・ハプニング、活動終了 ===
[[2009年]]夏、ジェームスは[[ロサンゼルス]]にある[[リック・ルービン]]が所有するスタジオThe Mansionでアルバムの制作を開始する<ref>{{cite web|url=http://www.factmag.com/2009/09/01/james-murphy-reveals-details-of-new-lcd-soundystem-album/|title=James Murphy reveals details of new LCD Soundystem album – FACT Magazine.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。このスタジオはベッドルームが10部屋あるプール付きの豪邸で、アルバム製作の環境を重要視するジェームスはレコーディング中に白い服のみ着用する決まりをつくりレコーディングに臨んだ<ref name=ro></ref>。同年11月、Record Store Dayのキャンペーンで[[スーサイド]](''Suicide'')のアラン・ベガ(''Alan Vega'')が1980年に発表した曲のカバーシングル「''Bye Bye Bayou''」をリリースする<ref>{{cite web|url=http://www.zmemusic.com/other-genres/electronic-music/download-lcd-soundsystem-bye-bye-bayou-alan-vega-cover/|title=Download: LCD Soundsystem - 'Bye Bye Bayou' (Alan Vega cover).|accessdate=2013-10-09}}</ref>。

[[2010年]]、アルバムの発売を前にジェームスはこのアルバムを最後に活動を終了すると発言するようになる<ref name=ro></ref>。ジェームスはLCDサウンドシステムについて、好きで始めたことだがだんだん自分の人生を支配するようになってきたと感じでいた。40歳を目前に控え、レコーディングとツアーで忙しい日々を終わらせ、もっと他の事に挑戦しようと決意を固めていたのだ<ref name=ro></ref>。ただ、この時点ではラストライブなど具体的な解散時期には触れていなかったため、またアルバムを作りツアーを始めるだろうと予想する声も多かった<ref name=s079>Snoozer #079, 2010, P62-P65.</ref>。2010年5月、3rdアルバム『''This Is Happening''』をリリースする。アルバムは[[Billboard 200|全米アルバムチャート]]で10位、[[全英アルバムチャート]]で7位を記録する<ref>{{cite web|url=http://www.allmusic.com/artist/lcd-soundsystem-mn0000780005|title=LCD Soundsystem, Music Biography, Credits and Discography, AllMusic.|accessdate=2013-10-09}}</ref><ref name=uk></ref>。このアルバムからは「''Drunk Girls''」「''Pow Pow''」「''I Can Change''」の3曲がシングルカットされた。「''Drunk Girls''」の[[ミュージックビデオ]]は[[スパイク・ジョーンズ]](''Spike Jonze'')が監督を務め、[[ジャッカス]]を彷彿とさせる演出で話題をよんだ<ref>{{cite web|url=http://pitchfork.com/features/staff-lists/8729-the-top-music-videos-of-2010/3/|title=Staff Lists: The Top Music Videos of 2010, Features, Pitchfork.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。音楽メディアが発表したこの年のベストアルバムのリストではPaste、No Ripcordで1位、ピッチフォークで2位、[[タイム (雑誌)|タイム]]で3位、[[スピン (雑誌)|SPIN]]、NME、A.V. Clubで4位、musicOMH、PopMattersで6位、Uncut、Drowned in Soundで9位、ローリング・ストーンで10位に選ばれた<ref>{{cite web|url=http://www.albumoftheyear.org/album/1526-lcd-soundsystem-this-is-happening.php|title=LCD Soundsystem - This Is Happening - Reviews & Ratings.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。
この年のベストソングのリストでは「''I Can Change''」がピッチフォークで3位、ローリング・ストーンで17位、NMEで23位に選ばれた
<ref>{{cite web|url=http://tacim.blogspot.jp/2010/12/pitchfork-top-100-tracks-of-2010.html|title=8/1: Pitchfork, The Top 100 Tracks of 2010.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://www.stereogum.com/594582/rolling-stones-top-30-albums-top-50-singles-of-2010/top-stories/lead-story/|title=Rolling Stone‘s Top 30 Albums & Top 50 Singles Of 2010 - Stereogum.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://www.rocklistmusic.co.uk/2010.htm|title=Rocklist.net....NME End Of Year Lists 2010.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。
また、ピッチフォークが「''All I Want''」を17位に、NMEが「''Drunk Girls''」を13位に選んだ
<ref>{{cite web|url=http://tacim.blogspot.jp/2010/12/pitchfork-top-100-tracks-of-2010.html|title=8/1: Pitchfork, The Top 100 Tracks of 2010.|accessdate=2013-10-09}}</ref>
<ref>{{cite web|url=http://www.rocklistmusic.co.uk/2010.htm|title=Rocklist.net....NME End Of Year Lists 2010.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。この年はたくさんのフェスティバルに参加し、[[コーチェラ・フェスティバル|コーチェラ]]のサブ[[ヘッドライナー]]や[[レディング・フェスティバル|レディング&リーズ]]のセカンドステージのヘッドライナーを務めたほか、[[グラストンベリー・フェスティバル|グラストンベリー]]、[[ボナルー・フェスティバル|ボナルー]]、 [[ワイヤレス・フェスティバル|ワイヤレス]]、[[ビッグ・デイ・アウト]]、[[ピッチフォーク・メディア|ピッチフォーク・フェスティバル]]などに出演した。7月には[[フジロックフェスティバル|フジロック]]で日本で最後のライブを行なっている。

