澤井道久

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澤井 道久
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中日時代、2009年4月2日(ナゴヤ球場)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市西京区
生年月日 (1979-06-25) 1979年6月25日(38歳)
身長
体重
175 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 遊撃手二塁手
プロ入り 2004年 ドラフト11巡目
初出場 2005年4月3日
最終出場 2009年4月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

澤井 道久(さわい みちひさ、1979年6月25日 - )は、京都府京都市西京区出身の元プロ野球選手内野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

京都から愛知・豊川高へ野球留学(森谷昭仁とは同郷であり同級生でもある)。地元の強豪校に進学しなかったのは「甲子園には興味がなく、プロを目指していたから」で、豊川高校に決めたのは「設備が充実していたから」という。ちなみに沢井が進路のひとつと考えていた京都の学校(3校ほど)は沢井の年代には全て甲子園出場を果たしている。東海理化にすすんでからはフィールディングに優れたショートとして知られていた。その守備力と俊足が評価され、2004年のドラフト中日ドラゴンズに11巡目で指名され入団。

プロ入り後[編集]

ルーキーイヤーの2005年、春季キャンプで同期の鎌田圭司と塁間のタイムを競い、それに勝利したためコーチに注目される。シーズンでは開幕から主に代走として一軍で活躍。荒木雅博井端弘和が負傷した際にはスタメンでも起用された。2006年からは外野も守れる様になり、貴重なユーティリティプレイヤーとして二軍では存在感を示した。ただしこの年は一軍昇格の機会はゼロだった。

2007年はオープン戦から好調を維持し、開幕一軍メンバー入りを果たす。ただしルーキーの年と違うのは走力のみならず打撃力にも期待されての抜擢である。その期待に応えるように3月30日のヤクルトとの開幕戦ではプロ入り初打点を挙げ、荒木や中村紀洋が故障した際は代わってスタメンに名を連ねることもあった。

2008年は二軍スタートだったが、5月25日の対ソフトバンク戦(ナゴヤドーム)で代走で起用され、好走塁で勝ち越し点を入れ、チームの勝利に貢献。かつて背番号48を付けた井端とともに初のお立ち台に上がった。しかし、二軍では好調だったが、一軍には定着できなかった。

2009年も前年に続き二軍スタートだったが、二軍で好成績を残し、一軍昇格。しかし、一軍では代打で安打を打てぬまま再び二軍に降格した。

2010年は一度も一軍に昇格することが出来ず、日本シリーズ期間中の同年11月1日戦力外通告を受けた。本人は現役続行を希望し、12球団合同トライアウトを受験した。しかし獲得する球団はなく、現役引退。

引退後[編集]

少年野球のベースボールスクール・ポルテの指導員となった[1]。所属はリーフラス株式会社野球事業部。また、元所属の中日が主催している少年向け野球教室の講師も務めている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2005 中日 46 22 18 19 1 0 1 0 3 0 4 1 0 0 4 0 0 3 0 .056 .227 .167 .394
2007 25 45 38 3 7 1 0 0 8 1 0 0 3 0 3 0 1 12 1 .184 .262 .211 .472
2008 7 5 4 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000 .200 .000 .200
2009 3 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:4年 81 75 63 23 8 1 1 0 11 1 4 1 0 0 8 0 1 16 1 .127 .236 .175 .411

背番号[編集]

  • 48 (2005年 - 2010年)

脚注[編集]

  1. ^ 先生プロフィール ベースボールスクール・ポルテ

関連項目[編集]