「円周率の歴史」の版間の差分

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本記事は、'''円周率の歴史'''(えんしゅうりつのれきし)について詳述する。
本記事は、'''円周率の歴史'''(えんしゅうりつのれきし)について詳述する。
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[[円周率]] ''π'' は[[無理数]]なので[[小数]]で表現すると無限に長い数値になる。その長い表現は何千年にも渡り、世界中で計算されてきた。
[[円周率]] ''π'' は[[無理数]]なので[[小数]]で表現すると無限に長い数値になる。また、[[連分数]]で表現すると無限に長い連分数になる。その近似値は何千年にも渡り、世界中で計算されてきた。


ほとんどの目的には 3.14 の近似値を使、これで十分である。技術系では 3.1416 や 3.14159 などを使用することが多い。[[天気予報]]や[[人工衛星]]などの計算では 30 桁程度の値を使用している。{{分数|355|113}} = '''3.141592'''92... などは覚えやすく近似精度が高い分数である。
ほとんどの目的には近似値 3.14 を使うことが多く、これで十分である。技術系では 3.1416 や 3.14159 などを使用することが多い。[[天気予報]]や[[人工衛星]]などの計算では 30 桁程度の値を使用している。{{分数|355|113}} = '''3.141592'''92... などは覚えやすく近似精度が高い分数である。


==凡例==
==凡例==
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* '''[法]''' : 計算法の考案・改良等
* '''[法]''' : 計算法の考案・改良等
* '''[値]''' : 計算・値の使用
* '''[値]''' : 計算・値の使用
* '''[値]'''(桁数) : 計算・値の使用 (桁数記録更新)
* '''[値]'''(桁数) : 計算・値の使用 (小数点以下の桁数記録)
* '''[文]''' : 文化・社会
* '''[文]''' : 文化・社会