[[2011年]][[2月8日]]、LCDサウンドシステムは[[4月2日]]に[[マディソン・スクエア・ガーデン]]でラストライブを行うことを[[ウェブサイト]]で発表した。チケットは即完売でプレミア化し当時のレートで12万円ほどで転売されるなど問題となったため、3月末にニューヨークのTerminal 5で4日間の追加公演を行なった<ref>{{cite web|url=http://www.avclub.com/articles/no-one-got-tickets-to-lcd-soundsystems-farewell-sh,51720/|title=No one got tickets to LCD Soundsystem's farewell show and now everyone is pissed, Music, Newswire, The A.V. Club.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。4月2日、マディソン・スクエア・ガーデンのラストライブはピッチフォークがウェブで生中継を放送した。オープニングアクトとして[[リキッド・リキッド]]が再結成して出演し、本編では[[アーケイド・ファイア]](''Arcade Fire'')やレジー・ワッツ(''Reggie Watts'')がゲスト参加するなど特別なライブとなった。3時間半に及んだライブは「''New York, I Love You But You're Bringing Me Down''」でエンディングを迎え10年の活動に幕を閉じた<ref>{{cite web|url=http://pitchfork.com/news/42099-photos-lcd-soundsystems-final-show/|title=Photos: LCD Soundsystem's Final Show, News, Pitchfork.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。

[[2012年]]1月、ラストライブとその裏側を撮影したドキュメンタリー映画『''Shut Up and Play the Hits''』がサンダンス映画祭で上映され、夏にアメリカなど世界各国で公開された。10月には映画とライブ映像を収録した3枚組のブルーレイ・DVDで発売された。

== 評価と影響 ==
LCDサウンドシステムに対する評価はキャリア前半の[[ダンス・パンク]]への貢献と、後半の音楽的成熟についての2点が挙げられる。ジェームスは1990年代後半という早い時期からダンスと[[パンク・ロック|パンク]]の融合を試みており、[[エレクトロクラッシュ]]が飽和状態の中でも「''Losing My Edge''」のような独自性のある完成度を持った曲をリリースすることが可能だった<ref name=su></ref><ref name=s035></ref>。「''Losing My Edge''」の登場によりダンス・パンクムーブメントが世界的になることで[[ポストパンク・リバイバル]]の発展にも貢献し、後の[[ニューレイヴ]]ムーブメントにまで影響を与えることができた<ref name=s078>Snoozer #078, 2010, P116-P119.</ref>。しかしながらキャリア前半のダンス・パンクサウンドはパンク特有の比較的簡単に再現できるものであったため、2000年代中盤には似たようなバンドで溢れかえる状態になってしまっていた<ref name=s078></ref>。そんな中リリースした2ndアルバム『''Sound of Silver''』はそれまでの[[ポストパンク]]期のダンサブルなサウンドを現代に蘇らせることから、多種多様な音楽との参照点を見つけ出しそれらを内包するサウンドを作りあげることにシフトする<ref>{{cite web|url=http://pitchfork.com/reviews/albums/10017-sound-of-silver/|title=LCD Soundsystem: Sound of Silver, Album Reviews, Pitchfork.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。そうして完成したダンス・パンクの枠を抜け出したLCDサウンドシステム独自の音楽性と方法論は、2000年代末のインディーミュージックの爆発にまで繋がっていった<ref>{{cite web|url=http://pitchfork.com/features/articles/7947-you-were-there-the-complete-lcd-soundsystem/|title=Articles: You Were There: The Complete LCD Soundsystem, Features, Pitchfork.|accessdate=2013-10-09}}</ref>。


