トミー・アルドリッジ

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トミー・アルドリッジ
Tommy Aldridge
Thin Lizzy (15).JPG
2007年6月2日、シン・リジィとして『Gods of Metal』でのパフォーマンス
基本情報
生誕 (1950-08-15) 1950年8月15日(68歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミシシッピ州ジャクソン
ジャンル ハードロックヘヴィ・メタル
職業 ドラマー
担当楽器 ドラムスパーカッション
活動期間 1970年 - 現在
共同作業者 ブラック・オーク・アーカンソー
パット・トラヴァース
ゲイリー・ムーア
オジー・オズボーン
モーターヘッドホワイトスネイクシン・リジィ
テッド・ニュージェント
ヴィニー・ムーア
公式サイト tommyaldridge.com

トミー・アルドリッジTommy Aldridge 1950年8月15日 - ミシシッピ州ジャクソン出身[1])はアメリカHR/HMドラマー

ブラック・オーク・アーカンソーパット・トラヴァースオジー・オズボーンホワイトスネイクゲイリー・ムーアテッド・ニュージェントシン・リジィほか、数多くのHR/HMミュージシャンと共演している。

ビートルズクリームジミ・ヘンドリックスレッド・ツェッペリンなどに感化され、ジョー・モレロジョン・ボーナムといったドラマーに影響を受けた。ヘヴィメタル界におけるツーバス奏者のパイオニアの1人でもある。

ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において44位。

キャリア[編集]

1970年にブラック・オーク・アーカンソーに加入。1972年から1976年までの間に9枚のアルバムを発表し、アメリカを中心としたツアーなどで活躍した。

1978年から1981年までパット・トラヴァースのバンドに加入し、5枚のアルバムに参加したほか、1981年にはゲイリー・ムーアの『ダーティ・フィンガーズ(Dirty Fingers)』のレコーディングに参加(リリースは1983年)。

次いでオジー・オズボーンにスカウトされ、彼のバンドに加入。ランディ・ローズルディ・サーゾらと組み、オズボーン初期のバンドの屋台骨を支えた[2]

オジー・オズボーン・バンドの音源では、1982年のライブ・アルバム『悪魔の囁き(Speak of the Devil)』、1983年のスタジオ・アルバム『月に吠える (Bark at the Moon)』のレコーディングに参加。『月に吠える』完成直後にオズボーンの妻シャロン・オズボーンの意向で解雇され、同アルバムのツアーにはカーマイン・アピスが後任として加入したが、ツアー途中でアピスは脱退。オズボーンはアルドリッジを呼び戻し、結局ツアーの後半はアルドリッジがプレイした。1985年に行われた「ロック・イン・リオ」(クイーン、ホワイトスネイクらとの共演)を最後にオジー・オズボーン・バンドを脱退。

1987年、デイヴィッド・カヴァデール率いるホワイトスネイクがリリースした『白蛇の紋章〜サーペンス・アルバス』収録の「スティル・オブ・ザ・ナイト(Still of the Night)」のミュージック・ビデオ撮影に参加した後、アルバムのツアーのためにカヴァデールにスカウトされ、同PVに出演したエイドリアン・ヴァンデンバーグ(ギター、元ヴァンデンバーグ)、ヴィヴィアン・キャンベル(ギター、元ディオ)、ルディ・サーゾ(ベース、元クワイエット・ライオット、オジー・オズボーン・バンド時代はアルドリッジの同僚)と共に、そのままホワイトスネイクのメンバーとなる。ホワイトスネイクは全米でブレイクし、アルドリッジは以降2年間に渡ってグループに在籍、1989年には『スリップ・オブ・ザ・タング (Slip Of The Tongue)』のレコーディングにも参加するが、この作品は商業的には前作ほどの成功を得られず、間もなくグループは解散した。

ホワイトスネイク解散後は、エイドリアン・ヴァンデンバーグ、ルディ・サーゾらと共にマニック・エデン(Manic Eden)を結成したほか、モーターヘッド、テッド・ニュージェントをはじめとした数多くのミュージシャンをサポート。1996年には、イングヴェイ・マルムスティーンCarry on Wayward Son (カンサスのカバー)のミュージック・ビデオに、脱退したアンダース・ヨハンソンの後任として出演し、「インスピレーション・ツアー」にも同行した。

2002年からは、メンバーを一新したホワイトスネイクのツアーに復帰したが、2007年に脱退(現在は復帰している)。2007年から2009年まではスコット・ゴーハムジョン・サイクスらが再結成したシン・リジィのツアーに参加。2009年にはAC/DCのとイギリス・スタジアム・ツアーがアナウンスされたが、直前にアルドリッジが事故で鎖骨を骨折するアクシデントに遭い、このプランはキャンセルされた。

膨大な数のレコーディングやライブのほか、ドラム・クリニックの主宰や様々なイベントでの演奏にも意欲的で、1980年代前半から多忙なツアー、レコーディングの合間を縫って多くの仕事を手掛けている。

趣味は自身のトレーニングを兼ねたサイクリング。

使用機材[編集]

当初はLudwigのドラムを使用していたが、後にYAMAHAのドラムに移行し、以来三十余年の長きに渡りYAMAHAのドラムを使用している。シンバルはPaiste

スティックはPRO MARKから発売されている自身のモデルを使用し、マッチドグリップで演奏する。演奏中の「スティック回し」は彼のトレードマークの一つともなっている。

ディスコグラフィ[編集]

ブラック・オーク・アーカンソー[編集]

  • If an Angel Came to See You ...
  • Street Party
  • Ain't Life Grand
  • X-Rated
  • Balls of Fire
  • High on the Hog
  • King Biscuit Flower Hour Presents Black Oak Arkansas
  • Raunch 'N' Roll Live
  • Live! Mutha
  • Ten Year Over Night Success

パット・トラヴァース・バンド[編集]

  • Heat In The Street(1978)
  • Live! Go for What You Know(1979)
  • Crash and Burn(1980)
  • Live in Concert(1992)
  • Radio Active(1981)

ゲイリー・ムーア[編集]

  • Dirty Fingers (1983)
  • Live at the Marquee (1983)

オジー・オズボーン[編集]

ホワイトスネイク[編集]

マニック・エデン[編集]

  • Manic Eden (1994)

その他[編集]

  • ルビー・スター - Scene Stealer
  • ヴィニー・ムーア - Mind's Eye
  • モーターヘッド - March ör Die
  • スティーヴ・フィスター - Age of Great Dreams
  • ハウス・オブ・ローズ - Demons Down
  • シン・リジィ - One Night Only (2000)
  • テッド・ニュージェント - Full Bluntal Nugity
  • ジョン・サイクス - 20th Century
  • パトリック・ロンダット - Amphibia, On the Edge
  • ドライバー - project DRIVER/M.A.R.S.

脚注[編集]

  1. ^ allmusic.comバイオグラフィ
  2. ^ 1981年にリリースされたオジーのセカンド・アルバム『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』のライナーノーツ、スリーブ写真には既にアルドリッジの写真が掲載されているが、実際のプレイは全編前任者のリー・カースレイクのもの。1982年3月にローズが死亡したため、オズボーン、ローズ、アルドリッジのコンビネーションが音盤で聴けるようになるには、1987年の『トリビュート〜ランディ・ローズに捧ぐ(Tribute)』(1980年から1981年に収録されたライブ音源のコンピレーション)まで待たなければならなかった。

外部リンク[編集]