カシムジョマルト・トカエフ
カシムジョマルト・トカエフ Қасым-Жомарт Кемелұлы Тоқаев | |
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任期 | 2019年3月20日 – |
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首相 | アスカル・マミン アリハン・スマイロフ |
任期 | 2022年1月5日[1] – |
出生 | 1953年5月17日(69歳)![]() ![]() |
政党 | ヌル・オタン(輝く祖国) |
出身校 | モスクワ国際関係大学 |
前職 | 外交官 |
カシムジョマルト・ケメレビチ・トカエフ (カザフ語: Қасым-Жомарт Кемелұлы Тоқаев、1953年5月17日 - )は、カザフスタンの政治家。現在、同国大統領。2019年3月20日にヌルスルタン・ナザルバエフが大統領を辞任し、憲法規定に従いナザルバエフの残り任期2020年4月まで大統領を務める予定であったが、トカエフが大統領選挙を2019年6月に前倒しし当選した。首相、上院議長などを歴任。政治学博士。
経歴[編集]
父親のケメル・トカエヴィチ・トカエフ(1923—1986)は第二次世界大戦の退役軍人で、有名な作家であった。母親のトゥラル・シャバルバエワ(1931—2000)はアルマアタ市国立外国語教育大学で勤めた。
1970年にソビエト連邦外務省附属モスクワ国際関係大学に入学。5年生の時、在北京・ソ連大使館の半年間インターン実習のため、中華人民共和国にわたる。1975年にソ連外務省に就職し、駐シンガポール・ソ連大使館に勤務。1979年に外務省本部に戻った。1983年から10カ月、北京語言大学の研究生として中国へ行く[2]。1984年~1985年ごろ外務省に勤めた後、駐中国ソ連大使館に派遣され、二等、一等書記官、顧問として1991年まで働いた。1991に外務省附属外交アカデミー上官外交官向け研修コースに入学した。同年末にソ連は解体しカザフスタンが独立宣言。
1992年にカザフスタンの外務次官に任命され、1993年に第一外務次官、1994年に外務大臣に任命。1999年3月にセルゲイ・テレシチェンコ政権の副首相。1999年10月に首相に就任し、2002年1月まで務めた。その後は国務長官、外務大臣、上院議長を歴任。
外務大臣として[編集]
カザフスタンの外務大臣を合計10年勤めている(1994年~1999年、2002年~2007年)。外務大臣として、核兵器不拡散に積極的な役割を果たした。1995年と2005年に核兵器の不拡散に関する条約に関する再検討会議に参加したほか、1996年にニューヨークで包括的核実験禁止条約(CTBT)に署名し、2005年にはセミパラチンスク市で中央アジア非核地帯条約(CANWFZ)に署名している。
2003年の内陸開発途上国閣僚会議では議長を務め、アルマトイ行動計画を策定し、アルマトイ内陸開発途上国の宣言が採択された。
国連総会には10回参加し、独立国家共同体外務大臣会議および上海協力機構の会長に選出されたこともある。臨時および全権大使の外交職を歴任した。
2008年にはOSCE議会総会副議長に選出。
2011年3月には国際連合副事務総長、ジュネーブの国連事務局長、ならびに軍縮会議での国連事務総長の個人代表に任命されたほか、軍縮会議の事務総長を務めた。
上院議長として[編集]
2013年10月16日に上院議長に就任。2019年3月20日にヌルスルタン・ナザルバエフが大統領を辞任し、憲法規定に従いナザルバエフの残り任期2020年4月まで大統領を務めることとなった(ただし、後述のとおり、選挙は2019年6月に前倒し実施された)[3]。3月20日に上院議長を退任[4]。
大統領として[編集]
大統領就任の際はロシアのウラジミール・プーチン大統領は祝福し[5]、中国は北京への留学歴もあるトカエフを「古い親友」と歓迎した[6]。
就任早々に首都アスタナをナザルバエフにちなむヌルスルタンと改称することを提案し、議会の承認を経て、3月23日に法案に署名し成立した[7]。
2019年4月9日、トカエフは大統領選挙を同年6月9日に前倒しすることを表明[8]。同月23日、与党のヌル・オタン党大会で大統領選挙の候補に全会一致で指名された[9]。6月9日の大統領選挙では得票率70%を超え圧勝した[10]。
