佐久間悟
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名前 | ||||||
カタカナ | サクマ サトル | |||||
ラテン文字 | SAKUMA Satoru | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1963年7月7日(60歳) | |||||
出身地 | 東京都 | |||||
身長 | 177cm[1] | |||||
体重 | 67kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
監督歴 | ||||||
1998-1999 2007.8-2007.12 2011.8-2011.12 |
大宮アルディージャユース 大宮アルディージャ ヴァンフォーレ甲府 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
佐久間 悟(さくま さとる、1963年7月7日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。現在はJリーグ所属のヴァンフォーレ甲府のゼネラルマネージャー(GM)。
経歴
選手時代
城西大川越高校では高校選手権の埼玉県予選でベスト8に進出。駒澤大学に進学し、4年次にはチームの主将を務める。大学卒業後NTTに入社、大宮アルディージャの母体となるNTT関東サッカー部でプレーし、2年目に副主将、3年目からは主将を務めた。
留学・大宮時代
引退後はNTT関東と大宮で指導者としてのキャリアを経験してフロント入り。1995年にはドイツやオランダに留学し、リヌス・ミケルスの考案した指導者養成プログラム「ダッチ・ビジョン」に触れ、大きな影響を受けた。帰国後はコーチとプロ化準備室員を兼任し、2003年にS級ライセンスを取得。2004年に強化部長に就任、2006年からは強化・育成部長となった。2007年、退任した三浦俊也監督に代えてロバート・ファーベークを招聘するもチームは前半戦終了時16位と低迷。自ら指揮をとることとなった。立場としてはNTT東日本からの出向の身であり、異例のサラリーマン監督であった。就任時に掲げた残り16試合で8勝・勝ち点40到達という見通しには届かなかったものの、2007年シーズンを終了して15位と辛うじてJ1残留に成功、12月6日をもって監督を退任した。成績は5勝7敗4分。翌2008年もテクニカルディレクターとしてクラブに残ったが、9月17日をもって退団した。
甲府時代
退団から2週間後の10月1日、甲府のGMに就任。この年低迷した原因を分析し、改造に着手。長年甲府が行っていた独自セレクションの廃止や得点力不足に陥っていたFW陣の入れ替え、手薄だった守備陣の補強を積極的に行なう。その結果、2009年は終始昇格争いを繰り広げ4位に入り、さらに2010年には2位となり、チームは4年ぶりにJ1へ昇格した。2011年8月、成績不振により解任された三浦俊也の後任として監督に就任したが最後まで調子は取り戻せずチームは1年でJ2に降格。2012年は再びGMに戻ることになった。
人物
- 同年生まれの三浦俊也(元・大宮、札幌監督)とは駒澤大学の同期。2004年には強化部長となる佐久間の進言により三浦の2度目の大宮監督就任が実現し、J1昇格を果たした。2011年に三浦が甲府の監督に就任したことから、5年ぶりにタッグを組むことになった。しかし成績はふるわず、三浦の後任として自身が監督を務めることになった。
- 親会社の支援を背景に精力的な補強を行いチーム編成を主導してきたが、J1昇格以後の低迷の責任を問う声もあり、2007年4月28日甲府戦後に起きた一部サポーターの居残り事件では非難の矢面に立たされた。この居残り事件が起こる試合前にも、佐久間を批判する横断幕がゴール裏に掲出される事件が起こっている。
- バレー(元甲府、G大阪)やレアンドロ(元山形、神戸、G大阪)といったブラジル人FWにJリーグで活躍するきっかけを与えたのは佐久間である。バレーに代えて元セレソンのクリスティアン、レアンドロに代えてマルティネスを獲得した判断は即戦力を求める当時のチーム事情によるものであるが、これが裏目に出て皮肉にもバレーとレアンドロが他クラブで才能を開花させたため、いまだにサポーターからは恨み節が聞かれる。
- 2011年にJ1へ復帰した甲府であったが昇格監督だった内田の代わりに三浦を就任、またチームの中心選手だった藤田健を解雇するなど極端な人事や戦術変更を行った結果チームは1年で降格してしまい、このことを各スポーツ新聞やサカダイ・エルゴラといったサッカー専門誌、地元紙で筆頭株主もである山梨日日新聞といったメディアが挙って批判。さらにハーフナー・マイクや吉田豊といった主力選手からも不満が挙がった。佐久間は降格が決まった最終節の会見で獲得した選手の質の問題とし、自分の方針については言及していない。
- ラジオ番組で清雲栄純(元大宮監督)の声真似という微妙なネタを披露したことがある。
所属クラブ
- 城西大学付属川越高等学校
- 駒澤大学
- -1991年 NTT関東サッカー部
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1989-90 | NTT関東 | JSL2部 | 25 | 0 | 1 | 0 | |||||
1990-91 | NTT関東 | 17 | JSL2部 | 0 | 0 | 2 | 0 | ||||
通算 | 日本 | JSL2部 | |||||||||
総通算 |
1989年以前は不明。
指導歴・経歴
- NTT関東
- 1991年-1997年 コーチ
- 大宮アルディージャ
- 1998年-1999年 ユース監督
- 1999年 コーチ(ユース監督兼務)
- 2000年-2002年 ヘッドコーチ
- 2007年8月-12月 監督
- 2008年1月-9月 テクニカルディレクター
- ヴァンフォーレ甲府
- 2008年10月-2011年8月 ゼネラルマネージャー
- 2011年8月-2011年12月 監督
- 2012年- ゼネラルマネージャー
監督成績
年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
2007 | J1 | 大宮 | 15位 | 16 | 19 | 5 | 4 | 7 | - | 4回戦 |
2011 | J1 | 甲府 | - |
- 2007年は8月より(順位は最終順位)。
- 2011年は8月より。
参考文献
- 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-100-6
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-102-2
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-104-9
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8116-7
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2008』、コナミデジタルエンタテインメント、2008 ISBN 978-4-86155-846-7