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=== 正多角形による評価の時代 ===
=== 正多角形による評価の時代 ===
;紀元前2000年ごろ
;紀元前2000年ごろ
:{{Flagicon|IRN}}'''[値]'''(2) [[1936年]]に[[スーサ]]で発見された[[粘土板]]などから、[[古代バビロニア]]では、[[六角形|正六角形]]の周と円周を比べ、円周率の近似値として 3, 3+{{分数|1|7}} ≒ 3.142857 , 3+{{分数|1|8}} = 3.125 などが使われたと考えられている。
:{{Flagicon|IRN}}'''[値]'''(2) [[1936年]]に[[スーサ]]で発見された[[粘土板]]などから、[[古代バビロニア]]では、[[六角形|正六角形]]の周と円周を比べ、円周率の近似値として 3, 3+{{分数|1|7}} ≒ 3.142857 , 3+{{分数|1|8}} = 3.125 などが使われたと考えられている<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.35-37, p.338.</ref>
;[[紀元前17世紀|紀元前1650年]]ごろ
;[[紀元前17世紀|紀元前1650年]]ごろ
:{{Flagicon|EGY}}'''[学][値]''' [[古代エジプト]]では円周と直径の比から得られる値と、円の面積と半径の[[冪乗|平方]]の比から得られる値が同じであることは知られていた。神官[[アハメス]]が書き残した[[リンド・パピルス]]には[[円積問題]]の古典的な解法の一つが記されており円の直径からその{{分数|1|9}}を引いた長さを一辺とする[[正方形]]の面積と、元の円の面積が等しいとしている。この計算から円周率を計算すると、{{分数|256|81}} ≒ 3.1605 が円周率の近似値として得られる。かなり精度が高かったものの普及はしなかった。リンド・パピルスはアハメスによって写されたものであり、内容自体はさらに紀元前1800年ごろにまで遡ると考えられている。
:{{Flagicon|EGY}}'''[学][値]''' [[古代エジプト]]では円周と直径の比から得られる値と、円の面積と半径の[[冪乗|平方]]の比から得られる値が同じであることは知られていた。神官[[アハメス]]が書き残した[[リンド・パピルス]]には[[円積問題]]の古典的な解法の一つが記されており円の直径からその{{分数|1|9}}を引いた長さを一辺とする[[正方形]]の面積と、元の円の面積が等しいとしている。この計算から円周率を計算すると、{{分数|256|81}} ≒ 3.1605 が円周率の近似値として得られる。かなり精度が高かったものの普及はしなかった。リンド・パピルスはアハメスによって写されたものであり、内容自体はさらに紀元前1800年ごろにまで遡ると考えられている。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.38-43. 年代表(p.338)では前2000年頃としている。</ref>
;[[紀元前5世紀]]ごろ
;[[紀元前5世紀]]ごろ
:{{Flagicon|GRC}}'''[学]''' [[アナクサゴラス]]が、[[アポロン]]への不敬罪で投獄されている間に、[[円積問題]]に取り組んだ。
:{{Flagicon|GRC}}'''[学]''' [[アナクサゴラス]]が、[[アポロン]]への不敬罪で投獄されている間に、[[円積問題]]に取り組んだ<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.61-62. 年代表(p.338)では前434年頃としている。</ref>
:{{Flagicon|GRC}}'''[法]''' [[ヘラクレア・ポンティカ|ヘラクレア]]の[[アンティポン|アンティフォン]] (Antiphon) は円に内接する正多角形の面積を求めることにより円周率を計算する方法を編み出した。アンティフォンは、それぞれの正多角形から正方形が作図できることから、円積問題が解決できると主張した。
:{{Flagicon|GRC}}'''[法]''' [[ヘラクレア・ポンティカ|ヘラクレア]]の[[アンティポン|アンティフォン]] (Antiphon) は円に内接する正多角形の面積を求めることにより円周率を計算する方法を編み出した。アンティフォンは、それぞれの正多角形から正方形が作図できることから、円積問題が解決できると主張した。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.62-63. 年代表(p.338)では前430年頃としている。</ref>
:{{Flagicon|GRC}}'''[値]''' すぐに同じヘラクレアのブリソン (Bryson) が、外接する正多角形の面積をも求めて内側と外側の両方から円の面積を評価し近似値を得た。
:{{Flagicon|GRC}}'''[値]''' すぐに同じヘラクレアのブリソン (Bryson) が、外接する正多角形の面積をも求めて内側と外側の両方から円の面積を評価し近似値を得た。
;[[紀元前3世紀]]
;[[紀元前3世紀]]
:{{Flagicon|ITA}}'''[法][値]''' [[アルキメデス]]は円周と直径の比と、円の面積と半径の平方の比が同じであることを証明した。さらに円に外接、内接するそれぞれの正 3&times;2<sup>''n''</sup> 角形の辺の長さを ''p''<sub>''n''</sub>, ''q''<sub>''n''</sub> としたとき、漸化式
:{{Flagicon|ITA}}'''[法][値]''' [[アルキメデス]]は円周と直径の比と、円の面積と半径の平方の比が同じであることを証明した<ref>「円の計算」命題一:任意の円は、つぎのような直角三角形――すなわち、その半径が直角を挟(はさ)む一辺に等しく、円の周が底辺に等しいような直角三角形(の面積)に等しい。[[#アルキメデス1972|アルキメデス 1972]], pp.482-483.</ref>。さらに円に外接、内接するそれぞれの正 3&times;2<sup>''n''</sup> 角形の辺の長さを ''p''<sub>''n''</sub>, ''q''<sub>''n''</sub> としたとき、漸化式
: <math>{2 \over p_{n+1}} = {1 \over p_n} + {1 \over q_n}</math>
: <math>{2 \over p_{n+1}} = {1 \over p_n} + {1 \over q_n}</math>
:<math>q_{n+1}^2 = p_{n+1} q_n </math>
:<math>q_{n+1}^2 = p_{n+1} q_n </math>
:が成り立つことを示し、''n'' = 1 から ''n'' = 5 まで計算することにより{{分数|223|71}} < ''&pi;'' < {{分数|22|7}}を求めた。小数だと 3.14084 < ''&pi;'' < 3.14286 になる。
:が成り立つことを示し、''n'' = 1 から ''n'' = 5 まで計算することにより{{分数|223|71}} < ''&pi;'' < {{分数|22|7}}を求めた<ref>「円の計算」命題三:任意の円の周はその直径の3倍よりも大きく、その超過分は直径の{{分数|1|7}}よりは小さく、{{分数|10|71}}よりは大きい(3{{分数|10|71}} < ''&pi;'' < 3{{分数|1|7}})。[[#アルキメデス1972|アルキメデス 1972]], pp.484-487.</ref>。小数だと 3.14084 < ''&pi;'' < 3.14286 になる。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.109-114, p.338.</ref>
;[[1世紀]]
;[[1世紀]]
:{{Flagicon|ITA}}'''[値]''' [[ローマ帝国]]の著名な建築家[[ウィトルウィウス]]は、{{分数|25|8}}を使った。8 で割ったほうが建築には便利だったためである。小数だと 3.125 になる。
:{{Flagicon|ITA}}'''[値]''' [[ローマ帝国]]の著名な建築家[[ウィトルウィウス]]は、{{分数|25|8}}を使った。8 で割ったほうが建築には便利だったためである。小数だと 3.125 になる。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.100.</ref>
;[[2世紀]]
;[[2世紀]]
:{{Flagicon|EGY}}'''[値]''' 天文学者[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]は{{分数|377|120}}を使った。小数だと約 3.1417 である。
:{{Flagicon|EGY}}'''[値]''' 天文学者[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]は{{分数|377|120}}を使った。小数だと約 3.1417 である。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.126, p.338.</ref>
:{{Flagicon|CHN}}'''[値]''' [[後漢]]の[[太史令]]だった[[張衡 (科学者)|張衡]]は、円に外接する正方形の周と円周を比べ、円周率を√10とした。約 3.162 になる。
:{{Flagicon|CHN}}'''[値]''' [[後漢]]の[[太史令]]だった[[張衡 (科学者)|張衡]]は、円に外接する正方形の周と円周を比べ、円周率を√10とした。約 3.162 になる。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.47, p.338.</ref>
;[[3世紀]]
;[[3世紀]]
:{{Flagicon|CHN}}'''[値]''' [[呉 (三国)|呉]]の[[王蕃]]は{{分数|142|45}}を用いた。約3.155である。
:{{Flagicon|CHN}}'''[値]''' [[呉 (三国)|呉]]の[[王蕃]]は{{分数|142|45}}を用いた。約3.1555である。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.338.</ref>
;[[263年]]
;[[263年]]
:{{Flagicon|CHN}}'''[値]'''(3) [[魏 (三国)|魏]]の[[劉徽]]は『[[九章算術]]』の注釈のなかで、ブリソンと同様の方法を用い 3.14+{{分数|64|62500}} < ''&pi;'' < 3.14+{{分数|169|62500}}であることを示している。小数では 3.141024 < ''&pi;'' < 3.142704 となる。さらに正3072角形を用いて、3.1416という近似値も得た。
:{{Flagicon|CHN}}'''[値]'''(3) [[魏 (三国)|魏]]の[[劉徽]]は『[[九章算術]]』の注釈のなかで、ブリソンと同様の方法を用い 3.14+{{分数|64|62500}} < ''&pi;'' < 3.14+{{分数|169|62500}}であることを示している。小数では 3.141024 < ''&pi;'' < 3.142704 となる。さらに正3072角形を用いて、3.14159という近似値も得た。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.48では264年としている。</ref><ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.338.</ref>
;[[5世紀]]
;[[5世紀]]
:{{Flagicon|CHN}}'''[値]'''(6) [[7世紀]]に編纂された[[隋書]]律暦志([http://www.hoolulu.com/zh/25shi/15suishu/t-016.htm 外部リンク])によると、天文学者の[[祖沖之]](そちゅうし)は、当時としては非常に正確な評価 3.1415926 &lt; ''&pi;'' &lt; 3.1415927 を示した。ヨーロッパでこれほど正確な評価を得るには、[[16世紀]]まで待たねばならない。さらに、分数での近似値 {{分数|22|7}}(約3.143)と {{分数|355|113}}(約3.1415929)を与えている。正確な方法は伝わっていないが、九章算術の方法を踏襲したと推測すると、上記の結果を得るには少なくとも円に内接する正24576角形の辺の長さを計算しなければならない。隋書では現代と同じ「圓周率」という語が用いられている。祖沖之の息子の<span lang=zh>祖暅</span>(そこう)は、父とともに球の体積の計算方法を導き出したことで知られる。
:{{Flagicon|CHN}}'''[値]'''(6) [[7世紀]]に編纂された[[隋書]]律暦志([http://www.hoolulu.com/zh/25shi/15suishu/t-016.htm 外部リンク])によると、天文学者の{{Lang|zh|[[祖沖之]]}}(そちゅうし)は、当時としては非常に正確な評価 3.1415926 &lt; ''&pi;'' &lt; 3.1415927 を示した。ヨーロッパでこれほど正確な評価を得るには、[[16世紀]]まで待たねばならない。さらに、分数での近似値 {{分数|22|7}}(約3.143)と {{分数|355|113}}(約3.1415929)を与えている。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.48, p.338.</ref>正確な方法は伝わっていないが、九章算術の方法を踏襲したと推測すると、上記の結果を得るには少なくとも円に内接する正24576角形の辺の長さを計算しなければならない。隋書では現代と同じ「圓周率」という語が用いられている。祖沖之の息子の{{Lang|zh|祖暅}}(そこう)は、父とともに球の体積の計算方法を導き出したことで知られる。
;[[6世紀|530年頃]]
;[[6世紀|500年頃]]
:{{Flagicon|IND}}'''[値]''' インドの[[アリヤバータ]]は、円に内接する正 ''n'' 角形と正 2''n'' 角形の周の長さの間に成り立つ関係式を求め、正384角形の周の長さから√9.8684(≒3.1414)と求めた。この平方根の近似値として{{分数|3927|1250}}(=3.1416)を与えた。
:{{Flagicon|IND}}'''[値]''' インドの[[アリヤバータ]]は、円に内接する正 ''n'' 角形と正 2''n'' 角形の周の長さの間に成り立つ関係式を求め、正384角形の周の長さから√9.8684(≒3.14156)と求めた。この平方根の近似値として{{分数|3927|1250}}(=3.1416)を与えた。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.44-45, p.338.</ref>
;[[7世紀|650年頃]]
;[[7世紀|650年頃]]
:{{Flagicon|IND}}'''[値]''' インドの[[ブラーマグプタ]]は、正12角形、正24角形、正48角形、正96角形の周の長さから、''n'' が大きくなるにつれ正2<sup>''n''</sup>×3角形の周の長さは√10に近づくとし、これを円周率とした。
:{{Flagicon|IND}}'''[値]''' インドの[[ブラーマグプタ]]は、正12角形、正24角形、正48角形、正96角形の周の長さから、''n'' が大きくなるにつれ正2<sup>''n''</sup>×3角形の周の長さは√10に近づくとし、これを円周率とした<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.45-46, p.338.</ref>
;[[1220年]]
;[[1220年]]
:{{Flagicon|ITA}}'''[値]''' イタリアの[[レオナルド・フィボナッチ|フィボナッチ]]が円周率を{{分数|864|275}}と計算した。これは、約 3.1418 である。
:{{Flagicon|ITA}}'''[値]''' イタリアの[[レオナルド・フィボナッチ|フィボナッチ]]が円周率を{{分数|864|275}}と計算した。これは、約 3.1418 である。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.143-145, p.338.</ref>
;[[1400年]]頃
;[[1400年]]頃
:{{Flagicon|IND}}'''[法]''' [[インド]]の[[マーダヴァ]]が無限級数
:{{Flagicon|IND}}'''[法]''' [[インド]]の[[マーダヴァ]]が無限級数
: <math>{\pi \over 4} = \sum_{n=0}^{\infin} \frac{(-1)^n}{2n+1} = 1 - \frac{1}{3} + \frac{1}{5} - \frac{1}{7} + \frac{1}{9} - \cdots </math>
: <math>{\pi \over 4} = \sum_{n=0}^{\infin} \frac{(-1)^n}{2n+1} = 1 - \frac{1}{3} + \frac{1}{5} - \frac{1}{7} + \frac{1}{9} - \cdots </math>
:を得る。これはのちに[[ライプニッツの公式]]と呼ばれるようになった。
:を得る。これはのちに[[ライプニッツの公式]]と呼ばれるようになった。<ref>[[#ジョーゼフ1996|ジョーゼフ 1996]]</ref>
;[[16世紀|1579年]]
;[[16世紀|1579年]]
:{{Flagicon|FRA}}'''[値]'''(9) [[フランソワ・ビエタ]]が円に内接・外接する正393216角形の周の長さから 3.1415926535 < ''&pi;'' < 3.1415926537 という評価をした。ビエタはさらに、[[総乗|無限乗積]]
:{{Flagicon|FRA}}'''[値]'''(9) [[フランソワ・ビエタ]]が円に内接・外接する正393216角形の周の長さから 3.1415926535 < ''&pi;'' < 3.1415926537 という評価をした。ビエタはさらに、[[総乗|無限乗積]]
: <math>x_1 = \sqrt{1 \over 2},\ x_{n+1} = \sqrt{{1+x_n} \over 2} </math>
: <math>x_1 = \sqrt{1 \over 2},\ x_{n+1} = \sqrt{{1+x_n} \over 2} </math>
: <math>{2 \over \pi} = \prod_{n=1}^\infty x_n</math>
: <math>{2 \over \pi} = \prod_{n=1}^\infty x_n</math>
:を示し ''&pi;'' の計算を試みた。
:を示し ''&pi;'' の計算を試みた。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.157-163.</ref>
;[[16世紀|1585年]]
;[[16世紀|1585年]]
:{{Flagicon|NLD}}'''[値]''' オランダのアドリアン・アンソニスが {{分数|333|106}} < ''&pi;'' < {{分数|377|120}} と評価し、両端の平均に近い値として {{分数|355|113}} を得た。これは、約 3.14159292 である。
:{{Flagicon|NLD}}'''[値]''' オランダの[[アドリアン・アンソニスゾーン]]が {{分数|333|106}} < ''&pi;'' < {{分数|377|120}} と評価し、両端の平均に近い値として {{分数|355|113}} を得た。これは、約 3.14159292 である。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.173.</ref>
;[[1596年|1596]]–[[1610年]]
;[[1596年|1596]]–[[1610年]]
:{{Flagicon|DEU}}'''[値]'''(35) ドイツの数学者[[ルドルフ・ファン・コイレン]]は、正4611686018427387904 (=2<sup>62</sup>) 角形の辺の長さを計算し、35桁目まで ''&pi;'' の正しい値を計算した<ref>{{cite web|title={{lang|en|Ludolph Van Ceulen}}|publisher=School of Mathematics and Statistics; University of St Andrews, Scotland |url=http://www-history.mcs.st-and.ac.uk/history/Biographies/Van_Ceulen.html|year=2009|accessdate=2010-09-12}}</ref><ref>{{cite web|title={{lang|en|Numerical Approximations of π}}"|first=Williams|last=David B.|format=PDF|url=http://cims.clayton.edu/dwilliams/research/talks/pi-day-talk-2009.pdf|year=2009|accessdate=2010-09-12}}</ref>。この計算はコイレンの生涯をかけた計算であり、コイレン自身これを大変誇りとし、墓標にこの値を刻ませた。墓標はその後失われ、碑銘のみが伝わっている。ドイツでは彼の名にちなんで円周率をルドルフ数 ({{lang|de|[[:de:Ludolph_van_Ceulen#Ludolphsche_Zahl|Ludolphsche Zahl]]}}) と呼ぶことがある。
:{{Flagicon|DEU}}'''[値]'''(35) ドイツの数学者[[ルドルフ・ファン・コイレン]]は、正4611686018427387904 (=2<sup>62</sup>) 角形の辺の長さを計算し、35桁目まで ''&pi;'' の正しい値を計算した<ref>{{cite web|title={{lang|en|Ludolph Van Ceulen}}|publisher=School of Mathematics and Statistics; University of St Andrews, Scotland |url=http://www-history.mcs.st-and.ac.uk/history/Biographies/Van_Ceulen.html|year=2009|accessdate=2010-09-12}}</ref><ref>{{cite web|title={{lang|en|Numerical Approximations of π}}"|first=Williams|last=David B.|format=PDF|url=http://cims.clayton.edu/dwilliams/research/talks/pi-day-talk-2009.pdf|year=2009|accessdate=2010-09-12}}</ref>。この計算はコイレンの生涯をかけた計算であり、コイレン自身これを大変誇りとし、墓標にこの値を刻ませた。墓標はその後失われ、碑銘のみが伝わっている。ドイツでは彼の名にちなんで円周率をルドルフ数 ({{lang|de|[[:de:Ludolph_van_Ceulen#Ludolphsche_Zahl|Ludolphsche Zahl]]}}) と呼ぶことがある。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.174, p.339.</ref>