== バンド・メンバー ==
== バンド・メンバー ==
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*James Murphy - [[ボーカル]]、楽器全般
*James Murphy - [[ボーカル]]、楽器全般
以下6人はほとんどのライブに参加しているレギュラーメンバー
以下6人はほとんどのライブに参加しているレギュラーメンバー
*Nancy Whang - [[キーボード (楽器)|キーボード]]、[[シンセサイザー]][[ザ・フアン・マクリーン|The Juan Maclean]]のメンバー
*Nancy Whang - [[キーボード (楽器)|キーボード]]、[[シンセサイザー]] ([[ザ・フアン・マクリーン|The Juan Maclean]]のメンバー)
*Pat Mahoney - [[ドラムセット|ドラム]]
*Pat Mahoney - [[ドラムセット|ドラム]]
*Tyler Pope - [[ベース (弦楽器)|ベース]][[!!!]]および[[:en:Out Hud|Out Hud]]のメンバー
*Tyler Pope - [[ベース (弦楽器)|ベース]] ([[!!!]]Out Hudのメンバー)
*David Scott Stone - [[ギター]]
*David Scott Stone - [[ギター]]
*Matt Thornley - [[パーカッション]]、ベース、ギター (DFA Studio, The Crystal Ark)
*Matt Thornley - [[パーカッション]]、ベース、ギター (The Crystal Arkのメンバー)
*Gavin Russom - シンセサイザー、パーカッション (Black Meteoric Star, The Crystal Ark)
*Gavin Russom - シンセサイザー、パーカッション (Black Meteoric StarThe Crystal Arkのメンバー)
以下は時折ライブに参加することのあるメンバー
以下は時折ライブに参加することのあるメンバー
*Al Doyle - ギター、パーカッション、シンセサイザー、ベース[[ホット・チップ|Hot Chip]]のメンバー
*Al Doyle - ギター、パーカッション、シンセサイザー、ベース ([[ホット・チップ|Hot Chip]]のメンバー)
*Phil Skarich - ベース
*Phil Skarich - ベース
*Phil Mossman - ギター、パーカッション
*Phil Mossman - ギター、パーカッション
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== ディスコグラフィ ==
== ディスコグラフィ ==
=== スタジオアルバム ===
=== スタジオアルバム ===
*LCDサウンドシステム - LCD Soundsystem ([[2005年]][[1月24日]]、[[DFAレコーズ]])
*LCD Soundsystem(2005年)
*サウンド・オブ・シルヴァー - Sound of Silver ([[2007年]][[3月12日]]、DFAレコーズ)
*Sound of Silver(2007年)
*ディス・イズ・ハプニング - This Is Happening ([[2010年]][[5月17日]]、DFAレコーズ)
*This Is Happening(2010年)


=== コンピレーションアルバム・EP ===
=== EPなど ===
*45:33 ([[2006年]][[10月17日]]、DFAレコーズ)
*Introns remix album(2006年)
*A Bunch of Stuff EP ([[2007年]][[9月18日]]、DFAレコーズ)
*45:33 Nike+ Original Run(2006年)
*Confuse the Marketplace ([[2007年]][[12月10日]]、DFAレコーズ)
*A Bunch of Stuff EP(2007年)

