トミ藤山

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トミ 藤山
別名 山路智子、トミー藤山
生誕 (1940-01-10) 1940年1月10日(77歳)
職業 歌手
担当楽器 ギター
活動期間 1953年-
レーベル

テイチク・レコード(1953年-?)

日本コロムビア(1959年-)

トミ藤山 (1940年1月10日 - ) は、愛知県名古屋市出身のカントリー歌手。日本人女性で初めて『グランド・オール・オープリー』に出演した。

経歴[編集]

初期[編集]

1940年1月10日、愛知県名古屋市で生まれた。幼少時より、音楽好きな父親の影響で歌い始め、10代で山路智子の名で地元で歌手としての成功をおさめた[1] [2]。1953年、上京してテイチク・レコードと契約して歌謡曲でデビューした[3]英語は話せなかったが、その直後にカントリーに転向するとすぐに米軍基地内のクラブで歌うよう依頼され、多くの演奏機会を得た[1]。アメリカ人にとって「智子」は発音しづらいため「トミ」と呼ばれるようになった[1][3][4]。日本でテレビ放送が開始された頃の1954年、オリエンタル・カレーのコマーシャル曲を歌って長年使用され、現在でも「オリエンタル・カレーの少女」として認識されている[1]。 1959年、日本コロムビアに移籍し、名誉会長の藤山愛一郎および歌手の藤山一郎にあやかり芸名を「トミ藤山」と名付けれられた[1][3]。日本コロムビアでの最初の5年間で、当時の日本で名高い音楽家をバックに21枚のシングルおよび7枚のアルバムをレコーディングした[1][3]

アメリカでの活躍[編集]

1950年代から1960年代、米軍キャンプやクラブなどで精力的に活動した[3]。1964年、米軍キャンプでの活躍が認められ、渡米してラスベガスミント・ホテルでショーを始めたが、英語の契約書が読めず1日3回から4回公演を週7日つまり無休で契約してしまい、さらに6週間単位の契約が12回更新された[3][5]。同年11月9日、ミント・ホテルでのショーが評判を呼び、日本人女性として初めてカントリーの本場であるテネシー州ナッシュビルライマン公会堂での『グランド・オール・オープリー』の39周年記念放送でジョニー・キャッシュの次に出演した[3][5]。『テネシー・ワルツ』を歌い、約150cmの小柄な体と小さな語り口調からは想像つかない歌声からこの日唯一のスタンディングオベーションを受け、3回アンコールに応えた[3][6][5]。この模様はAP通信より全世界に向け発信されて多数の新聞社が記事にしたが、日本では全く報道されなかった[3]。同年、ABCの人気バラエティー番組『レス・クレイン・ショー』およびCBSの『ダニー・トーマス・ショー』に出演した[3]。1965年、『ロンリー・トゥギャザー』がアメリカで5万枚以上を売り上げ、カントリー部門で日本人初のチャートインを果たした[3][4]。1年半のアメリカでの活動後に帰国した[3]。1966年、ベトナム戦争中、米軍からの要請により米軍慰問団に参加し、3ヶ月間、ベトナム各地のキャンプを慰問してまわり、帰国後、台湾フィリピンタイ南ベトナムグアムサイパンなど極東地域の米軍キャンプ内のクラブで活動を行なった[3][7]

引退および復帰[編集]

1970年代中期、結婚を機に引退したが、1980年代後期から1990年代初頭にかけて、復帰への意欲と葛藤しながら過ごしていた[1]。1994年6月21日、ベスト盤『トミー藤山 カントリー・ヒット』が出版された[1]。1995年、15年ぶりに復帰した[3]。新しいアルバムのレコーディングのためナッシュビルを訪れ、1964年に『グランド・オール・オープリー』に紹介したビル・アンダーソンと30年ぶりに再会し、アンダーソンはデュエットを申し出てて多くのトップ・ミュージシャンと共にアルバム『ロンリー・トゥギャザー』のリメイクをレコーディングし、1996年3月21日に日本クラウンからリリースされて多くの称賛を得た[1][3]。1997年8月、ナッシュビルのラジオ局WSMで放送している『ミッドナイト・ジャンボリー』に出演するため再渡米した[1][3]。1999年、実力を海外で試すべく、アルバム『ロンリー・トゥギャザー』から『ブギ・ウギ・ヨーデル』のサンプルCDをコムストック・レコードからアメリカやヨーロッパの放送局に配布し、インディーズでのキャリアが始まり[1]、インディーズ部門で第5位、ヨーロッパでは総合第14位を獲得した[3]。2000年2月、別のシングル・カット『グッドモーニング・サンシャイン』はヨーロッパのカントリー・チャートで第14位を獲得した[1]