:コイレンの時代までで、正多角形の辺を増やすだけの力ずくの計算の時代は終わり、評価式の本質的な改良が行われるようになっていく。17世紀は多くの評価式が生まれ、コイレンの生涯をかけた 35桁までの計算も非常に簡単に求められるようになる。
コイレンの時代までで、正多角形の辺を増やすだけの力ずくの計算の時代は終わり、評価式の本質的な改良が行われるようになっていく。17世紀は多くの評価式が生まれ、コイレンの生涯をかけた 35桁までの計算も非常に簡単に求められるようになる。
;[[1663年]]
;[[1663年]]
:{{Flagicon|JPN}}'''[値]''' [[村松茂清]]が『算俎』を著し、円に内接する正2<sup>''n''</sup>角形 (2&le;''n''&le;15) の辺の長さから ''&pi;'' ≒ 3.1415 92648 77769 88692 48とし、小数点以下7桁まで正しい。コイレンなどの計算には遠く及ばないものの、中国などを通じて入ってくる算書に頼り切ってきた和算と違い、はじめて数学的な方法で円周率を計算し発表した和算家が村松である。
:{{Flagicon|JPN}}'''[値]''' [[村松茂清]]が『算俎』を著し、円に内接する正2<sup>''n''</sup>角形 (2&le;''n''&le;15) の辺の長さから ''&pi;'' ≒ 3.1415 92648 77769 88692 48とし、小数点以下7桁まで正しい値を求めた。コイレンなどの計算には遠く及ばないものの、中国などを通じて入ってくる算書に頼り切ってきた和算と違い、はじめて数学的な方法で円周率を計算し発表した和算家が村松である。


