京王電気軌道400形電車

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2400系2410(保存車)

京王電気軌道400形電車(けいおうでんききどう400がたでんしゃ)は、現在の京王電鉄京王線に相当する路線を運営していた京王電気軌道が1940年に投入した電車である。

概要[編集]

1940年に日本車輌製造(日車)で401 - 410の10両が製造された、京王史上初の制御車。また、501形に次ぐ3扉車である。1942年には電装が実施され、4個モーター装備の制御電動車となった。電装後は両運転台車となっていた。

1944年の京王電軌の東京急行電鉄大東急)併合時にデハ2400形2401 - 2410となった。2407は1945年5月25日の空襲で焼失し、1949年に他の被災車6両とあわせ日車で左半室両運転台の車体を新造の上復旧している。これ以外の各車については、幅が狭く車掌業務に支障する運転台脇の狭幅窓を改善するため、前後の客用扉を車体中央寄りに移設して窓幅の拡張を行った。また、ステップ廃止後、全車とも裾部張り出しの撤去を実施している。

1952年10月、2401が衝突事故で破損し、日車で復旧の際に全室構造の下り向き左片運転台となり、乗務員扉設置およびそれに伴い客用扉が窓ひとつ分後退した。この他運転台以外の前面窓2枚の2段窓化、連結面寄り側面の狭幅窓が埋められる等、他車と異なる特徴を有した。

1960年に2407が2010系の付随車「スモールマルティー」(t) に改造され、サハ2504となった。これ以外の非戦災車9両について同改造が実施されたものはない。

昇圧前最終期にはスモールマルティー改造から漏れた他形式と混結し最大5両編成で運用された。本形式は前照灯が取付式のまま2灯化されたものが多く、また片運転台車2401・2410の上り方、2409の下り方連結面は広幅貫通路が設けられ、デハ2125形2130とともにサハ2110形2116・2120を中間に挟み3両貫通編成2本を構成した。さらに、2409の上り向き運転台機器は非貫通のまま撤去され、同車は中間電動車となった。このほか、2406は上り向き片運転台で下り向きは非貫通、2402-2405・2408の5両は両運転台のままとされ、競馬場線や本線区間列車、荷物電車での単行運転用としても用いられた。このうち2405は新宿地下駅開業前に地下新線へ吊り降ろし搬入され、試運転および習熟運転に供された。

1963年の架線電圧1500V昇圧時に2402 - 2406・2408が廃車され、広幅貫通路が設置された2401・2409・2410は井の頭線車両の電装品を流用し、支線用の220系デハ221・クハ232・デハ222に改造された。

車内の様子
庄内交通モハ8廃車体(現存せず)

廃車後の1964年に2405が東洋工機での改造の上庄内交通へ譲渡され同社湯野浜線モハ8となり、京王より一足先に入線していた戦災復旧車デハ2119改造のモハ7とともに1975年の同線廃線まで使用された。2402・2404・2408は東急車輛製造で改造の上京福電気鉄道へ譲渡され、同社福井支社(現・えちぜん鉄道)ホデハ261形(後にモハ261形)262・263・261となり、同型車2両編成の他、京王同様13 - 14m級の小型車で長編成を組み主力としていた阪神電気鉄道の急行用861形を制御車に改造したホクハ31形と編成を組み使用されたが、1976年に廃車されている。

いずれも現在は解体されており、現存するのは下記の2410のみである。

保存[編集]

2410が京王れーるランドにて保存・一般公開されている。1963年の京王線架線電圧1500V昇圧に伴い廃車される予定であったが、220系(デハ222)へ改造され昇圧後も京王線で運行された後、1969年11月の京王線ATS化に伴い同年10月に運用離脱し、桜上水工場にて修復され(ただし、側面はオリジナル車と異なり、デハ220形への改造時に、乗務員室・扉の設置、および客扉が移設されている)、京王動物園線多摩動物公園駅前に保存車として設置されていたが、高幡不動検車区の職員によって補修・修繕が行われた後、京王電鉄平山研修センター・京王資料館に移動して保存(一般非公開、特別なイベント時のみ公開が行われていた)[1]、さらに2013年4月に京王れーるランドでの保存展示に備えて再び多摩動物公園駅付近に移設され、同年10月10日の同施設リニューアルオープン時から公開されている[2]

脚注[編集]

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参考文献[編集]

雑誌記事[編集]

  • 鉄道ピクトリアル』通巻734号「特集 京王電鉄」(2003年7月・電気車研究会)
    • 「京王電鉄 現有車両プロフィール」 pp. 212-239