*Confuse the Marketplace(2007年)
=== リミックスアルバム ===
*45:33 Remixes(2009年)
*Introns ([[2006年]][[3月14日]]、DFAレコーズ)
*The London Sessions(2010年)
*45:33 Remixes ([[2009年]][[9月14日]]、DFAレコーズ)

=== ライブアルバム ===
*The London Sessions ([[2010年]][[11月8日]]、DFAレコーズ)

=== シングル ===
*Losing My Edge ([[2002年]][[7月8日]])
*Give It Up (2002年12月)
*Yeah ([[2004年]][[1月12日]])
*Movement (2004年[[11月8日]])
*Daft Punk Is Playing at My House ([[2005年]][[2月21日]])
*Disco Infiltrator (2005年[[6月6日]])
*Tribulations (2005年[[9月27日]])
*North American Scum ([[2007年]][[2月26日]])
*All My Friends (2007年[[5月28日]])
*Poupée de cire, poupée de son / No Love Lost (2007年9月) <small>Arcade Fireとのスプリットシングル</small>
*Someone Great (2007年[[8月22日]])
*Time To Get Away ([[2008年]])
*Big Ideas (2008年[[8月11日]])
*Bye Bye Bayou ([[2009年]][[11月7日]])
*Drunk Girls ([[2010年]]4月)
*Pow Pow (2010年[[4月17日]])
*I Can Change (2010年7月)
*Throw (2010年10月)


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.lcdsoundsystem.com/ 公式ウェブサイト]
* [http://www.lcdsoundsystem.com/ 公式ウェブサイト]

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2013年10月12日 (土) 06:36時点における版

LCDサウンドシステム
LCD Soundsystem
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州
ジャンル ダンス・パンク
インディー・ロック
ポストパンク・リバイバル
ダンス
ハウス
活動期間 2001年 - 2011年
レーベル DFAレコーズ
共同作業者 !!!ホット・チップ、Out Hud、ザ・フアン・マクリーン
公式サイト lcdsoundsystem.com
メンバー James Murphy
Nancy Whang
Pat Mahoney
Tyler Pope
David Scott Stone
Matt Thornley
Gavin Russom

LCDサウンドシステム (LCD Soundsystem) は、アメリカニューヨークダンス・パンクバンド。DFAレコーズを主宰するジェームス・マーフィー(James Murphy)によるソロ・プロジェクトで、ライブではバンド形式をとっている。2001年に結成、2011年に活動を終了した。代表曲に「All My Friends」「Losing My Edge」「Someone Great」などがある[1]

来歴

-2001年:DFAレコーズ

1988年から1989年にかけてFalling Man、1992年から1994年にかけてPony、1995年から1997年にかけてSpeedkingといったバンドで、ギターやドラムなどを演奏していたジェームス・マーフィー。彼はスティーヴ・アルビニ(Steve Albini)やボブ・ウェストン(Bob Weston)の下でエンジニアとして修業していた経験があり、バンド活動を辞めて自分のスタジオを作りレコーディングの仕事で生計をたてるようになる[2]1990年代後半、ジェームスは傾倒していたパンクポスト・パンクなどのインディーミュージックを含め、アメリカの音楽シーン全体がとてもつまらないものになってしまったと感じており、情熱を傾ける理由が見つからず音楽を作ることを止めてしまっていた[3]。そんな最中ジェームスがエンジニアとして参加していたデヴィッド・ホルムス(David Holmes)のアルバム製作中に、Unkleとして活動していたティム・ゴールズワージー(Tim Goldsworthy)と出会う。2人は1980年代にパンクに傾倒するという同じバックボーンを持っていたが、90年代に入るとジェームスはアメリカでパンクシーンのドラマー・エンジニアをしており、一方のティムはロンドンヒップホップレーベルビートプログラマーとして活躍するという全く違う道を歩んでいた[4]。2人はこの違いがなぜ生まれたのかを話しているうちに、アメリカとイギリスで音楽シーンに違いが生まれた理由や、現在のような音楽シーンの状況になってしまった理由について考えるようになる。2人はその理由をかつて同じだったはずのロックダンスミュージックが分かれてしまったことにあると考え、2つがクロスしていたのはどこなのか音楽の探求を始めた[4]。すっかり意気投合した2人はロックとダンスミュージックが再びクロスすることを夢見て、ローワー・イースト・サイドのクラブでパーティーを始めるようになり、1999年プロデューサーチームThe DFAの活動を開始する。2001年にはマネージャーのジョナサン・ガルキンと出会い、同年9月、3人でDFAレコーズ(DFA Records)を立ち上げた[5]