=== 計算式の改良の時代 ===
=== 計算式の改良の時代 ===
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:{{Flagicon|NLD}} '''[法][値]''' オランダの[[ウィレブロード・スネル・スネリウス]]が、円周の長さの評価式を与える。
:{{Flagicon|NLD}} '''[法][値]''' オランダの[[ウィレブロード・スネル・スネリウス]]が、円周の長さの評価式を与える。
: <math>{3 \sin\theta \over 2 +\cos\theta} < \theta < {2\sin\theta +\tan\theta \over 3}</math>
: <math>{3 \sin\theta \over 2 +\cos\theta} < \theta < {2\sin\theta +\tan\theta \over 3}</math>
:この式と円に内接・外接する正 6 角形から 3.14022 < ''&pi;'' < 3.14160 と評価した。この式の証明は[[クリスティアーン・ホイヘンス|ホイヘンス]]によって与えられ、さらにホイヘンスによって改良された結果、[[正六角形]]を用いただけで 3.1415926533 < ''&pi;'' < 3.1415926538 と評価できるまでになった。
:この式と円に内接・外接する正 6 角形から 3.14022 < ''&pi;'' < 3.14160 と評価した。この式の証明は[[クリスティアーン・ホイヘンス|ホイヘンス]]によって与えられ、さらにホイヘンスによって改良された結果、[[正六角形]]を用いただけで 3.1415926533 < ''&pi;'' < 3.1415926538 と評価できるまでになった。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.146-148,188-190, p.339.</ref>
;[[1655年]]
;[[1655年]]
:{{Flagicon|GBR}}'''[法]''' イギリスの[[ジョン・ウォリス|ウォリス]]は無限乗積
:{{Flagicon|GBR}}'''[法]''' イギリスの[[ジョン・ウォリス|ウォリス]]は無限乗積
: <math>{\pi \over 2} = \prod_{n=1}^\infty {(2n)^2 \over (2n-1)(2n+1)}</math>
: <math>{\pi \over 2} = \prod_{n=1}^\infty {(2n)^2 \over (2n-1)(2n+1)}</math>
:を示した。ビエタの公式のように根号が無いため計算はしやすいが、収束はとても遅い。
:を示した。ビエタの公式のように根号が無いため計算はしやすいが、収束はとても遅い。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.213-214, p.339.</ref>
:同じくイギリスの[[ウィリアム・ブラウンカー|ブラウンカー]]が、[[連分数]]を用いた公式
:同じくイギリスの[[ウィリアム・ブラウンカー|ブラウンカー]]が、[[連分数]]を用いた公式
: <math>{4 \over \pi} =1+ \cfrac{1^2}{2+ \cfrac{3^2}{2 + \cfrac{\cdots}{\cdots + \cfrac{\left(2n-1\right)^2}{2+\cdots}}}}</math>
: <math>{4 \over \pi} =1+ \cfrac{1^2}{2+ \cfrac{3^2}{2 + \cfrac{\cdots}{\cdots + \cfrac{\left(2n-1\right)^2}{2+\cdots}}}}</math>
:を示した。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.216-220, p.339.</ref>
:を示した。
;[[1665年]]
;[[1665年]]
:{{Flagicon|GBR}}'''[学]''' イギリスの[[政治哲学|政治哲学者]]の[[トマス・ホッブズ|ホッブズ]]が[[円積問題]]の解を公表し、[[ジョン・ウォリス|ウォリス]]との間で論争になる。ホッブズは死ぬまで厳密解と近似解の違いを理解できずに論争を続けた。
:{{Flagicon|GBR}}'''[学]''' イギリスの[[政治哲学|政治哲学者]]の[[トマス・ホッブズ|ホッブズ]]が[[円積問題]]の解を公表し、[[ジョン・ウォリス|ウォリス]]との間で論争になる。ホッブズは死ぬまで厳密解と近似解の違いを理解できずに論争を続けた。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.216.</ref>
;[[1671年]]
;[[1671年]]
:{{Flagicon|GBR}}'''[法]''' スコットランドの[[ジェームス・グレゴリー|グレゴリー]]により、グレゴリー級数
:{{Flagicon|GBR}}'''[法]''' スコットランドの[[ジェームス・グレゴリー|グレゴリー]]により、グレゴリー級数
: <math>\arctan x= \sum_{n=0}^{\infin} \frac{(-1)^n}{2n+1} x^{2n+1} =x- \frac{1}{3}x^3 + \frac{1}{5}x^5 - \frac{1}{7}x^7 + \frac{1}{9}x^9 - \cdots</math>
: <math>\arctan x= \sum_{n=0}^{\infin} \frac{(-1)^n}{2n+1} x^{2n+1} =x- \frac{1}{3}x^3 + \frac{1}{5}x^5 - \frac{1}{7}x^7 + \frac{1}{9}x^9 - \cdots</math>
:が発見される。これとは独立に[[1674年]]に[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]も同じ発見をしており、グレゴリー・ライプニッツ級数とも呼ばれる。ライプニッツは ''x'' = 1 を代入し マーダヴァと同じ無限級数を得た。
:が発見される。これとは独立に[[1674年]]に[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]も同じ発見をしており、グレゴリー・ライプニッツ級数とも呼ばれる。ライプニッツは ''x'' = 1 を代入し マーダヴァと同じ無限級数を得た。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.220-222, p.339.</ref>
;[[1681年]]
;[[1681年]]
:{{Flagicon|JPN}}'''[値]''' [[暦]]の作成にあたって円周率の近似値が必要になったため、[[関孝和]]が正 131072 角形を使って小数第 16 位まで算出した。関が最終的に採用した近似値は「3.1415926535微弱」というものだったが、[[エイトケンのΔ2乗加速法|エイトケン補外]]を用いた途中計算では小数第 16 位まで正確に求めている<ref name="soluble">中村佳正編、可積分系の応用数理、第6章、裳華房、2000年、ISBN 4-7853-1520-2.</ref>。西洋でエイトケン補外が再発見されたのは[[1876年]]、H.von.N&auml;gelsbachによってである<ref name="soluble"></ref><ref>H.von.N&auml;gelsbach, Arch.Math.Phys. 59(1876)147-192.</ref>。
:{{Flagicon|JPN}}'''[値]''' [[暦]]の作成にあたって円周率の近似値が必要になったため、[[関孝和]]が正 131072 角形を使って小数第 16 位まで算出した。関が最終的に採用した近似値は「3.1415926535微弱」というものだった<ref>「得三尺一寸四分一厘五毛九糸二忽六微五繊三紗五塵九埃微弱,為定周」[[#平山2007|平山 2007]], pp.57-58.</ref>が、[[エイトケンのΔ2乗加速法|エイトケン補外]]を用いた途中計算では小数第 16 位まで正確に求めている<ref name="soluble">中村佳正編、可積分系の応用数理、第6章、裳華房、2000年、ISBN 4-7853-1520-2.</ref>。西洋でエイトケン補外が再発見されたのは[[1876年]]、H.von.N&auml;gelsbachによってである<ref name="soluble"></ref><ref>H.von.N&auml;gelsbach, Arch.Math.Phys. 59(1876)147-192.</ref>。
;[[1699年]]
;[[1699年]]
:{{Flagicon|GBR}}'''[値]'''(72) イギリス人の[[エイブラハム・シャープ|シャープ]]がグレゴリー・ライプニッツ級数に ''x'' = {{分数|1|√3}} を入れ、&pi; を小数第 72 位まで求めた。
:{{Flagicon|GBR}}'''[値]'''(72) イギリス人の[[エイブラハム・シャープ|シャープ]]がグレゴリー・ライプニッツ級数に ''x'' = {{分数|1|√3}} を入れ、&pi; を小数第 72 位まで求めた<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.236, p.339.</ref>
;[[1706年]]
;[[1706年]]
:{{Flagicon|GBR}}'''[法][値]'''(100) イギリスの[[ジョン・マチン]]が[[マチンの公式]]
:{{Flagicon|GBR}}'''[法][値]'''(100) イギリスの[[ジョン・マチン]]が[[マチンの公式]]
: <math>4 \arctan \frac{1}{5} - \arctan \frac{1}{239} = \frac{\pi}{4}</math>
: <math>\frac{\pi}{4} = 4 \arctan \frac{1}{5} - \arctan \frac{1}{239}</math>
:を発見する。さらに、この関係式にグレゴリ・ライプニッツ級数を用いて小数第 100 位までの円周率を求めた。
:を発見する。さらに、この関係式にグレゴリ・ライプニッツ級数を用いて小数第 100 位までの円周率を求めた。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.236-237, p.339.</ref>
:{{Flagicon|GBR}}'''[文]''' [[ウィリアム・ジョーンズ (数学者)|ウィリアム・ジョーンズ]]が初めて ''&pi;'' を円周率の意味で用いた。[[1748年]]に[[レオンハルト・オイラー|オイラー]]も同じ記法を用いたことで円周率を ''&pi;'' と表記することが広まった。
:{{Flagicon|GBR}}'''[文]''' [[ウィリアム・ジョーンズ (数学者)|ウィリアム・ジョーンズ]]が初めて ''&pi;'' を円周率の意味で用いた。[[1748年]]に[[レオンハルト・オイラー|オイラー]]も同じ記法を用いたことで円周率を ''&pi;'' と表記することが広まった。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.237, p.240, p.339.</ref>
;[[1719年]]
;[[1719年]]
:{{Flagicon|FRA}}'''[値]'''(127) フランスの[[トーマス・ラグニー]]が、シャープの方法で小数第 127 位まで計算を行う。
:{{Flagicon|FRA}}'''[値]'''(127) フランスの[[トーマス・ラグニー]]が、シャープの方法で小数第 127 位まで計算を行う<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.237, p.339.</ref>
;[[1761年]]
:{{Flagicon|DEU}}'''[学]''' ドイツの[[ヨハン・ハインリッヒ・ランベルト|ランベルト]]によって ''&pi;'' が[[有理数]]でないことが証明される。
;[[1722年]]
;[[1722年]]
:{{Flagicon|JPN}}'''[値]''' [[建部賢弘]]が『綴術算経』を著し、正 1024 角形を用いて小数第 42 位まで求めた。「累遍増約術」(Richardson補外)を適用し、関孝和の計算に比べて遥かに少ない計算で精度を大いに改善している。なお、[[ルイス・フライ・リチャードソン]]による同手法の提案は1910年頃である。
:{{Flagicon|JPN}}'''[値]''' [[建部賢弘]]が『[[綴術算経]](てつじゅつさんけい)を著し、正 1024 角形を用いて小数第 42 位まで求めた<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.175, p.326.では小数点以下41桁としている。</ref>。「累遍増約術」(Richardson補外)を適用し、関孝和の計算に比べて遥かに少ない計算で精度を大いに改善している。なお、[[ルイス・フライ・リチャードソン]]による同手法の提案は1910年頃である。
;[[1761年]]
:{{Flagicon|DEU}}'''[学]''' ドイツの[[ヨハン・ハインリッヒ・ランベルト|ランベルト]]によって ''&pi;'' が[[有理数]]でないことが証明される<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.280-281では1767年としてい。p.339では1766年としている。</ref>
;[[18世紀]]中頃
;[[18世紀]]中頃
:{{Flagicon|DEU}}'''[法]''' [[レオンハルト・オイラー|オイラー]]によって、多くの ''&pi;'' に関する式が発見される。オイラーは
:{{Flagicon|DEU}}'''[法]''' [[レオンハルト・オイラー|オイラー]]によって、多くの ''&pi;'' に関する式が発見される。オイラーは
: <math>5 \arctan \frac{1}{7} +2 \arctan \frac{3}{79} = \frac{\pi}{4}</math>
: <math>\frac{\pi}{4} = 5 \arctan \frac{1}{7} +2 \arctan \frac{3}{79}</math>
:を用いて、 たった1時間で円周率を小数第 20 位まで計算した。
:を用いて、 たった1時間で円周率を小数第 20 位まで計算した。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.256.</ref>
;[[1775年]]
;[[1775年]]
:{{Flagicon|FRA}}'''[学]''' フランスの[[科学アカデミー (フランス)|科学アカデミー]]が、ギリシアの[[定規とコンパスによる作図#ギリシアの三大作図問題|三大作図問題]]と[[永久機関]]についての論文審査を拒否する決議をした。
:{{Flagicon|FRA}}'''[学]''' フランスの[[科学アカデミー (フランス)|科学アカデミー]]が、ギリシアの[[定規とコンパスによる作図#ギリシアの三大作図問題|三大作図問題]]と[[永久機関]]についての論文審査を拒否する決議をした<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.287.</ref>
;[[1789年]]
;[[1789年]]
:{{Flagicon|SVN}}'''[値]'''(137) [[スロベニア]]の数学者[[ユリー・ベガ]]は、マチンの公式を用いて小数第 140 位まで値を求め、小数第 137 位までが正しかった。この記録はその後50年破られることがなかった。
:{{Flagicon|SVN}}'''[値]'''(137) [[スロベニア]]の数学者[[ユリー・ベガ]]は、マチンの公式を用いて小数第 140 位まで値を求め、小数第 137 位までが正しかった。この記録はその後50年破られることがなかった。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.175, p.339.</ref>
;[[1794年]]
;[[1794年]]
:{{Flagicon|FRA}}'''[学]''' [[アドリアン=マリ・ルジャンドル|ルジャンドル]]によって ''&pi;'' は[[有理数]]の[[平方根]]にならないことが証明される。
:{{Flagicon|FRA}}'''[学]''' [[アドリアン=マリ・ルジャンドル|ルジャンドル]]によって ''&pi;'' は[[有理数]]の[[平方根]]にならないことが証明される<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.282, p.339.</ref>
;1850年頃–[[1873年]]
;1850年頃–[[1873年]]
:{{Flagicon|GBR}}'''[値]'''(527) イギリスの[[ウィリアム・ラザフォード]]とその弟子の[[ウィリアム・シャンクス]]がマチンの公式を用いて桁数の記録を塗り替えた。1852年にラザフォードが小数第 441 位、シャンクスが小数第 530 位まで計算し、小数第 441 位までは両者の計算が一致していることでその計算の正しさを確認できた。しかし、arctan({{分数|1|5}}) が小数第 530 位までしか正しくなく、シャンクスの計算で正しかったのは、小数第 527 位までであった。その後、シャンクスは1872年に小数第 707 位まで達したが、この誤りが最後までつきまとった。
:{{Flagicon|GBR}}'''[値]'''(527) イギリスの[[ウィリアム・ラザフォード]]とその弟子の[[ウィリアム・シャンクス]]がマチンの公式を用いて桁数の記録を塗り替えた。1852年にラザフォードが小数第 441 位、シャンクスが小数第 530 位まで計算し、小数第 441 位までは両者の計算が一致していることでその計算の正しさを確認できた。しかし、arctan({{分数|1|5}}) が小数第 530 位までしか正しくなく、シャンクスの計算で正しかったのは、小数第 527 位までであった。その後、シャンクスは1872年に小数第 707 位まで達したが、この誤りが最後までつきまとった。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.176-177, p.339.</ref>
;[[1882年]]
;[[1882年]]
:{{Flagicon|DEU}}'''[学]''' [[フェルディナント・フォン・リンデマン|リンデマン]]によって ''&pi;'' が[[代数的数]]でないことが証明される。これにより ''&pi;'' の[[超越数|超越性]]が証明され、[[円積問題]]も否定的に解決た。
:{{Flagicon|DEU}}'''[学]''' [[フェルディナント・フォン・リンデマン|リンデマン]]によって ''&pi;'' が[[代数的数]]でないことが証明される。これにより ''&pi;'' の[[超越数|超越性]]が証明され、[[円積問題]]も否定的に解決された。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.280, p.340.</ref>
;[[1896年]]
:{{Flagicon|NOR}} '''[法]''' ストーマー([[:en:Carl Størmer|''Fredrik Carl Mulertz Størmer'']])は公式
: <math> \frac{\pi}{4} = 6 \arctan\frac{1}{8} + 2 \arctan\frac{1}{57} + \arctan\frac{1}{239}</math>
: を発見する<ref>[[#ニーバージェルトほか1976|ニーバージェルトほか 1976]], p.216.</ref><ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.304.</ref>。
;[[1897年]]
;[[1897年]]
:{{main|インディアナ州円周率法案}}
:{{main|インディアナ州円周率法案}}
:{{Flagicon|USA}}'''[文][値]''' [[アメリカ合衆国]]の[[インディアナ州]]の下院で[[医者]]の[[エドウィン・グッドウィン]]による円積問題解決方法を盛り込んだ議案264号が満場一致で通過した。グッドウィンの方法から得られる値は ''&pi;'' = 3.1604, 3.2, 3.232, 4 であり、このうち 4 については公式に認められた最も不正確な円周率の値として[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]に記載された。この法案は各審議会を通過していき上院に承認を求める段階にまで達した。しかし世論の批判にあい2月12日に上院によって議論の無期限延期が決められ、法案成立目前で却下された。
:{{Flagicon|USA}}'''[文][値]''' [[アメリカ合衆国]]の[[インディアナ州]]の下院で[[医者]]の[[エドウィン・グッドウィン]]による円積問題解決方法を盛り込んだ議案246号が満場一致で通過した。グッドウィンの方法から得られる値は ''&pi;'' = 3.1604, 3.2, 3.232, 4 であり、このうち 4 については公式に認められた最も不正確な円周率の値として[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]に記載された。この法案は各審議会を通過していき上院に承認を求める段階にまで達した。しかし世論の批判にあい2月12日に上院によって議論の無期限延期が決められ、法案成立目前で却下された。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.288-293.</ref>
;[[1910年]]
;[[1910年]]
:{{Flagicon|IND}}'''[法]''' [[シュリニヴァーサ・ラマヌジャン|ラマヌジャン]]によって、無限級数表示
:{{Flagicon|IND}}'''[法]''' [[シュリニヴァーサ・ラマヌジャン|ラマヌジャン]]によって、無限級数表示
119行目: 124行目:
:が発見される。この公式は、[[ジョナサン・ボールウェイン|ジョナサン]]&[[ピーター・ボールウェイン]]兄弟によって[[1987年]]に厳密に証明されるが、[[1985年]]に[[ウィリアム・ゴスパー]]がこの公式を用いて円周率を計算し、その正確さを示している。
:が発見される。この公式は、[[ジョナサン・ボールウェイン|ジョナサン]]&[[ピーター・ボールウェイン]]兄弟によって[[1987年]]に厳密に証明されるが、[[1985年]]に[[ウィリアム・ゴスパー]]がこの公式を用いて円周率を計算し、その正確さを示している。
;[[1945年]]
;[[1945年]]
:{{Flagicon|USA}}'''[値]'''(540) [[ファーガソン]](D.F.Ferguson)が小数第 540 位までを計算し、ウィリアム・シャンクスの誤りを指摘する。シャンクスの計算は約70年間も信用されていた。
:{{Flagicon|USA}}'''[値]'''(540) [[ファーガソン]](D.F.Ferguson)が小数第 540 位までを計算し、ウィリアム・シャンクスの誤りを指摘する。シャンクスの計算は約70年間も信用されていた。<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.177, p.340.</ref>

