千住検車区

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千住検車区(せんじゅけんしゃく)は、東京都荒川区にある、東京地下鉄車両基地である。日比谷線の車両が所属している。隣接して旧千住工場を転用したメトロ車両千住事業所がある(後述)。最寄駅は南千住駅

概要[編集]

1960年(昭和35年)12月10日に千住検車区準備事務所として発足し、1961年(昭和36年)3月28日千住検車区として正式に発足して検車区業務を開始した。主な業務は、日比谷線車両の月検査と車両清掃である。

この敷地は国鉄隅田川貨物駅の旧隅田川用品庫を譲受して、日比谷線の検車区・工場として建設された。日比谷線南千住駅のすぐ北側に引き込み線があり、そこから入出庫している。

本検車区は、度重なる日比谷線の輸送力増強により収容数不足が生じ、2層構造の立体車庫構造とすることも検討された。しかし、付近は軟弱地盤のため、地盤沈下防止に多額の費用がかかることから、とりやめとなった。そして、1966年(昭和41年)に東武鉄道の西新井電車区を譲り受け、営団地下鉄竹ノ塚検車区(当時)として発足することになった。

検車区発足当時は6両編成24本収容数であったが、1971年(昭和46年)5月には運河を埋め立てて拡張工事を行い、8両編成15本が収容できる構造へ拡張された。その後、2010年(平成22年)4月には竹ノ塚検車区が千住検車区に組織統合され、同区は千住検車区竹ノ塚分室となった[1][2]

  • 敷地面積:36,068m2 車両留置能力:120両(8輌編成×15本)

配置車両[編集]

沿革[編集]

  • 1960年昭和35年)12月10日 - 千住検車区準備事務所発足。
  • 1961年(昭和36年)3月28日 - 千住検車区発足。
  • 1963年(昭和38年)6月1日 - 千住工場発足。
  • 1964年(昭和39年)1月15日 - 同年8月まで、広尾駅近くに千住検車区広尾出張所が設置される(後述)。
  • 1966年(昭和41年)2月 - 千住工場において約1年間、東西線5000系車両の定期検査が実施される。
  • 1971年(昭和46年)5月1日 - 千住検車区拡張工事完成。6両編成留置から8両編成留置対応となる。
  • 1979年(昭和54年)11月 - 月検査を竹ノ塚検車区より移管。
  • 1995年平成7年)4月 - 車両清掃を竹ノ塚検車区より移管。
  • 1996年(平成8年)4月 - 竹ノ塚検車区より所属車両を移管。
  • 2004年(平成16年)2月23日 - 日比谷線車両の定期検査を鷺沼工場へ移管し、千住工場を廃止[1]
  • 2010年(平成22年)4月1日 - 竹ノ塚検車区を組織統合し、同区は千住検車区竹ノ塚分室となる[1]

千住工場[編集]

千住工場(せんじゅこうじょう)は、千住検車区に隣接して設置されていた、営団地下鉄日比谷線の車両工場である。1963年(昭和38年)6月に発足し、長らく日比谷線車両の定期検査を施工してきた。その後、営団民営化直前の2004年平成16年)2月に半蔵門線鷺沼工場に統合され、廃止された。なお、廃止後の建屋はメトロ車両千住事業所へと転用されている(次項目)。1971年の拡張工事時には工場も拡張を実施したほか、翌1972年(昭和47年)には車体更新修繕場が設置され、3000系の更新工事(B修工事・C修工事)も施工した。

過去の検査実績[編集]

東西線5000系の検査[編集]

本工場と竹ノ塚検車区においては、日比谷線車両以外に1966年(昭和41年)2月より東西線5000系の定期検査(全重要部検査)を施工した実績がある[3]

東西線は1964年(昭和39年)に開業をしたが、東陽町延伸開業までは本格的な車両基地がなく、国鉄の三鷹電車区(現・JR東日本三鷹車両センター)の車庫の一部を借りるなどしていた。