2001年-2003年:ルージング・マイ・エッジ

2001年、DFAはレディオ4の「Dance to the Underground」を手がけ広く知られるようになる。それまで音楽的な成功と縁がなかったジェームスだったが、DFAのプロデュース業とDJによって脚光を浴びるようになっていた[4]。しかし彼が推してきた音楽はエレクトロクラッシュポストパンク・リバイバルといったムーブメントにあっという間にのみ込まれてしまい、ジェームスは流行りもの専門のDJとして燃え尽きてしまうことを覚悟する[6]。やっと成功しはじめた小さな夢が終わってしまうと悟ったジェームスは、突然大勢の一人になってしまった’’負け犬でいること’’を歌った曲「Losing My Edge」を製作する[4]2002年7月、LCDサウンドシステムの名の下12インチシングル「Losing My Edge」が発売される。すべての楽器をジェームス自身でプレイしたこのデビューシングルはDFAの推し進めてきたダンスとパンクのクロスオーバーが見事に成熟しており、同時期にDFAからリリースされたザ・ラプチャーの「House of Jealous Lovers」と共にダンス・パンクムーブメントの火付け役、ポストパンク・リバイバルを後押しする存在として決定的な評価を受けた[4]。「Losing My Edge」は音楽メディアが発表する2000年代10年間のベストソングのリストにてResident Advisorで7位、ピッチフォークで13位、NMEで29位、ローリング・ストーンで37位に選ばれている [7] [8] [9] [10]。 2002年12月、2ndシングル「Give It Up」をリリース。バンドは勢いに乗りたいところだったが、ジェームスはDFAとしての仕事に追われ自分のプロジェクトどころではなくなっていた。プロデュースにリミックスワーク、ワールドワイドになっていくレーベル業の激務の最中、2003年9月には3rdシングル「Yeah」をリリースする。

2004年-2006年: LCDサウンドシステム

2004年1月、拠点にしていたニューヨークのDFAスタジオの暖房が壊れたために仕事ができなくなり、2か月ほど休暇が取れることになったジェームスはアルバムの製作を開始する。ニューヨークではビジネスのことで忙しくアルバムを作れる環境ではなかったため、車で6時間ほどのマサチューセッツにあるLongview Farms Studioを借り、電話もインターネットも繋がらない田舎で3週間を掛けアルバムを製作した[3]。同年11月、エレクトラグライドで日本初ライブを行なう。

2005年1月、初のスタジオアルバム『LCD Soundsystem』(2枚組)をリリース。アルバムの1枚目には新曲を収録、2枚目にはそれまでリリースした3枚のシングルが収録された。最初のシングルヒットから2年半後のリリースだったが、アルバムは世界中のライヴ・ハウスやダンス・フロアを沸かした[11]。このアルバムから「Movement」「Daft Punk Is Playing at My House」「Disco Infiltrator」「Tribulations」の4曲がシングルカットされたが、特に「Daft Punk Is Playing at My House」は全英シングルチャートで29位と健闘した[12]。アルバム『LCD Soundsystem』と収録曲「Daft Punk Is Playing at My House」は第48回グラミー賞の最優秀エレクトリック/ダンス・アルバム賞と最優秀ダンス・レコーディング賞にノミネートされた[11]。アルバムは音楽メディアが発表する2000年代のベストアルバムのリストにてResident Advisorで5位、ピッチフォークで113位に選ばれている [13] [14]。また「Daft Punk Is Playing at My House」はローリング・ストーンが発表した2000年代のベストソングのリストで78位に選ばれた[15]。 同年2月、東名阪で単独ライブを行なう。