:このファーガソンの計算までが手計算によるものだった。手計算の時代は誤りが起こることも多かったが、この時代の数学の成果は、現代の計算機による円周率の計算においても非常に重要な役割を果たしている。
このファーガソンの計算までが手計算によるものだった。手計算の時代は誤りが起こることも多かったが、この時代の数学の成果は、現代の計算機による円周率の計算においても非常に重要な役割を果たしている。


=== 計算機による計算の時代 ===
=== 計算機による計算の時代 ===

{{seealso|任意精度演算}}
{{seealso|任意精度演算}}

;[[1947年|1947]]–[[1948年]]
;[[1947年|1947]]–[[1948年]]
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(808) ファーガソンは卓上計算機を使用して808桁まで求めた。この計算は、[[レビ・スミス]]と[[ジョン・レンチ]]によっても検算され、シャンクスの計算が間違いであることが繰り返し確認された。
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(808) ファーガソンは卓上計算機を使用して808桁まで求めた。この計算は、[[レビ・スミス]]と[[ジョン・レンチ]]によっても検算され、シャンクスの計算が間違いであることが繰り返し確認された。<ref>[[#ニーバージェルトほか1976|ニーバージェルトほか 1976]], p.215.</ref><ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.177, p.340.</ref>
;[[1949年]]
;[[1949年]]
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(2037) [[ライトウィーズナー]]が[[ENIAC]]を用いて[[マチンの公式]]により 2037桁を 70時間かけて計算した。ENIACは[[第二次世界大戦]]において大砲の弾道計算を行うために作られたが、完成時にはすでに戦争は終わっていた。戦争以外にも計算機が有用であることを示すために円周率計算などに用いられた。
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(2037) [[ライトウィーズナー]]が[[ENIAC]]を用いて[[マチンの公式]]により 2037桁を 70時間かけて計算した<ref>[[#ニーバージェルトほか1976|ニーバージェルトほか 1976]], p.215.</ref><ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.302, p.340.</ref>。ENIACは[[第二次世界大戦]]において大砲の弾道計算を行うために作られたが、完成時にはすでに戦争は終わっていた。戦争以外にも計算機が有用であることを示すために円周率計算などに用いられた。
;[[1954年]]
;[[1954年]]
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(3092) [[ニコルソン]]と[[ジーネル]]が[[NORC]]を用いて3092桁を13分で計算した。
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(3092) [[ニコルソン]]と[[ジーネル]]が[[NORC]]を用いて3089桁を13分で計算した<ref>[[#ニーバージェルトほか1976|ニーバージェルトほか 1976]], pp.215-216.</ref><ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.302-303, p.340.</ref>
;[[1958年]]
;[[1958年]]
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(1万) [[フランソワ・ジェニューイ]]が、[[IBM 704]]を用いて 1万桁まで計算した。
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(1万) [[フランソワ・ジェニューイ]]が、[[IBM 704]]を用いて 1万桁まで計算した<ref>[[#ニーバージェルトほか1976|ニーバージェルトほか 1976]], p.216.</ref><ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.303, p.340.</ref>
;[[1961年]]
;[[1961年]]
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(10万) ジョン・レンチと[[ダニエル・シャンクス]]が [[IBM 7090]]を用いて 10万桁まで計算した。
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(10万) ジョン・レンチと[[ダニエル・シャンクス]]が [[IBM 7090]]を用いて 10万桁まで計算した。計算には[[シュテルマーの公式]]
: <math> \frac{\pi}{4} = 6 \arctan\frac{1}{8} + 2 \arctan\frac{1}{57} + \arctan\frac{1}{239}</math>
: を使用した。検算には[[ガウスの公式]]
: <math> \frac{\pi}{4} = 12 \arctan\frac{1}{18} + 8 \arctan\frac{1}{57} - 5 \arctan\frac{1}{239}</math>
: を使用した。<ref>[[#ニーバージェルトほか1976|ニーバージェルトほか 1976]], pp.216-217.</ref><ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.303-305, p.340.</ref>
;[[1966年]]
: {{Flagicon|FRA}}'''[値]'''(25万) パリの原子力エネルギー委員会にある[[IBM 7030]]を用いて25万桁まで計算した<ref>[[#ニーバージェルトほか1976|ニーバージェルトほか 1976]], pp.216-217.</ref><ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.305, p.340.</ref>。
;[[1967年]]
: {{Flagicon|FRA}}'''[値]'''(50万) パリの原子力エネルギー委員会にある[[CDC 6600]]を用いて50万桁まで計算した<ref>[[#ニーバージェルトほか1976|ニーバージェルトほか 1976]], pp.216-217.</ref><ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.305, p.340.</ref>。
;[[1973年]]
;[[1973年]]
: {{Flagicon|FRA}}'''[値]'''(100万) [[ジャン・ギュー]]と[[マルティーヌ・ブイエ]]が[[CDC 7600]]を用いて 100万1250桁まで計算した。
: {{Flagicon|FRA}}'''[値]'''(100万) [[ジャン・ギュー]]と[[マルティーヌ・ブイエ]]が[[CDC 7600]]を用いて 100万1250桁まで計算した。
149行目: 161行目:
;[[1989年]]
;[[1989年]]
: この年は、[[チュドノフスキー兄弟]]と[[金田康正]]・[[田村良明]]によって激しい計算競争が行われた。
: この年は、[[チュドノフスキー兄弟]]と[[金田康正]]・[[田村良明]]によって激しい計算競争が行われた。
: {{Flagicon|RUS}}'''[値]'''(4.80億) 5月に[[デビッド・チュドノフスキー]]と[[グレゴリー・チュドノフスキー]]によって4億8000万桁まで計算された。
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(4.80億) 5月に[[デビッド・チュドノフスキー]]と[[グレゴリー・チュドノフスキー]]によって4億8000万桁まで計算された。
: {{Flagicon|JPN}}'''[値]'''(5.36億) 7月に金田康正と田村良明によって5億3687万898桁まで計算された。
: {{Flagicon|JPN}}'''[値]'''(5.36億) 7月に金田康正と田村良明によって5億3687万898桁まで計算された。
: {{Flagicon|RUS}}'''[値]'''(10.1億) 8月にデビッド・チュドノフスキーとグレゴリー・チュドノフスキーによって10億1119万6691桁まで計算された。
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(10.1億) 8月にデビッド・チュドノフスキーとグレゴリー・チュドノフスキーによって10億1119万6691桁まで計算された。
: {{Flagicon|JPN}}'''[値]'''(10.7億) 11月に金田康正と田村良明によって10億7374万1799桁まで計算された。
: {{Flagicon|JPN}}'''[値]'''(10.7億) 11月に金田康正と田村良明によって10億7374万1799桁まで計算された。<ref>[[#金田1991|金田 1991]]</ref>
;[[1990年]]
;[[1990年]]
: {{Flagicon|JPN}}'''[値]''' [[若松登志樹]]が[[富士通]]のパソコン[[FM-TOWNS]]を用いて[[シュテルマーの公式]]
: {{Flagicon|JPN}}'''[値]''' [[若松登志樹]]が[[富士通]]のパソコン[[FM-TOWNS]]を用いて[[シュテルマーの公式]]
158行目: 170行目:
: により100万118桁まで計算。
: により100万118桁まで計算。
;[[1994年]]
;[[1994年]]
: {{Flagicon|RUS}}'''[法]''' チュドノフスキー兄弟によって無限級数
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: {{Flagicon|FRA}}'''[値]'''(2.69兆) [[フランス]]の[[ファブリス・ベラール]]が、[[Intel Core i7]]を搭載したデスクトップPCでチュドノフスキーの級数を用いて2兆6999億9999万桁まで計算し、世界記録を樹立した。バイナリーでの計算に103日、検算に13日。データ量1137GB<ref>[2010年1月12日読売夕刊12面]</ref>。2.93GHzのクアッドコアプロセッサ、6GBのメモリ、7.5TBのストレージを搭載したデスクトップPCを使用し、検証計算を含めて131日を要した<ref>http://bellard.org/pi/pi2700e9/announce.html</ref>。
;[[2010年]]
;[[2010年]]
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: {{Flagicon|JPN}}{{Flagicon|USA}}'''[値]'''(5兆) [[長野県]][[飯田市]]の会社員近藤茂と米国のアレクサンダー・J・イーが、3カ月かけてパソコンで小数点以下5兆桁まで計算した<ref>{{cite news |title=円周率5兆けた、PCで計算 長野の会社員、3カかけ|newspaper=朝日新聞|date=2010-08-05|url=http://www.asahi.com/science/update/0804/TKY201008040488.html}} {{リンク切れ|date=2011年4月}}</ref><ref>{{cite news |title=円周率5兆桁でギネス認定 近藤さん、10兆にも挑戦中|newspaper=共同通信|date=2011-01-19|url=http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011011901000745.html|accessdate=2011-02-27}}</ref><ref>{{cite news |title=円周率5兆けた計算、ギネスも認めた 長野の会社員|newspaper=朝日新聞|date=2011-02-13|url=http://www.asahi.com/national/update/0212/TKY201102120239.html|accessdate=2011-02-27|ref=朝20110213}}</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|author=大野栄一|authorlink=大野栄一|year=1991|month=10|title=パソコンで挑む円周率 πの歴史から計算まで|publisher=講談社|series=ブルーバックス|isbn=4-06-132889-1|ref=大野1991}}
*{{Cite book|和書|author=金田康正|authorlink=金田康正|year=1991|month=4|title=<ruby><rb>''π''</rb><rp>(</rp><rt>パイ</rt><rp>)</rp></ruby>のはなし|publisher=東京図書|isbn=4-489-00338-2|ref=金田1991}}
*{{Cite book|和書|author=ジョージ・G・ジョーゼフ|authorlink=ジョージ・G・ジョーゼフ|others=[[垣田高夫]]・[[大町比佐栄]]訳|year=1996|month=5|title=非ヨーロッパ起源の数学 もう一つの数学史|publisher=講談社|series=ブルーバックス|isbn=4-06-257120-X|ref=ジョーゼフ1996}}
*{{Cite book|和書|editor=[[田村松平]]責任編集|others=[[三田弘雄]]訳|year=1972|month=2|title=ギリシアの科学|series=世界の名著 9|publisher=中央公論社|chapter=アルキメデスの科学|ref=アルキメデス1972}}
*{{Cite book|和書|author=J・ニーバージェルト|authorlink=J・ニーバージェルト|coauthors=[[J・C・ファーラー]]・[[E・M・レインゴールド]]|others=[[浦昭二]]・[[近藤頌子]]共訳|year=1976|month=5|title=数学問題へのコンピュータアプローチ|publisher=培風館|ref=ニーバージェルトほか1976}}
*{{Cite book|和書|author=平山諦|authorlink=平山諦|year=2007|month=7|title=和算の歴史 その本質と発展|publisher=筑摩書房|series=ちくま学芸文庫|isbn=978-4-480-09084-3|url=http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480090843/|ref=平山2007}}
*{{Cite book|和書|author=ペートル・ベックマン|authorlink=ペートル・ベックマン|others=[[田尾陽一]]・[[清水韶光]]訳|year=2006|month=4|title=πの歴史|publisher=筑摩書房|series=ちくま学芸文庫|isbn=4-480-08985-3|url=http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480089854/|ref=ベックマン2006}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
*{{Cite web|last=Yee|first=Alexander J.|date=2011-04-08|url=http://www.numberworld.org/y-cruncher/|title=y-cruncher - A Multi-Threaded Pi-Program|publisher=|accessdate=2011-04-15}} - アレクサンダー・J・イーのサイト。小数点以下5兆桁まで計算したプログラムを公開している。
* [ftp://pi.super-computing.org/pub/pi10m/pi10m.ascii.01of10 円周率のはじめの百万桁]
*{{Cite web|author=金田康正|date=2010-08-10|url=http://pi2.cc.u-tokyo.ac.jp/index-j.html|title=金田研究室ホ-ムペ-ジ|publisher=|accessdate=2011-04-17}} - [[金田康正]]研究室のサイト。「[[#金田康正スーパーπ|スーパーπ]]」プログラムと円周率の計算結果を公開している。
*{{Cite web|date=|url=ftp://pi.super-computing.org/pub/pi10m/pi10m.ascii.01of10|title=円周率のはじめの百万桁|publisher=|accessdate=2011-04-15}}
*{{Cite web|date=|url=http://www.kisaragiweb.jp/pi/pi1m.htm|title=円周率 1,000,000 桁|publisher=|accessdate=2011-04-15}}