5000系の定期検査を実施するにあたり、千住工場で実施するため、中央線山手線経由(三鷹新宿経由品川上野)で常磐線に入り、さらに北千住から東武伊勢崎線を経由して日比谷線千住工場へ自力回送して検査業務を行った[3]。その後1967年(昭和42年)4月からは竹ノ塚検車区で実施をしたが、1967年(昭和43年)に深川工場が設置され、この輸送方式は解消された。

注:当時の法定検査周期は重要部検査が1年6か月または走行距離25万km以内、全般検査は3年以内と、現在よりも大幅に短かった。

メトロ車両千住事業所[編集]

千住工場での業務廃止後は、東京地下鉄の外注先であるメトロ車両千住事業所として使用されている[4]

東京地下鉄では、各工場で実施している定期検査対象の機器の一部を関連会社のメトロ車両に委託しており、以前は機器別に中野工場小石川CR、千住工場、綾瀬工場王子検車区の5か所で分散して業務を実施していた[4]。しかし、機器の運搬に手間を要することや、場所によっては検査の作業性が悪いなど問題点があった。

問題点を改善するため、新しく集約した検査場所として千住工場建屋を2004年(平成16年)10月から2005年(平成17年)3月にかけて改修工事を実施し、2005年(平成17年)6月から業務を開始している。

主な検査機器は

現在、東京地下鉄各工場での外注検査機器については、工場で取り外し後、本事業所までトラックで運送し、検査・手入れを実施、その後トラックで各工場へ返却される。

千住検車区広尾出張所[編集]

日比谷線の建設にあたっては北千住側と中目黒側と、両端駅から建設が行われ、それぞれが別々に開業していた時期があった。北千住駅側には千住検車区が設置されたが、中目黒側には車両基地がなかった。このため、1964年(昭和39年)3月の霞ケ関 - 恵比寿間開業時に広尾駅六本木寄りに小規模な留置線が設置された。なお車両を搬入する際、未開業だった中目黒から軌道を恵比寿まで仮設して使用車両を搬入した。

この場所は千住検車区広尾出張所とされ、留置線は6両編成が3本留置できるもので、ピット設備もあり、車両の検査も行っていた[3]。その後、同年8月に東銀座 - 霞ケ関駅が開業し、出張所は廃止された。

しかし、留置線自体は残されており、8両編成3本収容の留置線へと改良された。その後も使われ続けており、現在も平日において朝ラッシュ後 - 夕方ラッシュへの日中の車両留置と夜間の車両留置に使用されている。

現在は平日朝の六本木行き電車が六本木駅到着後、回送列車として留置線に入線する。 入線した回送列車は夕方頃に中目黒へ回送列車として運行後、中目黒駅始発電車となる。 また中目黒駅始発の最終電車3本は広尾行となっており、その列車も留置線を出入りしている(その列車は翌日の広尾駅始発電車となる)

脚注[編集]

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  1. ^ a b c ネコ・パブリッシング「公式パンフレットで見る東京地下鉄車両のあゆみ」巻末年表記事。
  2. ^ 東京地下鉄「東京メトロハンドブック2010」参照
  3. ^ a b c 帝都高速度交通営団「60年のあゆみ - 営団地下鉄車両2000両突破記念 - 」
  4. ^ a b 日本鉄道車両機械技術協会「R&m」2005年7月号国内情報「千住検修場(旧千住工場)改修工事完了」参照。

参考文献[編集]

  • 帝都高速度交通営団「60年のあゆみ - 営団地下鉄車両2000両突破記念 - 」
  • 鉄道図書刊行会鉄道ピクトリアル
    • 1995年7月臨時増刊号「特集:帝都高速度交通営団」
  • 日本鉄道車両機械技術協会「ROLLINGSTOCK&MACHINERY」2005年7月号国内情報「千住検修場(旧千住工場)改修工事完了」

関連項目[編集]