2006年10月、コンピレーションアルバム『45:33』をリリースする。このアルバムはナイキiTunesのプロモーションの為に作られたアルバムで、ランナーのトレーニング用に45分33秒の収録時間となっている[16]。また、アルバムタイトルの『45:33』はジョン・ケージの「4:33」のオマージュとなっている[16]

2006年-2009年:サウンド・オブ・シルヴァー

2006年、ジェームスはLongview Farms Studioでアルバムの製作を開始する。スタジオは壁などをシルバー一色に装飾して、環境から影響を受ける状態にしていたという[17]。また、マスタリングはイギリスのアビー・ロード・スタジオで行なわれた[18]

2007年3月、2ndアルバム『Sound of Silver』をリリース。全英アルバムチャートで28位を記録する[12]。このアルバムではポスト・パンクに飽き足らずデヴィッド・ボウイクラウトロックなど多様な音楽から参照点を見つけ出し、自身で築き上げたダンス・パンクをさらに上の次元に引き上げ高い評価を受けた[19][20]。このアルバムからは「North American Scum」「All My Friends」「Someone Great」「Time To Get Away」の4曲がシングルカットされた。「All My Friends」についてジェームスは「自分の友達について曲を書き続けたとしてもあれ以上の曲は作れないと思う」と述べている[17]。アルバム『Sound of Silver』は第50回グラミー賞の最優秀エレクトリック/ダンス・アルバム賞にノミネートされた[11]。 音楽メディアが発表したこの年のベストアルバムのリストではUncut、Drowned In Sound、ガーディアンで1位、ピッチフォークで2位、A.V. Clubで4位、Resident Advisorで5位、ローリング・ストーンで7位、NMEで11位に選ばれた [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28]。 またこの年のベストソングのリストでは「All My Friends」がピッチフォーク、ガーディアンで1位、タイムで4位、ローリング・ストーンで20位に選ばれた [29] [30] [31] [32]。 さらに後年、音楽メディアが発表した2000年代のベストアルバムのリストではNMEで11位、ローリング・ストーンで12位、ピッチフォークで17位、Resident Advisorで23位に選ばれている[33] [13]。 また2000年代のベストソングのリストでは「All My Friends」がピッチフォークで2位、ローリング・ストーンで41位に選ばれている [34] [35]。 また同じく「Someone Great」がピッチフォークで22位、Resident Advisorで41位に選ばれている [36] [37]。 同年8月、サマーソニックに出演のため来日。

2008年8月、シングル「Big Ideas」をリリースする。この曲は映画『ラスベガスをぶっつぶせ』のサウンドトラックとして書き下ろされたもので、映画のサウンドトラックアルバムにも収録された。この曲をローリング・ストーンは2008年のベストソングの63位に選んでいる[38]

2009年-:ディス・イズ・ハプニング、活動終了

2009年夏、ジェームスはロサンゼルスにあるリック・ルービンが所有するスタジオThe Mansionでアルバムの制作を開始する[39]。このスタジオはベッドルームが10部屋あるプール付きの豪邸で、アルバム製作の環境を重要視するジェームスはレコーディング中に白い服のみ着用する決まりをつくりレコーディングに臨んだ[17]。同年11月、Record Store Dayのキャンペーンでスーサイド(Suicide)のアラン・ベガ(Alan Vega)が1980年に発表した曲のカバーシングル「Bye Bye Bayou」をリリースする[40]