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2011年4月18日 (月) 13:29時点における版

数学定数 > 円周率 > 円周率の歴史

本記事は、円周率の歴史(えんしゅうりつのれきし)について詳述する。


円周率 π無理数なので小数で表現すると無限に長い数値になる。また、連分数で表現すると無限に長い連分数になる。その近似値は何千年にも渡り、世界中で計算されてきた。

ほとんどの目的には近似値 3.14 を使うことが多く、これで十分である。技術系では 3.1416 や 3.14159 などを使用することが多い。天気予報人工衛星などの計算では 30 桁程度の値を使用している。355113 = 3.14159292... などは覚えやすく近似精度が高い分数である。

凡例

  • [発] : 数学的事実に関する発見・論争等
  • [法] : 計算法の考案・改良等
  • [値] : 計算・値の使用
  • [値](桁数) : 計算・値の使用 (小数点以下の桁数の記録)
  • [文] : 文化・社会

国旗アイコンで国を表した。現在と国や国境が異なる歴史時代についても現在の(およその)国を示した。

年表

正多角形による評価の時代

紀元前2000年ごろ
イランの旗[値](2) 1936年スーサで発見された粘土板などから、古代バビロニアでは、正六角形の周と円周を比べ、円周率の近似値として 3, 3+17 ≒ 3.142857 , 3+18 = 3.125 などが使われたと考えられている[1]
紀元前1650年ごろ
エジプトの旗[学][値] 古代エジプトでは円周と直径の比から得られる値と、円の面積と半径の平方の比から得られる値が同じであることは知られていた。神官アハメスが書き残したリンド・パピルスには円積問題の古典的な解法の一つが記されており円の直径からその19を引いた長さを一辺とする正方形の面積と、元の円の面積が等しいとしている。この計算から円周率を計算すると、25681 ≒ 3.1605 が円周率の近似値として得られる。かなり精度が高かったものの普及はしなかった。リンド・パピルスはアハメスによって写されたものであり、内容自体はさらに紀元前1800年ごろにまで遡ると考えられている。[2]
紀元前5世紀ごろ
ギリシャの旗[学] アナクサゴラスが、アポロンへの不敬罪で投獄されている間に、円積問題に取り組んだ[3]
ギリシャの旗[法] ヘラクレアアンティフォン (Antiphon) は円に内接する正多角形の面積を求めることにより円周率を計算する方法を編み出した。アンティフォンは、それぞれの正多角形から正方形が作図できることから、円積問題が解決できると主張した。[4]
ギリシャの旗[値] すぐに同じヘラクレアのブリソン (Bryson) が、外接する正多角形の面積をも求めて内側と外側の両方から円の面積を評価し近似値を得た。
紀元前3世紀
イタリアの旗[法][値] アルキメデスは円周と直径の比と、円の面積と半径の平方の比が同じであることを証明した[5]。さらに円に外接、内接するそれぞれの正 3×2n 角形の辺の長さを pn, qn としたとき、漸化式
が成り立つことを示し、n = 1 から n = 5 まで計算することにより22371 < π < 227を求めた[6]。小数だと 3.14084 < π < 3.14286 になる。[7]
1世紀
イタリアの旗[値] ローマ帝国の著名な建築家ウィトルウィウスは、258を使った。8 で割ったほうが建築には便利だったためである。小数だと 3.125 になる。[8]
2世紀
エジプトの旗[値] 天文学者プトレマイオス377120を使った。小数だと約 3.1417 である。[9]
中華人民共和国の旗[値] 後漢太史令だった張衡は、円に外接する正方形の周と円周を比べ、円周率を√10とした。約 3.162 になる。[10]
3世紀
中華人民共和国の旗[値] 王蕃14245を用いた。約3.1555である。[11]
263年
中華人民共和国の旗[値](3) 劉徽は『九章算術』の注釈のなかで、ブリソンと同様の方法を用い 3.14+6462500 < π < 3.14+16962500であることを示している。小数では 3.141024 < π < 3.142704 となる。さらに正3072角形を用いて、3.14159という近似値も得た。[12][13]
5世紀
中華人民共和国の旗[値](6) 7世紀に編纂された隋書律暦志(外部リンク)によると、天文学者の祖沖之(そちゅうし)は、当時としては非常に正確な評価 3.1415926 < π < 3.1415927 を示した。ヨーロッパでこれほど正確な評価を得るには、16世紀まで待たねばならない。さらに、分数での近似値 227(約3.143)と 355113(約3.1415929)を与えている。[14]正確な方法は伝わっていないが、九章算術の方法を踏襲したと推測すると、上記の結果を得るには少なくとも円に内接する正24576角形の辺の長さを計算しなければならない。隋書では現代と同じ「圓周率」という語が用いられている。祖沖之の息子の祖暅(そこう)は、父とともに球の体積の計算方法を導き出したことで知られる。
500年頃
インドの旗[値] インドのアリヤバータは、円に内接する正 n 角形と正 2n 角形の周の長さの間に成り立つ関係式を求め、正384角形の周の長さから√9.8684(≒3.14156)と求めた。この平方根の近似値として39271250(=3.1416)を与えた。[15]
650年頃
インドの旗[値] インドのブラーマグプタは、正12角形、正24角形、正48角形、正96角形の周の長さから、n が大きくなるにつれ正2n×3角形の周の長さは√10に近づくとし、これを円周率とした[16]
1220年
イタリアの旗[値] イタリアのフィボナッチが円周率を864275と計算した。これは、約 3.1418 である。[17]
1400年
インドの旗[法] インドマーダヴァが無限級数
を得る。これはのちにライプニッツの公式と呼ばれるようになった。[18]
1579年
フランスの旗[値](9) フランソワ・ビエタが円に内接・外接する正393216角形の周の長さから 3.1415926535 < π < 3.1415926537 という評価をした。ビエタはさらに、無限乗積
を示し π の計算を試みた。[19]
1585年
オランダの旗[値] オランダのアドリアン・アンソニスゾーン333106 < π < 377120 と評価し、両端の平均に近い値として 355113 を得た。これは、約 3.14159292 である。[20]
15961610年
ドイツの旗[値](35) ドイツの数学者ルドルフ・ファン・コイレンは、正4611686018427387904 (=262) 角形の辺の長さを計算し、35桁目まで π の正しい値を計算した[21][22]。この計算はコイレンの生涯をかけた計算であり、コイレン自身これを大変誇りとし、墓標にこの値を刻ませた。墓標はその後失われ、碑銘のみが伝わっている。ドイツでは彼の名にちなんで円周率をルドルフ数 (Ludolphsche Zahl) と呼ぶことがある。[23]