2022年に入り、燃料高騰に端を発した反政府デモが波及すると、アスカル・マミン内閣を総辞職させるとともにナザルバエフを国家安全保障会議議長から解任し、自らが国家安全保障会議議長のポストを引き継ぐと発表した。これによってナザルバエフは事実上失脚した[1]。1月28日にはヌル・オタンの新議長に選出された[11]。
主張・政策[編集]
カザフスタンの政治構造について、2014年11月24日に「強い大統領、権威ある議会、責任のある政府」であると議会で述べている。
カザフ語ラテン文字表記[編集]
2017年9月22日に議会で開かれた、教育に関する公聴会でカザフ語の表記システムをラテン文字に変更する問題について「大統領が指摘したように、カザフ語の表記をラテン文字に替えることは、科学と教育のグローバルなシステムへの統合への一歩であり、私たちの精神的な一致を確実にする手段でもある。私たちは、この作業を「大きな飛躍」なしに、慎重にそして徐々に実行するべきである。しかし、それを遅らせるわけにはいかない。ところが、私たちには間違いを犯す権利がないということを覚悟すべきである」と述べている。しかし初期の表記方法については批判を述べており、「国民委員会はラテン文字のアルファベットの最終決定に達しなかった。それ故に新聞や他の場所でアポストロフィなどを使うのは時期尚早である」と述べている。その後、新しいアルファベットの導入に集中的な作業が始まり、「歴史的出来事」と述べた。
麻薬の規制強化[編集]
2018年12月19日、上院議会において、麻薬ディーラーの活動はテロリズムと同等に国益を脅かすとして、麻薬密売は終身刑や死刑まで強化することを提案した。
外国人土地売買[編集]
2016年4月29日、上院議会の公聴会において、カザフスタンでの土地の賃貸および売却に関する土地法改正案について「農地が外国人に売られないという宣伝するだけでは足りない。この最も重要な規定の実施を確実にするための法的およびその他の手段によって保証するべきである。さまざまな種類の巧妙な計画によってこの要件を回避したいという欲求が誰にも起こらないように。そして最も重要なのは、土地に対する国内管轄権および土地の効率的で合理的な使用に関する大統領の要件を満たすことが不可欠である」と述べている。
死刑廃止条約への署名[編集]
2021年1月2日、死刑廃止条約(死刑廃止を目指す市民的および政治的権利に関する国際的規約第2選択議定書)に署名した。カザフスタンは2003年から死刑執行を停止していたが、テロ行為など例外的な犯罪に死刑を適用していた[12]。
人物[編集]
母語のカザフ語、ロシア語に加えて、中国語は中国留学経験、駐在経験があるために流暢に話す。さらに英語も堪能で、フランス語もある程度は話せる。
妻帯、長男を有する。
政治学の博士号を取得しており、国際関係に関する9冊の本を著しているほか、多数の記事を寄稿している。世界人文自然科学アカデミーの会員、ミュンヘン安全保障会議委員会の会員、深圳大学名誉教授、ロシア外務省外交アカデミー名誉教授および名誉博士、ならびに同アカデミー理事会の会員、カザフスタン外交問題評議会の名誉会長を務めているほか、ジュネーブ外交学派および国際関係学部の名誉学部長、世界および伝統的宗教の指導者会議の事務局長でもある。これまでにカザフスタン共和国外務省ナジル・チュリャクロフ記念メダル、ロシア連邦外務省アレクサンダー・ゴルチャコフ記念メダル、ジュネーブ大学「アカデミクス」記念賞、セルゲイ・リョーリフ記念メダルを受章している。ロシア伝記協会によると、「2018年のマン・オブ・ザ・イエール」受賞者のリストに入ったという。
カザフスタンの卓球連盟会長を3年間務めている。
勲章[編集]
- オタン勲章 (2014年)
- 「初代カザフスタン共和国大統領ヌルスルタン・ナザルバエフ」勲章 (2004年)
- パラサト勲章 (1996年)
- アスタナ・メダル
- メダル「カザフスタン共和国独立25周年」
- メダル「カザフスタン共和国独立10周年」
- メダル 「カザフスタン共和国議会10周年」
- 名誉勲章 (ロシア連邦, 2017年3月1日) — ロシア連邦とカザフスタン共和国の国民の間の友情と協力の強化への大きな貢献のため
- 友情勲章 (ロシア連邦, 2004年12月12日) — ロシア連邦とカザフスタン共和国の間の友情と協力の強化への大きな貢献のため
