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熊澤英昭

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熊澤 英昭
くまざわ ひであき
2007年12月4日、プラハ市にて
生年月日 1943年(80 - 81歳)
出生地 日本の旗 日本 岐阜県
出身校 東京大学法学部
前職 農林水産事務次官

在任期間 2001年1月6日 - 2002年

在任期間 1998年 - 2001年

日本の旗 農林水産省経済局長

日本の旗 農林水産省畜産局長


その他の職歴
日本の旗 チェコ駐箚特命全権大使
(2005年 - 2008年)
農協共済総合研究所理事長
( - )
全国米穀取引・価格形成センター会長
( - )
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熊澤 英昭(くまざわ ひであき、1943年〈昭和18年〉 - )は、日本農林官僚の「澤」は「沢」の旧字体であるため、熊沢 英昭とも表記される。

農林水産省畜産局長、農林水産省経済局長、農林水産審議官農林水産事務次官、社団法人農協共済総合研究所理事長(第4・7代)、財団法人全国米穀取引・価格形成センター会長チェコ駐箚特命全権大使(第2代)、農林水産省退職者の会会長などを歴任した。

来歴

生い立ち

1943年岐阜県生まれ[1]東京都立上野高等学校卒業[2]東京大学法学部卒業[1]1967年農林省に入省した[1]

官僚として

農林省を改組した農林水産省においては、大臣官房総務審議官を務めたのち[1]、畜産局や経済局の局長を歴任した[1][註釈 1]1998年には農林水産審議官となり[1]、異例の長期在任を続けた事務次官高木勇樹を支えた[3]

2001年、農林水産省再編後初の事務次官に就任した[1]。ところが、牛海綿状脳症が政治問題化すると、農林水産大臣武部勤が「感染源解明は酪農家にとってそんなに大きな問題なのか」[4]「そんなに慌てることは無いです。また更にBSEは発覚しますから」などと放言を連発し、参議院問責決議案が提出される事態となった[5]。農林水産省は省内が混乱して対応が後手に回り[6]、強い批判に晒されることになった[6]酪農家らからも抗議の声が高まり、ペンキで「タケベのアホ」[7]「能なしタケベ」[8]「農水省のバカ」[9] などと書かれた「捨て牛」が熊本県徳島県など全国各地で発見される椿事が起きるほど[7]、大きな社会問題となっていった。その後、BSE問題の責任を問われ、事実上更迭される形で2002年付で退官した[10][11]。なお、熊澤の辞任に際して大臣の武部はコメントを発表し、BSE問題の責任について「組織全体として問われるべきだ」[10] と反省の弁を述べたが、自身の進退について質問されると一転して「農水省が抱える諸課題を解決していくことが私の責任の取り方」[10] と主張し、辞任を拒否している[10]

退官後

2006年12月7日、天皇誕生日祝賀レセプションにてチェコ代議院議長ミロスラフ・ブルチェク(左)、首相ミレク・トポラーネク(中央)と

退官直後、日本食肉協議会の会長である関谷俊作から「農水行政の経験からの助言をいただきたい。2月ごろから嘱託に就任してほしい」[7] と要請されるも、これを辞退した[7]2004年、農協共済総合研究所の理事長に就任した[註釈 2]。また、全国米穀取引・価格形成センターの会長にも就任した[12]

2005年から2008年にはチェコ駐箚特命全権大使を務めた。大使在任中の2005年は「日EU市民交流年」にあたることから、鬼太鼓座和太鼓公演[13]力士を招いた相撲イベント「Japonske Sumo v Praze」[14]雅楽舞楽声明の公演「創造する伝統2005」などを手掛け[15]日本文化の紹介に努めた。また、長年に渡りチェコで日本文化を紹介してきた東洋学者ヴィェンツェスラヴァ・ハドリチコヴァーの功績を讃えるため、叙勲に向けて奔走した。ハドリチコヴァーの旭日小綬章受章に際しては「両国関係の緊密化を象徴するようなこと」[16] とする祝意を述べた。また、2007年は日チェコ国交回復50周年にあたることから、大統領ヴァーツラフ・クラウスらが来日するなど要人往来も相次いだが[17]。また、アジア13か国の在チェコ大使館が協力し[17]、合同で各国の文化を紹介するイベント「Many Colours of Asia」を初めて開催した[17]

また、日本とチェコとの間で駐在員を派遣する企業、および、個人の社会保険料の負担軽減を図るため[18]、2007年6月よりチェコの労働社会省との間で交渉を開始した[19]。最終的に、労働社会大臣を兼務する副首相ペトル・ネチャスとの間で「社会保障に関する日本国とチェコ共和国との間の協定」の締結にこぎつけた[19]