コイレンの時代までで、正多角形の辺を増やすだけの力ずくの計算の時代は終わり、評価式の本質的な改良が行われるようになっていく。17世紀は多くの評価式が生まれ、コイレンの生涯をかけた 35桁までの計算も非常に簡単に求められるようになる。

1663年
日本の旗[値] 村松茂清が『算俎』を著し、円に内接する正2n角形 (2≤n≤15) の辺の長さから π ≒ 3.1415 92648 77769 88692 48とし、小数点以下7桁まで正しい値を求めた。コイレンなどの計算には遠く及ばないものの、中国などを通じて入ってくる算書に頼り切ってきた和算と違い、はじめて数学的な方法で円周率を計算し発表した和算家が村松である。

計算式の改良の時代

1621年
オランダの旗 [法][値] オランダのウィレブロード・スネル・スネリウスが、円周の長さの評価式を与える。
この式と円に内接・外接する正 6 角形から 3.14022 < π < 3.14160 と評価した。この式の証明はホイヘンスによって与えられ、さらにホイヘンスによって改良された結果、正六角形を用いただけで 3.1415926533 < π < 3.1415926538 と評価できるまでになった。[24]
1655年
イギリスの旗[法] イギリスのウォリスは無限乗積
を示した。ビエタの公式のように根号が無いため計算はしやすいが、収束はとても遅い。[25]
同じくイギリスのブラウンカーが、連分数を用いた公式
を示した。[26]
1665年
イギリスの旗[学] イギリスの政治哲学者ホッブズ円積問題の解を公表し、ウォリスとの間で論争になる。ホッブズは死ぬまで厳密解と近似解の違いを理解できずに論争を続けた。[27]
1671年
イギリスの旗[法] スコットランドのグレゴリーにより、グレゴリー級数
が発見される。これとは独立に1674年ライプニッツも同じ発見をしており、グレゴリー・ライプニッツ級数とも呼ばれる。ライプニッツは x = 1 を代入し マーダヴァと同じ無限級数を得た。[28]
1681年
日本の旗[値] の作成にあたって円周率の近似値が必要になったため、関孝和が正 131072 角形を使って小数第 16 位まで算出した。関が最終的に採用した近似値は「3.1415926535微弱」というものだった[29]が、エイトケン補外を用いた途中計算では小数第 16 位まで正確に求めている[30]。西洋でエイトケン補外が再発見されたのは1876年、H.von.Nägelsbachによってである[30][31]
1699年
イギリスの旗[値](72) イギリス人のシャープがグレゴリー・ライプニッツ級数に x = 1√3 を入れ、π を小数第 72 位まで求めた[32]
1706年
イギリスの旗[法][値](100) イギリスのジョン・マチンマチンの公式
を発見する。さらに、この関係式にグレゴリ・ライプニッツ級数を用いて小数第 100 位までの円周率を求めた。[33]
イギリスの旗[文] ウィリアム・ジョーンズが初めて π を円周率の意味で用いた。1748年オイラーも同じ記法を用いたことで円周率を π と表記することが広まった。[34]
1719年
フランスの旗[値](127) フランスのトーマス・ラグニーが、シャープの方法で小数第 127 位まで計算を行う[35]
1722年
日本の旗[値] 建部賢弘が『綴術算経』(てつじゅつさんけい)を著し、正 1024 角形を用いて小数第 42 位まで求めた[36]。「累遍増約術」(Richardson補外)を適用し、関孝和の計算に比べて遥かに少ない計算で精度を大いに改善している。なお、ルイス・フライ・リチャードソンによる同手法の提案は1910年頃である。
1761年
ドイツの旗[学] ドイツのランベルトによって π有理数でないことが証明される[37]
18世紀中頃
ドイツの旗[法] オイラーによって、多くの π に関する式が発見される。オイラーは
を用いて、 たった1時間で円周率を小数第 20 位まで計算した。[38]
1775年
フランスの旗[学] フランスの科学アカデミーが、ギリシアの三大作図問題永久機関についての論文審査を拒否する決議をした[39]
1789年
スロベニアの旗[値](137) スロベニアの数学者ユリー・ベガは、マチンの公式を用いて小数第 140 位まで値を求め、小数第 137 位までが正しかった。この記録はその後50年破られることがなかった。[40]
1794年
フランスの旗[学] ルジャンドルによって π有理数平方根にならないことが証明される[41]
1850年頃–1873年
イギリスの旗[値](527) イギリスのウィリアム・ラザフォードとその弟子のウィリアム・シャンクスがマチンの公式を用いて桁数の記録を塗り替えた。1852年にラザフォードが小数第 441 位、シャンクスが小数第 530 位まで計算し、小数第 441 位までは両者の計算が一致していることでその計算の正しさを確認できた。しかし、arctan(15) が小数第 530 位までしか正しくなく、シャンクスの計算で正しかったのは、小数第 527 位までであった。その後、シャンクスは1872年に小数第 707 位まで達したが、この誤りが最後までつきまとった。[42]
1882年
ドイツの旗[学] リンデマンによって π代数的数でないことが証明される。これにより π超越性が証明され、円積問題も否定的に解決された。[43]
1896年
ノルウェーの旗 [法] ストーマー(Fredrik Carl Mulertz Størmer)は公式
を発見する[44][45]
1897年
アメリカ合衆国の旗[文][値] アメリカ合衆国インディアナ州の下院で医者エドウィン・グッドウィンによる円積問題解決方法を盛り込んだ議案246号が満場一致で通過した。グッドウィンの方法から得られる値は π = 3.1604, 3.2, 3.232, 4 であり、このうち 4 については公式に認められた最も不正確な円周率の値としてギネスブックに記載された。この法案は各審議会を通過していき上院に承認を求める段階にまで達した。しかし世論の批判にあい2月12日に上院によって議論の無期限延期が決められ、法案成立目前で却下された。[46]
1910年
インドの旗[法] ラマヌジャンによって、無限級数表示
が発見される。この公式は、ジョナサン&ピーター・ボールウェイン兄弟によって1987年に厳密に証明されるが、1985年ウィリアム・ゴスパーがこの公式を用いて円周率を計算し、その正確さを示している。
1945年
アメリカ合衆国の旗[値](540) ファーガソン(D.F.Ferguson)が小数第 540 位までを計算し、ウィリアム・シャンクスの誤りを指摘する。シャンクスの計算は約70年間も信用されていた。[47]

このファーガソンの計算までが手計算によるものだった。手計算の時代は誤りが起こることも多かったが、この時代の数学の成果は、現代の計算機による円周率の計算においても非常に重要な役割を果たしている。

