宮崎第一中学高等学校

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旭進学園宮崎第一中学高等学校
Miyazaki Daiichi Junior & Senior Highschool 2009.JPG
過去の名称 宮崎高等無線電信講習所
宮崎電子工業高等学校
宮崎高等電波学校
宮崎電子工学院
宮崎第一高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人旭進学園
校訓 自主徹底,真理探求,融和団結
設立年月日 1963年4月1日
創立記念日 11月1日
創立者 佐藤一一
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 単位制
設置学科 文理科
普通科
国際マルチメディア科
電気科
学期 3学期制
高校コード 45506H
所在地 880-0924
宮崎県宮崎市大字郡司分字平田迫甲767
北緯31度50分57.3秒 東経131度25分26.7秒 / 北緯31.849250度 東経131.424083度 / 31.849250; 131.424083座標: 北緯31度50分57.3秒 東経131度25分26.7秒 / 北緯31.849250度 東経131.424083度 / 31.849250; 131.424083
外部リンク 学校公式サイト
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旭進学園宮崎第一中学高等学校(きょくしんがくえんみやざきだいいちちゅうがくこうとうがっこう)は学校法人旭進学園(がっこうほうじんきょくしんがくえん)(宮崎県宮崎市)が運営する私立中学校高等学校。また、学園本部も校内に存在する。

概要[編集]

歴史
創立者、佐藤一一(さとうかずいち)は1942年(昭和17年)逓信省航空局都城航空機乗員養成所本科4期生として入所した。福岡県八女市筑後航空機乗員養成所、鳥取県米子市米子航空機乗員養成所に転属後、1945年(昭和20年)終戦のため繰り上げ卒業した[1]。戦後、佐藤は宮崎県・鹿児島県で実業家として活躍した。占領軍による政策によって廃れゆく日本の伝統や文化の現実を目の当たりにした佐藤は[2]、戦後日本の行く末を案じ教育復興に生涯を捧げることを決意した。1955年(昭和30年)佐藤は全私財を投げうって宮崎高等無線電信講習所を開所した。工業系でありながらも郷土の偉人や古典、神話、修身、教育勅語などを教育に多く取り入れ日本文化の固持に務める教育方針であった[3]1965年(昭和40年)いわゆる一条校としての高等学校である、宮崎電子工業高等学校を開校。同時期に学校法人旭進学園も成立した[4]。その後、宮崎高等電波学校、宮崎電子工学院と名称を変更し、1966年(昭和41年)に旭進学園系列のしろはと保育園を開園した。1978年(昭和53年)再び学校名を旭進学園宮崎第一高等学校に変更し、普通科系と実業系を合わせた4学科を有する総合学園が完成。1994年(平成6年)に中等部が開校し中高一貫校となる。以後、学校法人旭進学園宮崎第一中学高等学校として今日に至る。毎年11月1日を創立記念日としている。2015年(平成27年)には学園創立60周年を記念して宮崎県立芸術劇場で記念式典が行われた。
設置課程・学科
  • 普通科 - 全学年1学級。部活での進学や就職を目指す。
  • 国際マルチメディア科 - 全学年2学級。情報処理と商学を学ぶ。簿記Microsoft Office Specialistの対策もカリキュラムに含まれる。
  • 電気科 - 全学年2学級。電気工事技術電子について学ぶ。第二種電気工事士資格取得を目指す。
  • 文理科 - 一般普通科高校の普通科に当たり主に大学進学を目指す。中等部から高等部へ内部進学するクラスと、高校から外部進学するクラスに分けられている。二年生まではそれぞれ習熟度によってクラスが編成され、三年生では文系と理系によってクラスが分かれる。但し内進生、外進生のそれぞれ1つ設けられる特別クラスに限っては一、二年と同様の文理混合のクラスとなる。
  • 中等部 - 中高一貫教育で、大学進学を目標としたカリキュラムが編成される。文理科に内部進学する。
建学の精神(五つの誓い)
五つの誓いとは、佐藤一一が建学の際に誓い、後に生徒に与えた訓戒である。学園訓とされている。
  ・・・健康な身体と健全なる精神
  ・・・高い人徳と教養ある品性
  ・・・勇気ある行動とたくましい根性
  ・・・正しく確かな判断力と実践
  ・・・優雅な心と優れた知性美
校訓
  • 自主徹底・真理探求・融和団結
校長訓
  • 発心・決心・継続心
五ヶ条の生徒心得
五ヶ条の生徒心得とは学園創始当初に定められたものであるが、現在では生徒手帳でのみ確認することができる。
  • 我々は、旭進学園の生徒として、常に校則を順守し、師を敬い先輩をしたい後輩を慈みます。
  • 我々は、旭進学園の生徒として、世界の平和を祈念し、常に国家社会のお役に立つように心がけ努力いたします。
  • 我々は、旭進学園の生徒として、常に切磋琢磨勉学に努めます。
  • 我々は、旭進学園の生徒として、常に信義を重んじ父母に孝、兄弟に愛、社会道徳を順守いたします。
  • 我々は、旭進学園の生徒として、常に校風と伝統の高揚に心掛け品位ある学園の建設に務めます。
校章
創立者佐藤一一が戦前パイロットとして活躍し、戦後は無線電信講習所を開設した所以で、レシプロ機(プロペラ機)の正面と無線アンテナを組み合わせた意匠となっている[5]
スクールカラー
青色が制式色に定められている。制服、校舎の色、生徒手帳からも確認できる。
スクールキャラクタ
学校PRのためジャンプ君の愛称で知られるゆるキャラよろしく、虎をデフォルメしたキャラクタが存在する。体育服やスクールバス、パンフレット、ノートなど学園グッズに数多く起用されている[6]
校歌
作詞は清武肇、作曲は柿木吾郎、編詞は生徒会。制定時期1965年。無線電信講習所時代から様々な歌詞バージョンが存在する。
同窓会組織
同窓会組織として旭進学園同窓会と宮崎第一高校硬式野球部OB会の二つが存在する。
修学旅行先の変遷
創立者である佐藤は大戦中に自国の存続の為に多くの日本人が命を落としていったのにも関わらず、その犠牲を忘れて繁栄を謳歌する日本の若者に失望していた。そんな折、佐藤は韓国に出向く機会があり、韓国の若者達が朝鮮戦争から立ち直ろうと必死な姿を目にし、いたく感動し韓国への修学旅行を決意した。

