大正用水

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大正用水
延長 幹線:約24km
取水 利根川
合流 早川
流域 群馬県渋川市前橋市伊勢崎市
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大正用水(たいしょうようすい)は、群馬県中南部を流れる農業用水路

概要[編集]

渋川市北橘町下箱田で利根川を水源とする広桃用水から分水し、赤城山南麓を等高線に沿って東南東に流下し、伊勢崎市香林町で早川に合流する延長約24キロメートルを幹線とする[1][2]。旧勢多郡芳賀村桂萱村大胡町城南村粕川村、旧佐波郡赤堀町で分水され、これらの地域を受益地とする[1]。支線水路は伊勢崎市香林町で分岐する管渠で延長8キロメートル[3]

沿革[編集]

  • 1900年(明治33年) - 藪塚本町伏島近蔵が測量のため私財3千円を投じたが、計画は実現しなかった[4]
  • 1917年(大正6年) - 農商務省技官可知貫一らが現地調査を行う[5]
  • 1918年(大正7年)12月 - 同年の旱魃を契機に、群馬県会で用水路開鑿を県営事業として実施することを議決[1][2]
  • 1919年(大正8年)10月 - 農商務省農務局が出版した『群馬県勢多・佐波・新田三郡土地利用計画書』に構想が掲載。10か年計画で事業費は700万円であった[5]
  • 1926年(大正15年)10月 - 大正用水期成会結成[6]
  • 1943年(昭和18年)4月 - 興亜大正用水耕地整理組合設立[1][7]
  • 1944年(昭和19年)7月21日 - 農地開発営団の事業として大胡町千貫沼で起工式[8]。業者のみならず受益地農民、学徒勤労奉仕、軍隊などを動員して施工された[9]
  • 1947年(昭和22年)9月30日 - 農地開発営団閉鎖。農林省大正用水農業水利改良事業として国営事業となる[10]
  • 1950年(1950年)4月 - 県営に移管[1]
  • 1952年(昭和27年)3月 - 竣工[1]
  • 1978年(昭和53年)県営坂東合口第二事業が完成し、竣工式が前橋商工会議所で挙行される[11]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 勢多郡誌編纂委員会 1958, pp. 1185–1187.
  2. ^ a b 前橋市史編さん委員会 1984, pp. 920–921.
  3. ^ 丑木 1983, pp. 360–366.
  4. ^ 丑木 1983, pp. 48–49.
  5. ^ a b 丑木 1983, pp. 59–66.
  6. ^ 丑木 1983, pp. 91–97.
  7. ^ 丑木 1983, pp. 97–104.
  8. ^ 丑木 1983, pp. 117–128.
  9. ^ 丑木 1983, pp. 128–142.
  10. ^ 丑木 1983, p. 169.
  11. ^ 丑木 1983, pp. 422–423.

参考文献[編集]

  • 丑木, 幸男 編『大正用水史』大正用水土地改良区、1983年5月20日。 
  • 勢多郡誌編纂委員会『勢多郡誌』勢多郡誌編纂委員会、1958年3月30日。 
  • 前橋市史編さん委員会 編『前橋市史』 5巻、前橋市、1984年2月1日。 

関連項目[編集]

  • 波志江沼 - 大正用水の水を取り入れている。
  • 群馬用水 - 大正用水よりも標高の高い地域を併走する。
  • 女堀 - 中世に掘られた未完成の用水路だが、大正用水よりも標高の低い地域を併走する。