なお、大使退任後、再び農協共済総合研究所の理事長となった[20]

2021年、東京高裁により懲役6年の判決を受ける[21]

略歴

2006年12月7日、天皇誕生日祝賀レセプションにてプラハ・カレル大学哲学部准教授ヴィェンツェスラヴァ・ハドリチコヴァー(左)と
2007年12月4日、天皇誕生日祝賀レセプションにてチェコの大統領夫人リヴィア・クラウソヴァー(左)、首相ミレク・トポラーネク(中央)と

脚注

註釈

  1. ^ 農林水産省畜産局は、のちに農林水産省生産局畜産部の源流の一つとなった。
  2. ^ 社団法人農協共済総合研究所は、のちに一般社団法人JA共済総合研究所の源流の一つとなった。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 「農林水産省人事(1月6日付)――新農水省がスタート」『農業協同組合新聞農協協会
  2. ^ “無職の息子を殺した官僚は器が大きすぎた "最後まで毅然とした態度を貫いた"”. PRESIDENT. (2019年7月19日). https://president.jp/articles/-/29157 2022年1月28日閲覧。 
  3. ^ 生田忠秀「農林水産省“高木長期体制”の弊害」『農林水産省“高木長期体制”の弊害:生田忠秀 | 記事 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト新潮社2000年11月
  4. ^ 日本経済新聞日本経済新聞社2001年12月27日、31面。
  5. ^ 「議案情報」『農林水産大臣武部勤君問責決議案:参議院参議院2002年4月5日
  6. ^ a b BSE問題に関する調査検討委員会『BSE問題に関する調査検討委員会報告』2002年4月2日
  7. ^ a b c d 土門剛「“アンタッチャブル”な食肉の世界」『“アンタッチャブル”な食肉の世界』農業技術通信社、2002年3月1日
  8. ^ 「二の丸公園周辺で『捕物劇』――牛6頭放置――狂牛病で抗議?」『熊本日日新聞熊本日日新聞社2002年1月
  9. ^ 「『雪印またか』批判の落書き牛――徳島中央公園に3頭放置」『徳島新聞徳島新聞社2002年1月
  10. ^ a b c d e 「狂牛病辞任――『組織』をいうなら大臣も」『神戸新聞神戸新聞社2001年12月26日
  11. ^ 「文科省――天下りあっせん『他省庁も』――次官辞意、省内に動揺」『毎日新聞毎日新聞東京本社2017年1月19日
  12. ^ 「人物往来」全国瑞穂食糧検査協会編集『農産物検査とくほん』153号、日本農民新聞社2004年12月
  13. ^ 「和太鼓グループ『鬼太鼓座』チェコ公演の開催」『Embassy of Japan in the Czech Republic在チェコ共和国日本国大使館2005年1月24日
  14. ^ 「相撲イベント『Japonske Sumo v Praze』の開催」『Embassy of Japan in the Czech Republic在チェコ共和国日本国大使館2005年6月1日-6月3日
  15. ^ 「雅楽・舞楽・声明公演“創造する伝統2005”の開催」『Embassy of Japan in the Czech Republic在チェコ共和国日本国大使館2005年11月29日
  16. ^ 熊澤英昭「新年冒頭の御挨拶」『Embassy of Japan in the Czech Republic在チェコ共和国日本国大使館2007年1月
  17. ^ a b c 熊澤英昭「新年冒頭の御挨拶」『Embassy of Japan in the Czech Republic在チェコ共和国日本国大使館2008年1月
  18. ^ 「『社会保障に関する日本国とチェコ共和国との間の協定』について(略称:日・チェコ社会保障協定)」『外務省: 「社会保障に関する日本国とチェコ共和国との間の協定」について(略称:日・チェコ社会保障協定)外務省2008年3月
  19. ^ a b 「日・チェコ社会保障協定の署名について」『厚生労働省:日・チェコ社会保障協定の署名について厚生労働省2008年2月21日
  20. ^ 『共済総合研究 Vol.54』. 農協共済総合研究所. (2009年3月) 
  21. ^ 2019年発生の事件についてhttps://www.nikkei.com/article/DGXZQODG16DMY0W1A210C2000000/
  22. ^ 『農林水産省名鑑』 1990年 農林出版社

関連人物

関連項目

公職
先代
高橋恒一
日本の旗 チェコ駐箚特命全権大使
第2代:2005年 - 2008年
次代
原田親仁
先代
高木勇樹
日本の旗 農林水産省事務次官
2001年 - 2002年
次代
渡辺好明
非営利団体
先代
新井昌一
田原文夫
農協共済総合研究所理事長
第4代:2004年 - 2005年
第7代:2008年 - 2010年
次代
新井昌一
今尾和實