沿革[編集]

主な部活動[編集]

運動部
文化
同好会
校外部活
活動停止部活動・同好会

主な行事[編集]

1学期
2学期
  • 9月
    • 飛龍祭 - 文化の部、体育の部がそれぞれ1日ずつ行われている。
  • 10月
    • オープンスクール
  • 11月
    • 創立記念日
    • 定期講演会
    • 生徒会役員選挙 - 中等部・高等部それぞれで別途の生徒会が組織される
  • 12月
    • 強歩会 - 全校生徒で数十キロを踏破する。当初は夜通し学園から鵜戸神宮まで歩いた。現在は学園から青島の往復。
3学期

特色[編集]

  • 宮崎第一高等学校の普通科は部活での活躍によって進学や就職を目指す学科である。つまり一般的な高校の普通科とは異なる。代わりに文理科がその役を負う。
  • 宮崎県内の私立高校には珍しく系列に大学ないし、短大が存在しない。
  • スクールバスや寮の存在、駅が近いことなどが理由で県内外各地から多くの生徒が集まる。
  • 寮は文理科生専用の文理科ドミトリーとそれ以外の科専用のドミトリー(スポーツ寮)の二つが存在する。
  • 式典(入学式,卒業式)では中等部で組織されたマーチングバンドが校旗を掲台させる。
  • 校舎の設計意匠は船をモチーフにしている。この為、学園内にある学食はSHIP(シップ)の愛称で親しまれている[7]
  • 学園自ら旭進出版という出版部を保持しており佐藤一一をはじめ学園に関する書籍が幾つかがそこから発刊されている。
  • 年に一度、飛龍天馬という学園広報誌が旭進出版から発刊されている。
  • 学園が経済難になった昭和48年、同じ宮崎県出身で佐藤の友人であった西山広喜から、経済的支援を受けた[8]。ただし西山は教育は政治的に中立であるべき、という考えから、近年まで公にされていなかった[9]。体育館裏に西山の紹介と彼をしのぶ像が存在するが像に彫られている名前は西山広輝となっている。

著名な卒業生[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ [日本民間航空通史 著 佐藤一一 発刊 国書刊行会 著者紹介より]
  2. ^ [生涯現役 著 佐藤一一 発刊 宮日文化情報センター P102 L32]
  3. ^ [生涯現役 著 佐藤一一 発刊 宮日文化情報センター P102 L32]
  4. ^ [生涯現役 著 佐藤一一 発刊 宮日文化情報センター P123 L82]
  5. ^ [生涯現役 著 佐藤一一 発刊 宮日文化情報センター P36 L12]
  6. ^ [生涯現役 著 佐藤一一 発刊 宮日文化情報センター P112 L30]
  7. ^ [生涯現役 著 佐藤一一 発刊 宮日文化情報センター P292 L2]
  8. ^ [生涯現役 著 佐藤一一 発刊 宮日文化情報センター P102 L72]
  9. ^ [生涯現役 著 佐藤一一 発刊 宮日文化情報センター P102 L88]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]