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大山祇神社 (伊勢市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大山祇神社
所在地 三重県伊勢市宇治館町
位置 北緯34度27分30.1秒 東経136度43分30.3秒 / 北緯34.458361度 東経136.725083度 / 34.458361; 136.725083 (大山祇神社 (伊勢市))座標: 北緯34度27分30.1秒 東経136度43分30.3秒 / 北緯34.458361度 東経136.725083度 / 34.458361; 136.725083 (大山祇神社 (伊勢市))
主祭神 大山祇神
社格 皇大神宮所管社
創建 不詳
本殿の様式 神明造
別名 山神社
主な神事 神嘗祭10月22日
地図
大山祇神社の位置(三重県内)
大山祇神社
大山祇神社
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大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の所管社。内宮の宮域内、宇治橋東詰から東に進むと衛士見張所があり、見張所付近に子安神社と並び鎮座する[1]

概要

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三重県伊勢市宇治館町の伊勢神宮内宮境内に鎮座する[2]神路山の山裾にある[1][3]。内宮の所管社30社のうち第29位である[4]。旧称を「山神社」と言い、神宮式年遷宮の最初の祭儀である「山口祭」はこの神社で催行されていたとされる[1][3]。その後、御杣山の移動に伴い、山口祭の祭場が移動し、大山祇神社に捧げられることはなくなった[1]

社殿玉垣に囲まれている。伊勢神宮の摂社・末社・所管社には通例、賽銭箱は置かれていない[5]が、大山祇神社には賽銭箱が置かれている。社殿の手前にはの形をした手水鉢がある[1]。その手前にあるのが子安神社、その奥にあるのが大山祇神社[1]

祭神大山祇神(おおやまつみのかみ)[1]伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉冉命(いざなみのみこと)の子であり、山の守護神とされる[1][3]

歴史

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創建は不詳。ただし『延喜式神名帳』および『延暦儀式帳』に記載がないことから、古代には存在しなかったと推察される[6]明治5年6月(グレゴリオ暦:1872年7月)、教部省は両古書に記載のない神社を一律に神宮所管から外し、度会県および三重県管轄に移行したため、大山祇神社も神宮所管から離れることとなった[6]。県の所管に移行した大山祇神社は1879年(明治12年)以降、地元・宇治館町の産土神となった[7]

一方の神宮側では、内宮宮域にある大山祇神社と外宮宮域にある茜社(あこねやしろ)を神宮の所管に復帰すべく、神社局と内々に折衝を開始した[7]。これは、両社が神苑の中央付近にあり、神宮にとって重要な場所であることと、紅白のや傷んだ鳥居などが林立する光景が神苑の景観を損ねているという理由からであった[7]。茜社の氏子は神宮復帰を拒否したが、大山祇神社の氏子は1900年(明治33年)に自ら神宮に神宮所管への復帰を願い出た[8]。(実際には神宮司庁からの要請により願い出たようである[8]。)この願いが受け入れられ、大山祇神社とその境内社の子安神社および両社の社地174余(≒575m2)が1900年(明治33年)、内宮に編入された[9]

1924年(大正11年)3月に造り替えられた[2]

交通

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 伊勢文化舎(2008):115ページ
  2. ^ a b 宇治山田市役所 編(1929):16ページ
  3. ^ a b c 学研パブリッシング(2013):55ページ
  4. ^ 宇治山田市役所 編(1929):15 - 16ページ
  5. ^ 伊勢文化舎(2008):26ページ
  6. ^ a b 櫻井(1991):266, 272ページ
  7. ^ a b c 櫻井(1991):273ページ
  8. ^ a b 櫻井(1991):273 - 274ページ
  9. ^ 櫻井(1991):274ページ
  10. ^ a b 三重県観光連盟"伊勢神宮(内宮)の観光施設・周辺情報 - 観光三重"(2013年9月12日閲覧。)

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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