- ヤロスラフ堅公の勲章 三級 (ウクライナ, 2008年)
- 「コモンウェルス」勲章(CIS諸国議会間議会, 2007年)
- セルビアの旗の勲章 1級 (2016年)
- ダイヤモンド名誉勲章「国民の評価」 (ロシア連邦)
- ロシア連邦議会連邦院20周年記念メダル
- メダル「友情の木」 (CIS諸国議会間議会, 2003年)
- CIS諸国憲章
- 記念メダル「アスタナ設立20周年記念メダル」 (2018年)
著書[編集]
- 「どうだったのか:北京の騒擾記(1989年4月~6月)」(1993年)
- 「国際連合:平和への奉仕の半世紀」(1995年)
- 「独立の旗の下に」(1997年)
- 「グローバリズム条件下におけるカザフスタンの対外政策」(2000年)
- 「カザフスタン共和国の外交」(2001年)
参考資料[編集]
- ^ a b “実力者ナザルバエフ氏失脚 カザフで反政府デモ、混乱拡大”. 時事通信. (2022年1月6日). オリジナルの2022年1月6日時点におけるアーカイブ。 2022年1月6日閲覧。
- ^ “中外文化交流的见证者与推动者(辉煌·纪念改革开放40周年)”. 人民網 (2008年7月10日). 2019年5月2日閲覧。
- ^ “President of Kazakhstan, Nursultan Nazarbayev, Resigns After Three Decades”. ザ・モスクワ・タイムズ. (2019-03-2019) 2019年3月20日閲覧。
- ^ “電撃辞任のカザフ前大統領の長女、上院議長に 後継への布石か”. AFPBB News. フランス通信社. (2019年3月20日) 2019年3月22日閲覧。
- ^ “Telephone conversation with Nursultan Nazarbayev and Kassym-Jomart Tokayev”. President of Russia. 2019年4月14日閲覧。
- ^ “China welcomes new Kazakh leader Kassym-Jomart Tokayev as an 'old friend and good friend'” (2019年3月20日). 2019年4月14日閲覧。
- ^ “首都は「ヌルスルタン」、前大統領の名前に改称”. 読売新聞. (2019年3月25日) 2019年3月25日閲覧。
- ^ “6月9日に前倒しカザフスタン大統領選=長女に権力継承の見方も”. AFPBB News. フランス通信社. (2019年4月9日) 2019年6月13日閲覧。
- ^ “カザフスタンの前倒し大統領選、与党候補にトカエフ大統領代行”. AFPBB. (2019年4月23日) 2019年5月2日閲覧。
- ^ “カザフ大統領選、現職トカエフ氏が圧勝 7割以上得票”. AFPBB News. フランス通信社. (2019年6月10日) 2019年6月13日閲覧。
- ^ “カザフ大統領が与党党首に就任、全権を掌握”. 日本経済新聞 (2022年1月28日). 2022年1月30日閲覧。
- ^ “カザフスタン、死刑を廃止”. AFPBB News. フランス通信社. (2021年1月2日) 2021年1月18日閲覧。
公職 | ||
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先代: ヌルスルタン・ナザルバエフ |
![]() 第2代:2019年 - |
次代: (現職) |
先代: ヌルスルタン・ナザルバエフ |
![]() 国家安全保障会議議長 第2代:2022年 - |
次代: (現職) |
先代: ヌルラン・バルギンバエフ |
![]() 1999年10月12日まで代行 第4代:1999年 - 2002年 |
次代: イマンガリ・タスマガンベトフ |
先代: エルラン・イドリソフ |
![]() 2002年 - 2007年 |
次代: マラート・タジン |
議会 | ||
先代: ヌルタイ・アブィカエフ |
![]() 2007年 - 2011年 |
次代: Kairat Mami |
先代: Kairat Mami |
![]() 2013年 - 2019年 |
次代: ダリガ・ナザルバエフ |
党職 | ||
先代: ヌルスルタン・ナザルバエフ |
ヌル・オタン議長 第2代:2022年 - |
次代: (現職) |