バレーボールオランダ男子代表
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バレーボールオランダ男子代表 | |
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国または地域 | オランダ |
大陸連盟 | 欧州バレーボール連盟 |
協会 | オランダバレーボール連盟 |
監督 | ロベルト・ピアッツァ |
国名コード | NED(Netherlands) |
FIVBランキング | 13位(2024年3月版)[1] |
オリンピック | |
出場回数 | 6回 |
初出場 | 1964 東京 |
最高成績 | 金メダル(1996) |
世界選手権 | |
出場回数 | 11回 |
初出場 | 1949 世界選手権 |
最高成績 | 銀メダル(1994) |
ワールドカップ | |
出場回数 | 2回 |
初出場 | 1965 ワールドカップ |
最高成績 | 準優勝(1995) |
欧州選手権 | |
出場回数 | 22回 |
最高成績 | 優勝(1997) |
バレーボールオランダ男子代表は、バレーボールの国際大会で編成されるオランダの男子バレーボールナショナルチームである。
歴史
[編集]1947年に国際バレーボール連盟へ加盟[2]。1940年代の世界選手権、欧州選手権の第1回大会に初出場、バレーボールがオリンピックの正式種目となった1964年東京オリンピックにも初出場を果たした。
1980年代後半から力をつけ始め、1989年欧州選手権でチーム初の銅メダルを獲得すると、1990年代に世界一の高さと攻撃力を誇る強豪国へ躍進し、1992年バルセロナオリンピックで銀メダルを獲得。1994年世界選手権、1995年ワールドカップでも銀メダルを獲得するものの、あと一歩のところで金メダルには手が届かなかった。しかし、オリンピック前哨戦の自国開催の1996年ワールドリーグで初優勝。1996年アトランタオリンピックでは決勝で世界選手権2連覇中のイタリアをフルセットの激闘の末に破り、万年2位の汚名を返上するとともに悲願の金メダルを獲得した[3]。さらに翌1997年欧州選手権で初優勝を果たし、FIVBランキング1位へと昇りつめた[4]。
2000年代に入り、代表選手が入れ替わると成績は低迷し、2006年世界選手権大陸予選プレーオフで敗退。20年ぶりに世界選手権の出場権を逃がし、その影響でFIVBランキングも24位と大きく落ち込んだ。また、2010年世界選手権大陸予選も3次ラウンドで敗退、2011年欧州選手権予選も3次ラウンド・プレーオフで新興チームのエストニアに完敗し、1983年大会から連続出場していた欧州選手権も28年ぶりに出場権を失った[5]。
過去の成績
[編集]オリンピックの成績
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世界選手権の成績
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ワールドカップの成績
[編集]欧州選手権の成績
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ワールドリーグの成績
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歴代代表監督
[編集]- ペーター・ブランジェ(2006-2011年)
- エドウィン・ベン
- ギド・ヴァーミューレン
- ロベルト・ピアッツァ
歴代代表選手
[編集]- ペーター・ブランジェ
- オロフ・ファンダールミューレン
- アヴィタル・セリンジャー
- エドウィン・ベン
- ロン・ズベルフェル
- ヒド・イェルツェン
- バス・ファンデホール
- マイク・ファンデホール
- タイス・テルホースト
- ディック・コーイ
- ニミル・アブデル=アジズ
脚注
[編集]- ^ “FIVB Senior World Ranking - Men”. FIVB. 2024年3月8日閲覧。
- ^ “Confédération Européenne de Volleyball (CEV)”. FIVB. 2015年4月6日閲覧。
- ^ “1998年バレーボール世界選手権 - 男子出場チーム オランダ”. TBS. 2009年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月15日閲覧。
- ^ “1998年バレーボール世界選手権 - 男子出場チーム 世界ランキング”. TBS. 2009年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月15日閲覧。
- ^ “Estonia qualifies for finals, Dutchmen out for the first time since 1983!”. CEV (2010年9月12日). 2010年9月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月15日閲覧。