スティーヴ・スティーヴンス

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スティーヴ・スティーヴンス
Steve Stevens
基本情報
出生名 Steven Bruce Schneider
生誕 (1959-05-05) 1959年5月5日(64歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
ジャンル ハードロック
ニュー・ウェイヴ
プログレッシブ・ロック
インストゥルメンタル
フラメンコ
職業 ギタリスト作曲家
担当楽器 ギターギターシンセサイザーベースキーボード
活動期間 1980年-
レーベル ワーナー・ブラザース・レコード
Ark 21
マグナ・カルタ・レコード
共同作業者 ビリー・アイドル
ヴィンス・ニール
ボジオ・レヴィン・スティーヴンス
氷室京介
公式サイト stevestevens.net

スティーヴ・スティーヴンスSteve Stevens1959年5月5日 - )は、アメリカ合衆国ロックギタリストビリー・アイドルのサポート・ギタリストとして名を馳せた後、マイケル・ジャクソンヴィンス・ニール氷室京介等、様々なミュージシャンと共演。スタジオ・ミュージシャンとしても活動し、映画『トップガン』のサウンドトラックへの参加でも知られる。モデル/スタイリスト/ファッション・デザイナーのジョシー・スティーヴンスと2008年結婚。

来歴[編集]

1980年代まで[編集]

ブルックリン出身[1]。7歳でギターを始め、その後プログレッシブ・ロックに傾倒していく[1]。また、12歳の頃に出会ったルーマニア人のギター教師の影響で、フラメンコも聴くようになった[2]

ローカル・バンドでの活動を経て、1982年、元キッスピーター・クリスと共演。同時期に元ジェネレーションXイギリス人シンガー、ビリー・アイドルと出会い、ビリーのソロ・ワークを演奏・作曲の両面でサポート。ビリーのセカンド・アルバム『反逆のアイドル』(1983年)は全英36位・全米6位の成功を収め、ニュー・ウェイヴ的な音作りとハードロック的なギターの融合が話題となった[3]

ビリーとの活動と並行し、様々なアーティストと仕事を行う。1985年にはトンプソン・ツインズのアルバムに参加し、ライヴエイドではトンプソン・ツインズ、マドンナナイル・ロジャースとの共演で「レボリューション」(ビートルズのカバー、当時トンプソン・ツインズが持ち歌としていた)を演奏[4]1986年の映画『トップガン』で使用された「Top Gun Anthem」は、スティーヴのギター・テクニックが存分に発揮されたインストゥルメンタルで、第29回グラミー賞では最優秀ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞を受賞[5]。また、マイケル・ジャクソンのヒット・シングル「ダーティー・ダイアナ」にも参加。

ビリーと袂を分かったスティーヴは、1989年、ウォリアーというヘヴィメタル・バンドのボーカリストだったペリー・マッカーティー等を従え、アトミック・プレイボーイズというソロ・プロジェクトを立ち上げるが、アルバム『アトミック・プレイボーイズ』(ジャケット・デザインはH・R・ギーガー)1枚を残して、このプロジェクトは解体。

1990年代[編集]

その後、マイケル・モンロー(元ハノイ・ロックス)と共にレコーディングを行う。しかし、アルバムの完成を見ないまま、スティーヴは当時モトリー・クルーを脱退していたヴィンス・ニールに引き抜かれた。この時の音源はエルサレム・スリム名義で1992年に発売されるが、既に同バンドは存在しなかった。なお、マイケル・モンローはこのプロジェクトに関して良い思い出はないようで、1992年の日本公演でも、スティーヴとレコーディングした曲は一切歌わなかった[6]

スティーヴは、ヴィンスのファースト・ソロ・アルバム『エクスポーズド』(1993年)と、同作に伴うツアー(日本公演も含む)に参加するが、その後ヴィンスのバンドを脱退し、一時的にビリー・アイドルと復縁して、1994年の映画『スピード』の主題歌「Speed」で共演。

1996年11月、「マグナ・カルタ・レコード」のオーナーのマイク・ヴァーニーが、テリー・ボジオにスティーヴを紹介。それが切っ掛けとなって、スティーヴとテリーとトニー・レヴィンによる新バンド、ボジオ・レヴィン・スティーヴンス結成。ファースト・アルバム『ブラック・ライト・シンドローム』(1997年)は、わずか9日で制作(うち5日はギター・パートのオーヴァー・ダビング)[7]され、各メンバーの即興演奏を重視したプログレッシブ・ロック・アルバムとなった。

1997年、氷室京介のアルバム『I・DE・A』に参加。翌年には氷室のツアーに帯同した他、スティーヴ・ヴァイがプロデュースを担当したロック・ギタリストによるクリスマス・アルバム『メリー・アックスマス 2』に参加し、クリスマスソングの定番曲「Do You Hear What I Hear?」を演奏[8]

1999年にはソロ・アルバム『フラメンコ・ア・ゴー・ゴー』発表。スティーヴはかねてからフラメンコからの影響をギター・プレイに反映させており、ヴィンス・ニールの楽曲「Edge」のイントロでもフラメンコ的なフレーズを弾いていたが、同作では殆どの曲でガット・ギターを使用し、本格的なフラメンコ・アルバムとなった。なお、同作収録曲「Dementia」は、氷室京介の横浜スタジアム公演で、スティーヴを含めた氷室のバック・バンドにより演奏されたライブ音源。同作にはその他、屋敷豪太ヴィニー・カリウタ等が参加。

21世紀[編集]

2001年、ビリー・アイドルが音楽活動を再開すると、スティーヴも合流。ビリーの2005年のアルバム『デヴィルズ・プレイグラウンド』にも全面参加した。また、ビリー・アイドル・バンドのサポート・キーボーディスト、デレク・シェリニアン(元ドリーム・シアター)のソロ・アルバムにも参加。

2008年、「マグナ・カルタ・レコード」から、9年ぶりのソロ・アルバム『メモリー・クラッシュ』発表。

ディスコグラフィ[編集]

ソロ・アルバム[編集]

ビリー・アイドル[編集]

エルサレム・スリム[編集]

  • 『マイケル・モンロー・アンド・エルサレム・スリム』 - Jerusalem Slim (1992年)

ヴィンス・ニール[編集]

  • 『エクスポーズド』 - Exposed (1993年)

ボジオ・レヴィン・スティーヴンス[編集]

  • 『ブラック・ライト・シンドローム』 - Black Light Syndrome (1997年)
  • 『シチュエーション・デンジャラス』 - Situation Dangerous (2000年)

氷室京介[編集]

その他の参加作品[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b Prato, Greg. “Steve Stevens - Biography & History”. AllMusic. 2019年1月7日閲覧。
  2. ^ Cavuoto, Rob. “Steve Stevens Interview: Guitarist Extraordinaire with Billy Idol”. Guitar International. 2019年1月7日閲覧。
  3. ^ 『Rebel Yell』レビュー(allmusic)
  4. ^ Cornell, Jeff (2015年7月13日). “Live Aid Turns 30: U2, Madonna, Led Zeppelin Reunion & More Highlights”. Billboard. 2019年1月7日閲覧。
  5. ^ Steve Stevens - Artist”. GRAMMY.com. Recording Academy. 2019年1月7日閲覧。
  6. ^ Michael Monroe - Solo Biography”. 2008年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月19日閲覧。
  7. ^ 『シチュエーション・デンジャラス』日本盤CDライナーノーツ(伊藤政則、2000年)
  8. ^ Merry Axemas, Vol.2レビュー(allmusic)

外部リンク[編集]