暗くなるまで待って (映画)

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暗くなるまで待って
Wait Until Dark
監督 テレンス・ヤング
脚本 ロバート・ハワード・カリントン
ジェーン=ハワード・カリントン
原作 フレデリック・ノット英語版
暗くなるまで待って
製作 メル・ファーラー
出演者 オードリー・ヘプバーン
アラン・アーキン
リチャード・クレンナ
エフレム・ジンバリスト・Jr
音楽 ヘンリー・マンシーニ
撮影 チャールズ・ラング
編集 ジーン・ミルフォード
製作会社 ワーナー・ブラザース
配給 アメリカ合衆国の旗 WB7
日本の旗 ワーナー・ブラザース
公開 アメリカ合衆国の旗 1967年10月26日
日本の旗 1968年5月1日[1]
上映時間 107分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $3,000,000(見積値)[2]
興行収入 アメリカ合衆国の旗 $17,550,741[3]
配給収入 日本の旗 2億2671万円[4]
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暗くなるまで待って』(くらくなるまでまって、原題: Wait Until Dark)は、1967年アメリカ合衆国サスペンス映画。監督はテレンス・ヤング、出演はオードリー・ヘプバーンアラン・アーキンなど。

フレデリック・ノット英語版による同名戯曲を映画化した作品である。なお同戯曲の舞台初演は1966年だが、その初演の前からヘプバーン主演での映画化が決まっていた(詳細は後述)。

ストーリー[編集]

写真家のサムは、降り立った空港のロビーで、見知らぬ女から一体の人形を預けられた。サムは不審に思うも、とりあえずその人形をNYのアパートまで持ち帰る。しかし実は、その人形にはヘロインが隠されており、見知らぬ女・リサは犯罪グループからそれを奪って逃走していたのだ。

人形を血眼になって探していた犯罪グループのマイク、カルリーノ、ロートの3人組は、サムのアパートを突き止める。しかしサムは外出中であり、アパートの部屋にはサムの盲目の妻・スージーがいた。3人は芝居を打ち、スージーから人形の在りかを聞き出そうとするが、彼女自身も知らないという。

スージーは目は見えないが、次々に現れる奇妙な訪問客やアパート内の不穏な空気に、ただならぬ状況であることに気付き始める。しかしそれは、これから訪れる恐怖と、3人組との死闘のはじまりに過ぎなかった。

キャスト[編集]

日本語吹替版[編集]

役名 俳優 NET
スージー・ヘンドリクス オードリー・ヘプバーン 池田昌子
ハリー・ロート アラン・アーキン 内海賢二
マイク・トールマン リチャード・クレンナ 井上孝雄
サム・ヘンドリクス エフレム・ジンバリスト・Jr 黒沢良
カルリーノ ジャック・ウェストン 滝口順平
リサ サマンサ・ジョーンズ 高島雅羅
シャトナー フランク・オブライエン
少年 ゲイリー・モーガン
ルイ ジャン・デル・ヴァル
NET版
1975年4月13日 21:00-22:55 『日曜洋画劇場』初回放送。
その他声の出演:浅井淑子/北村弘一/三枝みち子/作間功/仲木隆司
演出:春日正伸、翻訳:宇津木道子、選曲:赤塚不二夫、効果:PAG、調整:山田太平、プロデューサー:植木明、解説:淀川長治、製作:日米通信社

製作[編集]

映画化権[編集]

風と共に去りぬ』の映画化デイヴィッド・O・セルズニックに勧めたケイ・ブラウンはメル・ファーラーの友人であり、オードリー・ヘプバーンにフレデリック・ノットの新作『暗くなるまで待って』の戯曲を送っていた[5]。ヘプバーンは休暇中にまだ読まれていない出演依頼の脚本を山のように持ってきており、その中に『暗くなるまで待って』のものもあった[5]。気晴らしに読んだヘプバーンの夫メル・ファーラーはその本を気に入り、ヘプバーンにも読んでもらい、その日の午後にはヘプバーンのエージェントのカート・フリングスに電話をしている[5]。フリングスは1965年6月(ヘプバーンは『おしゃれ泥棒』の撮影前)にワーナー・ブラザースと交渉を開始した[6][7]。ワーナー・ブラザースは乗り気で、まだブロードウェイで上演されないうちに100万ドルで映画化権を買った[6][5][8]

ワーナーの製作部長のウォルター・マッキューエンは1965年6月24日、ジャック・L・ワーナー宛の手紙に「もし『暗くなるまで待って』をオードリー・ヘプバーンで進めるつもりならば、できるだけ早くそれを公表してほしいとオードリー側が言ってきている。『マイ・フェア・レディ』の二の舞を避けたいからだ。ブロードウェイで主役を演じる女優が舞台で大成功を収めれば、ブロードウェイの女優の持ち役をまたしても横取りしたと言われかねない。それは望んでいない。」と書かれていた[6]。1965年7月12日には契約が成立している[6]

撮影前[編集]