2010年、アルバムの発売を前にジェームスはこのアルバムを最後に活動を終了すると発言するようになる[17]。ジェームスはLCDサウンドシステムについて、好きで始めたことだがだんだん自分の人生を支配するようになってきたと感じでいた。40歳を目前に控え、レコーディングとツアーで忙しい日々を終わらせ、もっと他の事に挑戦しようと決意を固めていたのだ[17]。ただ、この時点ではラストライブなど具体的な解散時期には触れていなかったため、またアルバムを作りツアーを始めるだろうと予想する声も多かった[41]。2010年5月、3rdアルバム『This Is Happening』をリリースする。アルバムは全米アルバムチャートで10位、全英アルバムチャートで7位を記録する[42][12]。このアルバムからは「Drunk Girls」「Pow Pow」「I Can Change」の3曲がシングルカットされた。「Drunk Girls」のミュージックビデオスパイク・ジョーンズ(Spike Jonze)が監督を務め、ジャッカスを彷彿とさせる演出で話題をよんだ[43]。音楽メディアが発表したこの年のベストアルバムのリストではPaste、No Ripcordで1位、ピッチフォークで2位、タイムで3位、SPIN、NME、A.V. Clubで4位、musicOMH、PopMattersで6位、Uncut、Drowned in Soundで9位、ローリング・ストーンで10位に選ばれた[44]。 この年のベストソングのリストでは「I Can Change」がピッチフォークで3位、ローリング・ストーンで17位、NMEで23位に選ばれた [45] [46] [47]。 また、ピッチフォークが「All I Want」を17位に、NMEが「Drunk Girls」を13位に選んだ [48] [49]。この年はたくさんのフェスティバルに参加し、コーチェラのサブヘッドライナーレディング&リーズのセカンドステージのヘッドライナーを務めたほか、グラストンベリーボナルーワイヤレスビッグ・デイ・アウトピッチフォーク・フェスティバルなどに出演した。7月にはフジロックで日本で最後のライブを行なっている。

2011年2月8日、LCDサウンドシステムは4月2日マディソン・スクエア・ガーデンでラストライブを行うことをウェブサイトで発表した。チケットは即完売でプレミア化し当時のレートで12万円ほどで転売されるなど問題となったため、3月末にニューヨークのTerminal 5で4日間の追加公演を行なった[50]。4月2日、マディソン・スクエア・ガーデンのラストライブはピッチフォークがウェブで生中継を放送した。オープニングアクトとしてリキッド・リキッドが再結成して出演し、本編ではアーケイド・ファイア(Arcade Fire)やレジー・ワッツ(Reggie Watts)がゲスト参加するなど特別なライブとなった。3時間半に及んだライブは「New York, I Love You But You're Bringing Me Down」でエンディングを迎え10年の活動に幕を閉じた[51]

2012年1月、ラストライブとその裏側を撮影したドキュメンタリー映画『Shut Up and Play the Hits』がサンダンス映画祭で上映され、夏にアメリカなど世界各国で公開された。10月には映画とライブ映像を収録した3枚組のブルーレイ・DVDで発売された。

評価と影響

LCDサウンドシステムに対する評価はキャリア前半のダンス・パンクへの貢献と、後半の音楽的成熟についての2点が挙げられる。ジェームスは1990年代後半という早い時期からダンスとパンクの融合を試みており、エレクトロクラッシュが飽和状態の中でも「Losing My Edge」のような独自性のある完成度を持った曲をリリースすることが可能だった[6][4]。「Losing My Edge」の登場によりダンス・パンクムーブメントが世界的になることでポストパンク・リバイバルの発展にも貢献し、後のニューレイヴムーブメントにまで影響を与えることができた[52]。しかしながらキャリア前半のダンス・パンクサウンドはパンク特有の比較的簡単に再現できるものであったため、2000年代中盤には似たようなバンドで溢れかえる状態になってしまっていた[52]。そんな中リリースした2ndアルバム『Sound of Silver』はそれまでのポストパンク期のダンサブルなサウンドを現代に蘇らせることから、多種多様な音楽との参照点を見つけ出しそれらを内包するサウンドを作りあげることにシフトする[53]。そうして完成したダンス・パンクの枠を抜け出したLCDサウンドシステム独自の音楽性と方法論は、2000年代末のインディーミュージックの爆発にまで繋がっていった[54]

バンド・メンバー

2010年Roskilde Festival

以下6人はほとんどのライブに参加しているレギュラーメンバー

以下は時折ライブに参加することのあるメンバー

  • Al Doyle - ギター、パーカッション、シンセサイザー、ベース (Hot Chipのメンバー)
  • Phil Skarich - ベース
  • Phil Mossman - ギター、パーカッション
  • J.D. Mark - ギター

