古屋貞雄

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古屋貞雄
ふるや さだお
生年月日 1889年12月20日
出生地 日本の旗 日本 山梨県東山梨郡七里村下於曽
(現山梨県甲州市)
没年月日 (1976-01-04) 1976年1月4日(86歳没)
出身校 明治大学法科専門部特科卒業
前職 弁護士
所属政党 (日本社会党→)
(左派社会党→)
日本社会党

選挙区 旧山梨県全県区
当選回数 3回
在任期間 1952年10月1日 - 1958年4月25日
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古屋 貞雄(ふるや さだお、1889年明治22年)12月20日 - 1976年昭和51年)1月4日)は、日本の政治家弁護士、社会運動家。

経歴[編集]

山梨県東山梨郡七里村下於曽(現・甲州市)出身。1919年、明治大学法科専門部特科卒業。山梨県で小作人組合を組織し、日本農民組合の役員となる。1921年、自由法曹団の弁護士となり、各地の労農運動を支援した。朝鮮や台湾でも弁護士活動を行った。

戦後、自由法曹団、日本社会党に参加。1952年10月、第25回衆議院議員総選挙山梨県全県区から出馬して当選し、以後第27回総選挙まで連続3回の当選を果たした[1]

1955年には、古屋を団長とする国会議員訪朝団で北朝鮮を訪問し金日成と会見。この時の依頼により朝鮮大学校建設資金を体に巻いて帰国し朝鮮総聯中央本部に届けた。

その後、社会党山梨県支部執行委員長、全日農中央常任委員などを歴任した。

脚注[編集]

  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』564頁。

参考文献[編集]