ドキュメンタリー『Made in Japan[編集]

2004年、映画監督ジョシュ・ビショップは日本人ジャズ歌手と結婚した[8]。同年、妻がボーカルレッスンを受けていた藤山と出会い、翌年より自費でドキュメンタリーを製作し始めた[8]。この映画は1964年にグランド・オール・オープリーに出演した藤山が40年後に再度オープリーに出演すべくこれまでの軌跡をたどるドキュメンタリーであり、ビショップは2010年頃の離婚後も継続して10年以上かけて製作した[9][8]。題名は藤山がよく「Made in Japan 」と語っていたことから名付けられた[8]。2015年3月17日、テキサス州オースティンで行われたサウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)で、イライジャ・ウッドおよびモーガン・スパーロックエグゼクティブ・プロデューサー、ジョシュ・ビショップが監督、藤山が主演したドキュメンタリー『Made in Japan 』が封切られた[9][10]。ウッドはさらにこの映画のナレーターも務めた[10]。公開記念ライヴではハンク・ウィリアムズの『ユア・チーティン・ハート』やパッツィ・クラインの『クレイジー』などを演奏して称賛を受けた[9]。またナッシュビル映画祭でこの映画は審査員特別賞を受賞した[5]。現在もアメリカを中心に世界中の映画祭で『Made in Japan 』が上映され、その多くに藤山自身も出席している。

ディスコグラフィ[編集]

アルバム[編集]

  • 1994年、カントリー・ヒット
  • 1995年、ロンリー・トゥギャザー
  • 2002年、GOLD-Visit in America-
  • 2010年、昭和歌謡名曲選

シングル[編集]

  • 1999年、ブギ・ウギ・ヨーデル
  • 2000年、グッドモーニング・サンシャイン

著書[編集]

その他[編集]

出演歴[編集]

コンサート、ライヴ[編集]

  • 1964年、ミント・ホテル(ネバダ州ラスベガス)
  • 2001年10月、キウイ・カントリーミュージック・フェスティバル(ニュージーランドオークランド)
  • 2003年、タイ王国バンコクライヴwith Dr. K Project(日本人カントリーバンド初)
  • 2004年、自叙伝『ころび 転ぶよ 音楽人生』出版記念コンサート(共演: かまやつひろし森山良子なぎら健壱
  • 2004年、コンサートwith廣木光一(浜離宮朝日ホール)
  • 2005年、コンサートwith廣木光一、国府弘子(ヤクルトホール)
  • 2006年3月、NHKラジオ深夜便の集い
  • 2006年10月、トミ藤山・わがままコンサート~TOMI IN THE BOX~(草月ホール)
  • 2007年10月、トミ藤山わがままコンサートPart.2(草月ホール)
  • 2008年、祝春一番(服部緑地)
  • 2008年、ライヴ(ブルース・アレイ・ジャパン)
  • 2009年、バースデーライヴ(高円寺・JIROKICHI)
  • 2009年、札幌ばんけい・ジャズ・フェスティバル
  • 2010年、古稀バースデーライヴ(高円寺・JIROKICHI)
  • 2010年、コンサート(浅草公会堂)
  • 2011年、バースデーライヴ(高円寺・JIROKICHI)
  • 2011年、ラジオ深夜便再現コンサートwith室町澄子(渋谷公園通りクラシックス)
  • 2011年、ライヴwith早川岳晴(下北沢LADY JANE)
  • 2011年、元気の出るコンサート(伊那市生涯学習センター)
  • 2011年、2Daysライヴ(札幌キコキコ商店)
  • 2011年、寒川アメリカンミュージック・チャリティコンサート
  • 2012年3月30日、トミ藤山 カントリーナイト(コージーサークル)
  • 2012年4月8日、ラジオ深夜便「再会」Vol.3(渋谷公園通りクラシックス)
  • 2012年5月13日、トミ藤山 Country Live 2012 Vol.7(松山ライブ&バー・ルシール)
  • 2012年7月6日、トミ藤山 カントリーナイト(コージーサークル)
  • 2012年10月14日、ラジオ深夜便「再会」Vol.4(渋谷公園通りクラシックス)
  • 2012年10月24日、ミュージック・シティ・ルーツ with アリソン・ブラウン
  • 2012年10月27日、ブルーグラス・アンダーグラウンド with ラルフ・スタンリー
  • 2012年11月17日、カントリー&ウエスタン・ライヴ(宇都宮ブロンコ)

ラジオ[編集]

テレビ[編集]

映画[編集]

  • 2015年、Made in Japan (ドキュメンタリー、ジョシュ・ビショップ監督)

脚注[編集]

外部リンク[編集]