計算機による計算の時代

19471948年
アメリカ合衆国の旗[値](808) ファーガソンは卓上計算機を使用して808桁まで求めた。この計算は、レビ・スミスジョン・レンチによっても検算され、シャンクスの計算が間違いであることが繰り返し確認された。[48][49]
1949年
アメリカ合衆国の旗[値](2037) ライトウィーズナーENIACを用いてマチンの公式により 2037桁を 70時間かけて計算した[50][51]。ENIACは第二次世界大戦において大砲の弾道計算を行うために作られたが、完成時にはすでに戦争は終わっていた。戦争以外にも計算機が有用であることを示すために円周率計算などに用いられた。
1954年
アメリカ合衆国の旗[値](3092) ニコルソンジーネルNORCを用いて3089桁を13分で計算した[52][53]
1958年
アメリカ合衆国の旗[値](1万) フランソワ・ジェニューイが、IBM 704を用いて 1万桁まで計算した[54][55]
1961年
アメリカ合衆国の旗[値](10万) ジョン・レンチとダニエル・シャンクスIBM 7090を用いて 10万桁まで計算した。計算にはシュテルマーの公式
を使用した。検算にはガウスの公式
を使用した。[56][57]
1966年
フランスの旗[値](25万) パリの原子力エネルギー委員会にあるIBM 7030を用いて25万桁まで計算した[58][59]
1967年
フランスの旗[値](50万) パリの原子力エネルギー委員会にあるCDC 6600を用いて50万桁まで計算した[60][61]
1973年
フランスの旗[値](100万) ジャン・ギューマルティーヌ・ブイエCDC 7600を用いて 100万1250桁まで計算した。
アメリカ合衆国の旗オーストラリアの旗[法] ユージン・サラミンリチャード・ブレントが独立に、算術幾何平均を用いたアルゴリズムを発見する。
1983年
日本の旗[値] 若松登志樹シャープのパソコンMZ-80Bを用いてガウスの公式
により7万1508桁まで計算。
1985年
アメリカ合衆国の旗[値](1752万) ウィリアム・ゴスパーシュリニヴァーサ・ラマヌジャンの式を用いて、1752万6200桁まで計算した。
1989年
この年は、チュドノフスキー兄弟金田康正田村良明によって激しい計算競争が行われた。
アメリカ合衆国の旗[値](4.80億) 5月にデビッド・チュドノフスキーグレゴリー・チュドノフスキーによって4億8000万桁まで計算された。
日本の旗[値](5.36億) 7月に金田康正と田村良明によって5億3687万898桁まで計算された。
アメリカ合衆国の旗[値](10.1億) 8月にデビッド・チュドノフスキーとグレゴリー・チュドノフスキーによって10億1119万6691桁まで計算された。
日本の旗[値](10.7億) 11月に金田康正と田村良明によって10億7374万1799桁まで計算された。[62]
1990年
日本の旗[値] 若松登志樹富士通のパソコンFM-TOWNSを用いてシュテルマーの公式
により100万118桁まで計算。
1994年
アメリカ合衆国の旗[法] チュドノフスキー兄弟によって無限級数
が発見された。
1995年9月19日午前0時29分
カナダの旗[法] カナダサイモン・フレーザー大学で、デビット・H・ベイリーピーター・ボールウェインサイモン・プラウフの研究チームが無限級数
を発見する。この式では二進法または十六進法n - 1 桁までを求めずに n 桁目以降の π の値を計算できる。ベイリーのウェブサイトで様々なプログラミング言語用の実装例を見ることができる。
他の位取り記数法(たとえば十進法)で同様の無限級数が存在するかは判明していない。
1997年
日本の旗[値](515億) 金田康正と高橋大介HITACHI SR2201 を用いて 4次のボールウェインのアルゴリズムにより 515億 3960万桁まで計算した。
1999年
日本の旗[値](2061億) 金田康正と高橋大介が HITACHI SR8000 を用いてガウス=ルジャンドルのアルゴリズムにより 2061億5843万桁まで計算した。
2002年
日本の旗[値](1.24兆) 金田康正が HITACHI SR8000 を用いて高野喜久雄の公式
分割有理数化法により 1兆2411億桁まで計算した。検証計算などを含めて約600時間かけた。
2009年8月
日本の旗[値](2.57兆) 筑波大学計算科学研究センターが、円周率を2兆5769億8037万桁まで計算する世界記録を樹立したと発表した。「T2K筑波システム」(毎秒95兆回)を使った。検証計算を含めて73時間36分かけた。[63]
2009年12月
フランスの旗[値](2.69兆) フランスファブリス・ベラールが、Intel Core i7を搭載したデスクトップPCでチュドノフスキーの級数を用いて2兆6999億9999万桁まで計算し、世界記録を樹立した。バイナリーでの計算に103日、検算に13日。データ量1137GB[64]。2.93GHzのクアッドコアプロセッサ、6GBのメモリ、7.5TBのストレージを搭載したデスクトップPCを使用し、検証計算を含めて131日を要した[65]
2010年
日本の旗アメリカ合衆国の旗[値](5兆) 長野県飯田市の会社員近藤茂と米国のアレクサンダー・J・イーが、3カ月かけてパソコンで小数点以下5兆桁まで計算した[66][67][68]

脚注

  1. ^ ベックマン 2006, pp.35-37, p.338.
  2. ^ ベックマン 2006, pp.38-43. 年代表(p.338)では前2000年頃としている。
  3. ^ ベックマン 2006, pp.61-62. 年代表(p.338)では前434年頃としている。
  4. ^ ベックマン 2006, pp.62-63. 年代表(p.338)では前430年頃としている。
  5. ^ 「円の計算」命題一:任意の円は、つぎのような直角三角形――すなわち、その半径が直角を挟(はさ)む一辺に等しく、円の周が底辺に等しいような直角三角形(の面積)に等しい。アルキメデス 1972, pp.482-483.
  6. ^ 「円の計算」命題三:任意の円の周はその直径の3倍よりも大きく、その超過分は直径の17よりは小さく、1071よりは大きい(31071 < π < 317)。アルキメデス 1972, pp.484-487.
  7. ^ ベックマン 2006, pp.109-114, p.338.
  8. ^ ベックマン 2006, p.100.
  9. ^ ベックマン 2006, p.126, p.338.
  10. ^ ベックマン 2006, p.47, p.338.
  11. ^ ベックマン 2006, p.338.
  12. ^ ベックマン 2006, p.48では264年としている。
  13. ^ ベックマン 2006, p.338.
  14. ^ ベックマン 2006, p.48, p.338.
  15. ^ ベックマン 2006, pp.44-45, p.338.
  16. ^ ベックマン 2006, pp.45-46, p.338.
  17. ^ ベックマン 2006, pp.143-145, p.338.
  18. ^ ジョーゼフ 1996
  19. ^ ベックマン 2006, pp.157-163.
  20. ^ ベックマン 2006, p.173.
  21. ^ Ludolph Van Ceulen”. School of Mathematics and Statistics; University of St Andrews, Scotland (2009年). 2010年9月12日閲覧。
  22. ^ David B., Williams (2009年). “Numerical Approximations of π"” (PDF). 2010年9月12日閲覧。
  23. ^ ベックマン 2006, p.174, p.339.
  24. ^ ベックマン 2006, pp.146-148,188-190, p.339.
  25. ^ ベックマン 2006, pp.213-214, p.339.
  26. ^ ベックマン 2006, pp.216-220, p.339.
  27. ^ ベックマン 2006, p.216.
  28. ^ ベックマン 2006, pp.220-222, p.339.
  29. ^ 「得三尺一寸四分一厘五毛九糸二忽六微五繊三紗五塵九埃微弱,為定周」平山 2007, pp.57-58.
  30. ^ a b 中村佳正編、可積分系の応用数理、第6章、裳華房、2000年、ISBN 4-7853-1520-2.
  31. ^ H.von.Nägelsbach, Arch.Math.Phys. 59(1876)147-192.
  32. ^ ベックマン 2006, p.236, p.339.
  33. ^ ベックマン 2006, pp.236-237, p.339.
  34. ^ ベックマン 2006, p.237, p.240, p.339.
  35. ^ ベックマン 2006, p.237, p.339.
  36. ^ ベックマン 2006, p.175, p.326.では小数点以下41桁としている。
  37. ^ ベックマン 2006, pp.280-281では1767年としている。p.339では1766年としている。
  38. ^ ベックマン 2006, p.256.
  39. ^ ベックマン 2006, p.287.
  40. ^ ベックマン 2006, p.175, p.339.
  41. ^ ベックマン 2006, p.282, p.339.
  42. ^ ベックマン 2006, pp.176-177, p.339.
  43. ^ ベックマン 2006, p.280, p.340.
  44. ^ ニーバージェルトほか 1976, p.216.
  45. ^ ベックマン 2006, p.304.
  46. ^ ベックマン 2006, pp.288-293.
  47. ^ ベックマン 2006, p.177, p.340.
  48. ^ ニーバージェルトほか 1976, p.215.
  49. ^ ベックマン 2006, p.177, p.340.
  50. ^ ニーバージェルトほか 1976, p.215.
  51. ^ ベックマン 2006, p.302, p.340.
  52. ^ ニーバージェルトほか 1976, pp.215-216.
  53. ^ ベックマン 2006, pp.302-303, p.340.
  54. ^ ニーバージェルトほか 1976, p.216.
  55. ^ ベックマン 2006, p.303, p.340.
  56. ^ ニーバージェルトほか 1976, pp.216-217.
  57. ^ ベックマン 2006, pp.303-305, p.340.
  58. ^ ニーバージェルトほか 1976, pp.216-217.
  59. ^ ベックマン 2006, p.305, p.340.
  60. ^ ニーバージェルトほか 1976, pp.216-217.
  61. ^ ベックマン 2006, p.305, p.340.
  62. ^ 金田 1991
  63. ^ 筑波大、円周率を2兆5769億8037万ケタまで計算 世界記録樹立」 NIKKEI NET、2009年8月17日。
  64. ^ [2010年1月12日読売夕刊12面]
  65. ^ http://bellard.org/pi/pi2700e9/announce.html
  66. ^ “円周率5兆けた、PCで計算 長野の会社員、3カ月かけ”. 朝日新聞. (2010年8月5日). http://www.asahi.com/science/update/0804/TKY201008040488.html  [リンク切れ]
  67. ^ “円周率5兆桁でギネス認定 近藤さん、10兆にも挑戦中”. 共同通信. (2011年1月19日). http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011011901000745.html 2011年2月27日閲覧。 
  68. ^ “円周率5兆けた計算、ギネスも認めた 長野の会社員”. 朝日新聞. (2011年2月13日). http://www.asahi.com/national/update/0212/TKY201102120239.html 2011年2月27日閲覧。 

参考文献

  • 大野栄一『パソコンで挑む円周率 πの歴史から計算まで』講談社〈ブルーバックス〉、1991年10月。ISBN 4-06-132889-1 
  • 金田康正πパイのはなし』東京図書、1991年4月。ISBN 4-489-00338-2 
  • ジョージ・G・ジョーゼフ『非ヨーロッパ起源の数学 もう一つの数学史』垣田高夫大町比佐栄訳、講談社〈ブルーバックス〉、1996年5月。ISBN 4-06-257120-X 
  • 田村松平責任編集 編「アルキメデスの科学」『ギリシアの科学』三田弘雄訳、中央公論社〈世界の名著 9〉、1972年2月。 
  • J・ニーバージェルトJ・C・ファーラーE・M・レインゴールド『数学問題へのコンピュータアプローチ』浦昭二近藤頌子共訳、培風館、1976年5月。 
  • 平山諦和算の歴史 その本質と発展』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2007年7月。ISBN 978-4-480-09084-3http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480090843/ 
  • ペートル・ベックマンπの歴史田尾陽一清水韶光訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2006年4月。ISBN 4-480-08985-3http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480089854/ 

関連項目

外部リンク