品川司

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品川 司(しながわ つかさ、本名:藤戸 光秀、旧名:韓 光秀한광수)、1910年11月15日 - 現在は消息不明)は、朝鮮忠清南道燕岐郡出身の政治運動家平和運動家頭山満門下[1]右翼

私財をつぎこんで授産所や診療所の運営を行っていた[2]

原水協に先んじて、原水爆実験禁止運動を手がけて、100万人の署名運動を起こした[3]

肩書[編集]

世論新聞社社主、平和公論社社主、(財)平和厚生会理事長、国民民主党総裁、日本民主党総裁。

略歴[編集]

自称していた略歴は右の通り[1][4]:本籍東京都、広島県出身。1938年誠進會設立、1940年専修大学経済専科卒[2]1945年国弘通信社社主、誠進會を政経社に改組。1948年世論新聞社社長就任、政経社を社団法人政経厚生会に改組。1953年6月政経厚生会を平和厚生会に改組。

1942年 「大森ホテル」の支配人を務めていた際、内紛から元経営者の親族を殺害、懲役12年が確定し服役。

1950年頃、藤戸某と養子縁組して日本に転籍

1952年頃に出所。被選挙権獲得直後より、東京を選挙区とする国政選挙を主に立候補し続ける。

1952年、東条英機らが戦犯として死刑になったときは、数寄屋橋に人を集めて平和祈願の慰霊法要を営んだ[3]

1955年第27回衆議院議員総選挙後の3月5日、有権者を戸別訪問した疑いで、公職選挙法違反で逮捕された[5]。衆院選に立候補したことに絡んで殺人前科等について報じた読売新聞を名誉棄損で提訴したが敗訴した(署名狂やら殺人前科事件)。

1956年第4回参議院議員通常選挙の選挙戦では港区中央区千代田区品川区を中心に関係諸団体の支持を背景に健闘した[6]

1968年第8回参議院議員通常選挙では、今村均元陸軍大将、松隈秀雄元専売公社総裁、大浜信泉前早稲田大学総長、嘉納履正講道館館長、川合寿人元警視総監、コロンビア・トップコロンビア・ライトなどの推薦を受けた[7]

1979年第35回衆議院議員総選挙では、宝井馬琴、将棋の升田幸三、嘉納履正元講道館館長、藤井松太郎日本国有鉄道総裁、松隈秀雄、コロンビア・ライト、前田幸蔵元日税連会長、森口忠造専修大学理事長の推薦を受けた[8]

1983年第13回参議院議員通常選挙では、赤城宗徳元農林大臣、大槻文平日経連会長、嘉納履正、灘尾弘吉元衆議院議長、松隈秀雄などの推薦を受けた[9]

選挙運動[編集]

  • 品川 司の公報は血と汗の綴りでございます故是非お目通し賜りますようお願い申し上げます」「今度こそは品川 司の出番です」の紋切型で始まる選挙公報には、政財界の錚々たる推薦者が名を連ね、紳士然とした態度で切々と訴えかける政見放送の印象と相俟って、赤尾敏大木明雄と並び称される知名度があり、終ぞ当選の栄誉に浴することは無かったものの、時折上位で健闘する場合があった。
  • 選挙では『社団法人東京都個人タクシー協会有志』の推薦や支持を受けていた時期もあり、僅かながら同協会関係者による組織票も有していた[1]
  • 選挙運動はトヨペット・クラウン(後にトヨタ・マークIIワゴン)を選挙カーに仕立て、ウグイス嬢を従えて街頭を回るという比較的オーソドックスなものであった。選挙運動には個人タクシー運転手有志が参加した他、コロムビア・トップ・ライトらが応援に立った[1]
  • 赤坂迎賓館正門に隣接する敷地に『平和厚生会・北方領土恢復運動センター』の看板を掲げた掘立小屋を構えていた[1]
  • 選挙とは無関係に、銀座新宿など繁華街で時折辻立ちを行っていた[1]

立候補歴[編集]

国民民主党 (日本 1979-1983?)[編集]

品川が1979年第35回衆議院議員総選挙(東京2区)に立候補する際に設立、自らの推薦団体とした政治団体

1980年第12回参議院議員通常選挙(東京都選出)、1983年第37回衆議院議員総選挙(東京2区)でも使用したが、同年先に施行された第13回参議院議員通常選挙(東京都選出)には無所属で立ち、その後1986年第14回参議院議員通常選挙(東京都選出)からは「日本民主党」を名乗るようになった。

日本民主党 (1953/1986?-1992?)[編集]

品川が1986年第14回参議院議員通常選挙(東京都選挙区)に出馬する際に、それ迄の「国民民主党」に代って設立、自らの推薦団体とした政治団体。1953年第26回衆議院議員総選挙に際し、既に結党されていたとする資料もある[1]

品川は「福祉国家と世界平和の確立」、「国民精神の道徳による武装」をスローガンに、首相公選、参議院比例代表制廃止、北方領土恢復などを選挙公約に立候補したが落選。 翌1987年東京都知事選挙1989年第15回参議院議員通常選挙(東京都選挙区)、1990年第39回衆議院議員総選挙(東京2区)、1992年第16回参議院議員通常選挙(東京都選出)にも「日本民主党」名義で出馬したが、いずれも惜敗した。

参考[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 『憂国・炎の人 品川 司 -その激動の半生-』
  2. ^ a b [戦いのひととき]=7 1区 品川司 車借り、運転手役も(連載)読売新聞 1958年5月15日 朝刊6ページ
  3. ^ a b [30万票を追う人たち]=9 品川司▽野々上武敏(連載)読売新聞 1959年5月21日朝刊10ページ
  4. ^ 各選挙公報より要約
  5. ^ 品川落選候補(1区)を逮捕 読売新聞 1955年3月6日朝刊7ページ
  6. ^ [参院選展望・終盤戦を迎えて]=下 せり合う革新4候補 読売新聞 1956年6月29日朝刊6ページ
  7. ^ [広告] 東京地方区/品川司 読売新聞 1968年7月6日朝刊12ページ
  8. ^ [広告] 国民民主党 読売新聞 1979年9月28日朝刊17ページ
  9. ^ [広告] 日本民主党 品川司 東京第2区 読売新聞 1983年12月17日朝刊6ページ

外部リンク[編集]