ディスコグラフィ

スタジオアルバム

コンピレーションアルバム・EP

リミックスアルバム

ライブアルバム

シングル

脚注

  1. ^ The 10 Best LCD Soundsystem Songs - Stereogum.”. 2013年10月9日閲覧。
  2. ^ James Murphy, LCD Soundsystem's mastermind, hits hard with his new album - The New York Times.”. 2013年10月9日閲覧。
  3. ^ a b Cookie Scene vol.41, 2005, P24-P29.
  4. ^ a b c d e f Snoozer #035, 2003, P102-P107.
  5. ^ Behind the scenes at DFA, RA.”. 2013年10月9日閲覧。
  6. ^ a b documentary film, Shut Up and Play the Hits, 2012.
  7. ^ RA Poll: Top 100 tracks of the '00s.”. 2013年10月9日閲覧。
  8. ^ Staff Lists: The Top 500 Tracks of the 2000s: 20-1, Features, Pitchfork.”. 2013年10月9日閲覧。
  9. ^ 100 Best Tracks of the 00s, NME.COM.”. 2013年10月9日閲覧。
  10. ^ 100 Best Songs of the 2000s: LCD Soundsystem, 'Losing My Edge', Rolling Stone.”. 2013年10月9日閲覧。
  11. ^ a b c BIOGRAPHY - LCDサウンドシステム - UNIVERSAL MUSIC JAPAN.”. 2013年10月9日閲覧。
  12. ^ a b c LCD SOUNDSYSTEM, Artist, Official Charts.”. 2013年10月9日閲覧。
  13. ^ a b RA Poll: Top 100 albums of the '00s.”. 2013年10月9日閲覧。
  14. ^ Staff Lists: The Top 200 Albums of the 2000s: 150-101, Features, Pitchfork.”. 2013年10月9日閲覧。
  15. ^ 100 Best Songs of the 2000s, Rolling Stone.”. 2013年10月9日閲覧。
  16. ^ a b LCD Soundsystem records track for Nike - LCD Soundsystem news at SIDE-LINE.COM.”. 2013年10月9日閲覧。
  17. ^ a b c d e Rockin'on 6, 2010, P88-P91.
  18. ^ LCD Soundsystem - Sound Of Silver (CD, Album) at Discogs.”. 2013年10月9日閲覧。
  19. ^ LCD Soundsystem: Sound of Silver, Album Reviews, Pitchfork.”. 2013年10月9日閲覧。
  20. ^ Sound of Silver - LCD Soundsystem, Songs, Reviews, Credits, Awards, AllMusic.”. 2013年10月9日閲覧。
  21. ^ DiS's albums of 2007: 5-1 (and full top 50) / In Depth // Drowned In Sound.”. 2013年10月9日閲覧。
  22. ^ “Uncut” Sings The Praises Of.”. 2013年10月9日閲覧。
  23. ^ 2007's best albums, Music, The Guardian.”. 2013年10月9日閲覧。
  24. ^ Staff Lists: Top 50 Albums of 2007, Features, Pitchfork.”. 2013年10月9日閲覧。
  25. ^ The best music of 2007, Music, The A.V. Club.”. 2013年10月9日閲覧。
  26. ^ RA Poll: Top 10 albums of 2007.”. 2013年10月9日閲覧。
  27. ^ Rolling Stone's Top 50 Albums of 2007.”. 2013年10月9日閲覧。
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  29. ^ Staff Lists: Top 100 Tracks of 2007, Features, Pitchfork.”. 2013年10月9日閲覧。
  30. ^ The GU Music Readers' Poll 2007 results, Music, theguardian.com.”. 2013年10月9日閲覧。
  31. ^ Top 10 Songs - Top 10 Everything of 2007 - TIME.”. 2013年10月9日閲覧。
  32. ^ Rolling Stone Magazine The 100 Best Songs Of 2007.”. 2013年10月9日閲覧。
  33. ^ LCD Soundsystem - Sound of Silver - Reviews & Ratings.”. 2013年10月9日閲覧。
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外部リンク