メル・ファーラーは『暗くなるまで待って』のプロデューサーで、テレンス・ヤング監督を起用、契約した[5]オードリー・ヘプバーンは『初恋』の製作中、ヤング監督の『鷲の谷』のオーディションを受けており、その際は役に合わずに落ちたものの、ヤングは彼女はいつか大物になるだろうと予言し、いつか君の方から声をかけて私に監督をやらせてくれと頼んでいた[5][9][7]

ヤングはヘプバーンを殺そうとする悪役にジョージ・C・スコットロッド・スタイガーを望んだが、二人とも断ってきた[5][7]。結局その役はアラン・アーキンに落ち着いたが、テレンス・ヤングは「アーキンにはスコットがやった場合の凶暴な凄みはなかったかもしれないが、この役に全く新しい次元、完全な感情の欠如と忘れがたい悪の本質を与えた」と語っている[5]

ヘプバーンは1966年8月末、『いつも2人で』の撮影もまだ済んでいないうちからヘアとメイクのテストを受け、『いつも2人で』に続いてジバンシィを使えなかったため、9月にはパリで既製服を買い求めた[7][10]。そのため、この映画には衣装デザインのクレジットがない[10]

そのテレンス・ヤングは『トリプル・クロス』の撮影で猛烈な嵐のため、イタリア近くのエルバ島で足止めをくっていた[7]。そのためニューヨーク到着は遅れに遅れ、ヤングはメル・ファーラーに、監督を降ろさないでくれと電報を打っている[7]。しかしジャック・ワーナーは既に監督を引き継いでもらうよう、キャロル・リードに接触していた[7]。ヘプバーンはリードを考慮することすら拒み、ヘプバーンとジャック・ワーナー、ヘプバーンのエージェントのフリングスとワーナーの製作部長のウォルター・マッキューエンの間で激烈なやりとりが交わされたが、ヘプバーンは断固として譲らなかった[7]

ヘプバーンは撮影前にローザンヌの視覚障害者の訓練を専門にしている医師について勉強し[5][7][11]、ニューヨークでは視覚障害者福祉施設(ライトハウス)で、やっと到着したテレンス・ヤングと共に数日から数週間訓練をした[12][11][13]。ヘプバーンはそこで目の見えない人々の行動や動きを観察し、点字の読み方を覚えた[5]。テレンス・ヤングは「オードリーの方がはるかに覚えが速かった。目隠ししてもたちまちライトハウスの部屋や廊下を動き回れるようになった。ケトルに水を注ぎ、ガスをつけ、お湯を沸かし、ティーポットにお茶の葉を入れて、一滴もこぼさずに注げるようになった。」と語っている[5]。ヘプバーンは指先の感触で生地を見分け、音で人との距離を判断し、鏡なしで化粧をする方法を学んだ[5]。他にも電話のダイヤルの仕方を学んだり、白熱電球の発する熱を顔に感じて電球の位置を知ったりする方法も学んだ[6]。これらは『暗くなるまで待って』の中では重要な動作であった[6]

撮影[編集]

撮影は1967年1月にニューヨークで始まった[6][5][7]。ニューヨーク市長は10日の撮影期間中、交通を遮断して協力することに同意した[5][7]。何千人もの野次馬がオードリー・ヘプバーンを一目見ようと群がった[5][7]

その後ロサンゼルスへ移りスタジオ撮影が始まったが、最初のラッシュを見るなりマッキューエンはヘプバーンのトレードマークである目があまりにもキラキラと表現力が豊かなため、盲人らしくないとコンタクトレンズを入れるよう迫った[5][6][7]。当時はハードレンズしかなく、ヘプバーンは着けるのを嫌がったが、クローズアップのシーンに限ってそれを着けることに同意した[5][6][7]

映画はヨーロッパ時間で仕事をしている[5][7][14]。午前11時にスタジオ入りし、昼食抜きで撮影、午後7時には終了していた[5][7][14]。ただし午後4時にはティー・ブレイクが設けられており、キャスト全員がケーキやビスケットなどをたくさん持ち込んでいた[5][6][7][14]リチャード・クレンナは「テーブルのそばを通るだけで体重が10ポンドも増えるありさまだった。オードリーだけは別だったが。」と語っている[5]。ヘプバーンは撮影で体重が15ポンドも痩せた。監督のテレンス・ヤングは「この役はオードリーがそれまでやった中で一番大変な役だった。あまりの辛さに一日ごとに体重が減っていくのが目に見えるようだった」と述べている[5][11]。撮影は順調でキャストとスタッフの雰囲気もとても良く[15][14]、1967年4月に終了した[14][6]

公開[編集]

ワーナー・ブラザース=セヴン・アーツのお歴々はクライマックス・シーンが観客にどう受け止められるか不安であり、カリフォルニア州グレンデールの映画館で試写会を開いた[14][5]。問題のシーンになると、観客たちは大きな悲鳴をあげた[14][5]。結局ワーナーはそのままで1967年10月に映画を公開し[14][5]、ラジオ・シティの記録を破る興行収入をあげ、大ヒットした[5][7][10]。ヘプバーンは5度目のアカデミー主演女優賞にノミネートされている[5][10][14][6]

エピソード[編集]

