柳家小八
柳家 小八(やなぎや こはち)は、落語の名跡。
- 柳家小八 - 後∶柳家喜多八
- 柳家小八 - 本項にて記述
Yanagiya Kohachi | |
十代目柳家小三治一門定紋「変わり羽団扇」 | |
本名 | 児玉 泰宏 |
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生年月日 | 1977年1月26日(47歳) |
出身地 | 日本・広島県 |
師匠 | 柳家喜多八 十代目柳家小三治 |
弟子 | 柳家しろ八 |
名跡 | 1. 柳家小たま (2003年 - 2006年) 2. 柳家ろべえ (2006年 - 2017年) 3. 柳家小八 (2017年 - ) |
出囃子 | 梅の栄 |
活動期間 | 2003年 - |
活動内容 | 落語家 |
配偶者 | 弁財亭和泉 |
所属 | 落語協会 |
柳家 小八(やなぎや こはち、1977年1月26日 - )は、広島県出身の落語家。落語協会所属の真打。出囃子は『外記猿』、紋は『変り羽団扇』。本名∶児玉 泰宏。妻は同じく落語家の弁財亭和泉。
来歴
[編集]近畿大学附属福山高等学校(現・近畿大学附属広島高等学校福山校)を卒業して東京農工大学工学部に進学。落語研究会に入部、落研の後輩に立川小春志がいる。
初めて落語を聴いたのは大学入学後に上京してからである。友人に誘われて落語研究会に入り、浅草演芸ホールの寄席が最初の落語。その時の出演者の一人が最初の師匠・柳家喜多八であった。その印象の強さから喜多八への弟子入りを志願し、寄席の楽屋で出待ちをするなどしたが、何度も断られる。「噺家になりたいなら、他の師匠を紹介する」とも言われたが諦めきれなかった。[要出典]
2001年3月に大学を卒業するが、就職せずにアルバイトをしながら1年半以上弟子入りを嘆願し、認められて2003年2月に入門。4月に前座になる。名は「小たま」。弟子入り後は住み込みではなく、何か用事がある時に電話で呼び出されたので、「落語家初の通信制弟子」と話すことがある。[要出典]
2006年5月、二つ目に昇進。「ろべえ」に改名。この名前は、東海道中膝栗毛の弥次郎兵衛・喜多八にちなみ、弥次郎兵衛(やじろべえ)の「ろべえ」からつけられた。
2016年5月、師匠喜多八が死去。大師匠である10代目柳家小三治門下となる。この頃真打昇進の内定が出る。
2017年3月、真打に昇進。同時に喜多八の前名である「小八」に改名した[1]。
芸歴
[編集]- 2003年
- 2月 - 柳家喜多八に入門。
- 4月 - 前座となる、前座名「小たま」。
- 2006年5月 - 二ツ目昇進、「ろべえ」と改名。
- 2016年 - 師匠喜多八死去、十代目柳家小三治門下へ移籍。
- 2017年3月 - 真打昇進、「小八」と改名。
演目
[編集]弟子
[編集]- 柳家しろ八
人物
[編集]モットーは「清く、けだるく、元気良く!」。これは、師匠である柳家喜多八のモットー「清く、けだるく、美しく」にちなむと思われる。
落語協会の2003年同期10人組で『TEN』を結成。ブログなどで情報発信をしていた[2]。他のメンバーは、古今亭文菊、三遊亭ときん、鈴々舎馬るこ、桂三木助、柳亭こみち、古今亭志ん五、古今亭駒治、柳家小平太、柳家勧之助。
脚注
[編集]- ^ “林家ひろ木、春風亭三朝ら来年真打ちに昇進”. 日刊スポーツ. (2016年12月27日) 2016年12月27日閲覧。
- ^ “TENへのご声援誠にありがとうございました(TEN公式ブログ)”. 2018年5月31日閲覧。
外部リンク
[編集]- 柳家小八 - 落語協会
- 柳家小八 (@yanagiyakohachi) - X(旧Twitter)