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滝祭神

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
滝祭神
所在地 三重県伊勢市宇治館町1 内宮宮域内
位置 北緯34度27分19.8秒 東経136度43分18.8秒 / 北緯34.455500度 東経136.721889度 / 34.455500; 136.721889 (滝祭神)座標: 北緯34度27分19.8秒 東経136度43分18.8秒 / 北緯34.455500度 東経136.721889度 / 34.455500; 136.721889 (滝祭神)
主祭神 瀧祭大神
社格 皇大神宮所管社
創建 延暦23年(804年)以前
本殿の様式 なし
別名 おとりつぎさん
主な神事 由貴大御饌、神嘗祭
地図
滝祭神の位置(三重県内)
滝祭神
滝祭神
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滝祭神(たきまつりのかみ)は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の所管社。内宮の宮域内、御手洗場(みたらし)のすぐ近くに鎮座する[1]

社殿を持たない神社であり、所管社でありながら別宮と同等の祭祀が捧げられる特別な神社である[1]

概要

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三重県伊勢市宇治館町、内宮の宮域に鎮座する。内宮の所管社30社のうち第1位である。内宮鎮座地を象徴する河川である五十鈴川水神祭神であるため、別宮と同様の祭祀が執行される[1]。『宇治山田市史』では

瀧祭神は古来別宮に準じて神饌を供進し奉れる神なれば、特に別宮の次、摂社の上に列せらるゝのである。

と記している[2]

地域住民からは「おとりつぎさん」として親しまれる[1]。内宮(正宮)に詣でる前に滝祭神を参拝すると、天照大神に願い事を取り次いでくれると言われている[1][3]

社殿はなく、板垣の内側には神体が祀られている[1][3]。社殿がない理由は神宮関係者にも分からず、更に物忌の奉仕まで捧げられることは謎であり、安永4年(1775年)の『大神宮儀式解』でも「深き所以有る故」としか触れられていない[4]。伊勢神宮の摂社・末社・所管社には通例、賽銭箱は置かれていない[5]が、滝祭神には賽銭箱が置かれている。

祭神

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祭神は瀧祭大神(たきまつりのおおかみ)[1]。五十鈴川の水源である[1]。五十鈴川と島路川(しまじがわ)の合流点にあり、治水を願って祀られている[1][3]

歴史

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『延暦儀式帳』に「滝祭神社」、「滝祭の地」として記載されている[6]。しかし『延喜式神名帳』や『六国史』には社名が記載されていない(式外社)[6]。『建久年中行事』には、三節祭の時に斎宮へ「滝祭の瀬」で汲み上げた五十鈴川の水をに入れ、届けられた[7]。「滝祭の瀬」の正確な位置は不明であるが、おおよそ第一鳥居から滝祭宮の間に当たると推定される[7]

奉幣が行われるようになったのは、明治以降である[8]

祭祀

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由貴大御饌(ゆきのおおみけ)の儀は、板垣の御門を開いて捧げられる[6]。滝祭神に捧げられる御飯は、内宮・荒祭宮に供されるものと同じく、神宮神田で栽培され、御稲御倉に奉納されたイネである[9]神嘗祭の折には、神嘗祭の祭儀の後、大直会を行い、続いて滝祭行事を行う[10]。由貴大御饌・滝祭行事の終了後、直会が行われる[10]。滝祭行事の後で行われる直会は、禰宜と宇治大内人の2名だけが新米と新酒を飲食することが許され、重要な神事であったことが窺える[10]

交通

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宇治橋前まで
宇治橋前から
  • 宇治橋を渡り、神苑を進み、火除橋(ひよけばし)を越え、内宮の第一鳥居をくぐると御手洗場に到達する[1]。御手洗場のすぐ南の林の中に滝祭神が鎮座する[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 伊勢文化舎 編(2008):112ページ
  2. ^ 宇治山田市役所 編(1929):9ページ
  3. ^ a b c 学研パブリッシング(2013):55ページ
  4. ^ 穂積(2013):160 - 161ページ
  5. ^ 伊勢文化舎 編(2008):26ページ
  6. ^ a b c d 櫻井(1970):165ページ
  7. ^ a b 櫻井(1970):120ページ
  8. ^ 櫻井(1970):165 - 166ページ
  9. ^ 櫻井(1970):156ページ
  10. ^ a b c 櫻井(1970):166ページ
  11. ^ a b 三重県観光連盟"伊勢神宮(内宮)の観光施設・周辺情報 - 観光三重"(2013年10月12日閲覧。)

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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