コンテンツにスキップ

毛沢東の私生活

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

毛沢東の私生活』(もうたくとうのしせいかつ)は、毛沢東付きの専任医師であった李志綏が、1980年代にアメリカ移住後に書いた回想録。1994年に世界各国で同時出版された。この本については多くの議論を呼び、中国大陸本土では出版が認められていない。

内容

[編集]

李医師はこの著作で、毛沢東の権力絶頂期から死に至るまでの二十数年に渡る私生活を日常的に目撃観察している。毛の堕落した私生活(とりわけ性生活)、文化大革命期を中心とした中国共産党内部の権力闘争、プロパガンダのすさまじい運用(大躍進政策など)、1972年のニクソン大統領の訪中前後の持病と闘いながらの毛自身の興奮などが詳細に述べられている。

他にも文化大革命が李自身の家族に及ぼした影響、医師として診た毛沢東の独特な生活態度(風呂には一切入らないなど)も具体的に述べている。ただし李自身、根拠になる証拠の日記などの物件[1]を失くしたと述べており、あとがきには記憶を元に執筆したと記している。

反論

[編集]

『毛沢東の私生活』出版後に、中国大陸在住で健在だった3人の「毛沢東」担当の専任職員(毛の秘書林克[2] と、李と共に働いていた医師の徐濤と女性看護師長の呉旭君で、この二人は夫婦)は、李の主張の誤りを証明するため中国語で反論の本を出版した(日本語版は『「毛沢東の私生活」の真相』)[3]

この本によれば李は保健医師に過ぎず、毛沢東と話をする機会はほとんどなかった。李は毛沢東の前に出ると緊張して話もできなかったし、婦長に様子を聞いて済ませ、出来るだけ毛沢東に会わないようにしてきた。重要な会議には参加する資格が無かった[4]。李は泳げず黄河を、毛沢東といっしょに泳ぐ写真は偽造であり、実際には李自身は写っていない[5]。毛沢東の側近は毛自身からの手紙を多数持っているのに李は一つも持っていない等と指摘し批判している[6]

刊行文献

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 膨大な「日記」は(迫害を恐れ)文革の最中に自ら焼却炉で処分したと述べている。
  2. ^ 林克は、経済学者凌星光(日本語訳も担当)との共著で『毛沢東の人間像 虎気質と猿気質の矛盾』(サイマル出版会、1994年)がある。
  3. ^ なおこの3名は「私生活」では、比較的好意的に回想されており、共に収まった写真も掲載されている。
  4. ^ 北海閑人『中国がひた隠す毛沢東の真実』(廖建龍訳、草思社、2005年)に「私生活」と同じ描写がある。著者は引退した中国共産党古参幹部のペンネーム。
  5. ^ しかし後に『毛沢東の私生活』に載っている写真以外にも、李が毛の非常に近くにいる様々な写真が発見されている。
  6. ^ 晩年の周恩来と毛沢東との関係を描いた高文謙『周恩来秘録 党機密文書は語る』(上・下、上村幸治訳、文藝春秋、2007年/文春文庫、2010年)でも、本書を(修正意見をいくつか加えつつ)多数引用している。著者もアメリカに亡命移住し伝記を執筆した。

関連項目

[編集]