  • 監督のテレンス・ヤングオードリー・ヘプバーンマーケット・ガーデン作戦の時に共にアルンヘムにいたことを発見している。テレンス・ヤングはイギリス軍戦車部隊長で、アルンヘムとヘプバーンの居たその近郊を徹底的に破壊する砲撃の指揮をとっていた。「もう少し左を狙っていたら(ヘプバーンを撃ってしまって)、今頃はこの仕事についていないだろう」とよく冗談を言っていたという[16][17]
  • クライマックスが始まるラスト30分間は劇場の扉に赤ランプが点き、「劇場内への途中入場はできません。しばらくロビーでお待ちください。」という掲示がかけられ、公安上許されるギリギリまで劇場内の照明を消して上映された[18][19]

作品の評価[編集]

映画雑誌『スクリーン』で「ぼくの採点表」というコーナーを持っていた映画評論家双葉十三郎氏の評価は☆☆☆☆で80点(ダンゼン優秀)[20]。これはオードリー・ヘプバーン作品では『ローマの休日』の☆☆☆☆★(85点)[21]に次いで、『麗しのサブリナ』『パリの恋人』『昼下りの情事[21]シャレード』『マイ・フェア・レディ』『いつも2人で[20]と並ぶ高得点である。

映画雑誌『キネマ旬報』1968年度第13位。

映画雑誌『スクリーン』の1969年批評家投票第9位[22]、読者投票4位[23]

Rotten Tomatoesによれば、批評家の一致した見解は「爪を噛むほどの緊張感と素晴らしい演技で、『暗くなるまで待って』は恐ろしく巧みな基本設定を最大限に活かしたコンパクトなスリラーである。」であり、23件の評論のうち高評価は96%にあたる22件で、平均点は10点満点中8.04点となっている[24]Metacriticによれば、9件の評論の全てが高評価で、平均点は100点満点中81点となっている[25]

受賞歴[編集]

出典[編集]

  1. ^ 南俊子.『シネアルバム5 オードリー・ヘプバーン』 (1971年12月20日初版発行).芳賀書店.
  2. ^ Wait Until Dark (1967)” (英語). IMDb. 2019年9月20日閲覧。
  3. ^ Wait Until Dark (1967) - Financial Information” (英語). The Numbers. 2019年9月20日閲覧。
  4. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)251頁
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa バリー・パリス (1998年5月4日). 『オードリー・ヘップバーン』下巻. 集英社 
  6. ^ a b c d e f g h i j k l アレグザンダー・ウォーカー (2003年1月20日). 『オードリー リアル・ストーリー』. 株式会社アルファベータ 
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r チャールズ・ハイアム (1986年3月15日). オードリー・ヘプバーン 映画に燃えた華麗な人生. 近代映画社 
  8. ^ ブロードウェイでの上演は1966年2月12日から。(バリー・パリス著『オードリー・ヘップバーン』下巻.1998年5月4日発行.集英社.)
  9. ^ バリー・パリス著 『オードリー・ヘプバーン』上巻 1998年5月4日初版発行
  10. ^ a b c d ジェリー・バーミリー (1997年6月13日初版発行). 『スクリーンの妖精 オードリー・ヘップバーン』. シンコー・ミュージック 
  11. ^ a b c イアン・ウッドワード (1993年12月25日初版発行). 『オードリーの愛と真実』. 日本文芸社 
  12. ^ ルカ・ドッティ (2016年6月1日(改訂版2019年)). オードリー at Home. 株式会社フォーイン スクリーンプレイ事業部 
  13. ^ ロビン・カーニー (1994年1月20日). 『ライフ・オブ・オードリー・ヘップバーン』. キネマ旬報社 
  14. ^ a b c d e f g h i エレン・アーウィン&ジェシカ・Z・ダイヤモンド (2006年9月25日). 『the audrey hepburn treasures』. 講談社 
  15. ^ ロビン・カーニー (1994年1月20日). 『ライフ・オブ・オードリー・ヘップバーン』. キネマ旬報社 
  16. ^ ショーン・ヘプバーン・フェラー (2004年5月18日). 『母、オードリーのこと』p4. 竹書房 
  17. ^ 『audrey hepburn treasures』p127. 講談社. (2006年9月25日) 
  18. ^ 『カタログ オードリー・ヘプバーン』p126. 雄鶏社. (1977年1月25日初版発行) 
  19. ^ 初公開時、および1971年リバイバル時の公式プレスシートより
  20. ^ a b 双葉十三郎 (1988年6月30日初版発行). 『ぼくの採点表2 1960年代』. トパーズ・プレス 
  21. ^ a b 双葉十三郎 (1990年10月15日初版発行). 『ぼくの採点表1 1940/1950年代』. トパーズ・プレス 
  22. ^ 『スクリーン』1969年3月号(1月発売). 近代映画社 
  23. ^ 『スクリーン』1969年5月号(3月発売). 近代映画社 
  24. ^ Wait Until Dark (1967)” (英語). Rotten Tomatoes. 2021年1月16日閲覧。
  25. ^ Wait Until Dark Reviews” (英語). Metacritic. 2021年1月16日閲覧。

外部リンク[編集]