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アルメニア人のディアスポラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルメニア人ディアスポラの分布図(人口順に塗り分けている)

アルメニア人ディアスポラは、欧米ではユダヤ人と並ぶディアスポラの代表格として認知されている[1]。2007年の調べでは、全世界には758万人のアルメニア人が存在するとされるが、アルメニア本国に暮らすものは297万人と、全体の4割程度である[2]

アルメニア語では、こうした離散状態をスピュルク(sp'yurk' / 元来は花が散る様子を表す言葉。伝統的正書法 (en) では «սփիւռք»、改革正書法 (en) では «սփյուռք» と綴られる[3][4])と呼ぶ[5]。また、古くにはアルメニア高原の外に形成されたアルメニア人コミュニティガグト «գաղութ» と呼ばれたが、これはユダヤ人のディアスポラ英語版を指すヘブライ語の「ガルート」"גלות"[6]シリア語から借用したものである[7]

アルメニア人のディアスポラは、盛んな商活動や大量虐殺の歴史などで、ユダヤ人のディアスポラと共通点を持っている[1]。しかし、アルメニア人のヨーロッパへの進出が近代まで盛んでなく、またその信仰もキリスト教であることから、アルメニア人はユダヤ人よりも好意的に欧米社会へ受け入れられている[1]

歴史

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中近世

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アルメニア人が故地の外部に共同体を形成するようになったのは、1045年バグラトゥニ朝アルメニア王国東ローマ帝国によって滅ぼされたことがその端緒である[8]。この頃に始まった、旧アルメニア王国領域からのバルカン半島地中海沿岸への移住は、数世紀をかけて西ウクライナイタリアそしてオランダにアルメニア人のコミュニティを形成していった[8]。続く1375年キリキア・アルメニア王国滅亡や地中海貿易の拡大により、地中海沿岸のヴェネツィアイスタンブールカイロなどがアルメニア人の商業コミュニティとして発達した[8]

西方のアルメニア人たちが海上貿易で栄える一方、東方のアルメニア人たちはシルクロードを介した陸上貿易の重要な担い手となった[9]。異教徒に寛容であったサファヴィー朝のもと、アルメニア人たちは17世紀を通じてエスファハーンを中心にインド洋へと東進していった[10]。後にイギリスムガル帝国へ進出するようになると、アルメニア人たちもそれに従ってムンバイマドラスコルカタマレーシアにまで商業拠点を築いた[8]。初期に西方へ移住したアルメニア人たちは、やがて現地に同化して消滅していった[11]。しかし東方のアルメニア人たちは、独自性を維持した商活動を、異文化の中にあって第一次世界大戦頃まで続けた[8]

近現代

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オスマン帝国からの難民の移住先・人数(1915年 - 1922年)[12]
ロシア帝国 40万 その他欧州 2000 パレスチナ 1万
ギリシャ 4万5000 北米 3万5380 エジプト 4万
フランス 3万 シリア 10万 イラン 5万
ブルガリア 2万 レバノン 5万 その他 1000
キプロス 2500 イラク 2万5000 合計 81万880

このように、初期のアルメニア人ディアスポラは商活動の拡大に伴った移民を行っており、彼らの拡散は従来のコミュニティの崩壊に基づくものではなかった[8]。しかし、1915年オスマン帝国で発生したアルメニア人虐殺は、新たな移民の波を強制的に作り出すこととなった[13]。そして、この際にオスマン帝国から世界各地へ逃れたアルメニア人ディアスポラの間では、宗教や言語に代わり「虐殺の記憶」が、現在に至るまでナショナル・アイデンティティの役割を果たしている[14]

虐殺からほどなくすると、ロシア帝国崩壊によってアルメニア人たちは自らの独立国家「アルメニア共和国」を手にしたが、それは間もなくボリシェヴィキに支配権を奪われた[15]。新たに成立したソビエト・アルメニアをめぐっては、在外アルメニア人たちの間でも反共派(主にダシュナク党)と容共派(アルメニア民主自由党英語版など)に分かれた対立が発生し、この対立は要人の暗殺や教会組織の分裂にまで発展した[16]

ソビエト・アルメニアには1921年から1925年までの間に、ギリシャトルコイランなどから約1万9000人の在外アルメニア人が帰国した[17]第二次世界大戦後にも、イラン、レバノン、ギリシャ、シリアなどから数万人の在外同胞がソビエト・アルメニアへ帰国した[18]。しかし、彼らは差別や迫害の対象とされ、スパイ容疑でシベリアへ流刑されることもしばしばであった[18]

近年

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ソビエト連邦の崩壊によりアルメニア共和国が独立すると、大統領となったレヴォン・テル=ペトロシャン(シリア出身)は、セボウフ・タシジアン(ru, エルサレム出身)やジェラルド・リバディアン(en, レバノン出身)など、自身と同じ在外同胞の専門家たちを積極的に閣僚や顧問として登用した[19]。しかし、次代大統領となったロベルト・コチャリャンナゴルノ・カラバフ出身)が容易にアルメニア国籍を取得した一方、アメリカ出身のラッフィ・ホヴァニスィアンは、帰化申請を再三拒否されて大統領選挙への出馬を阻まれるなど、元在外同胞の間でも旧ソ連出身者か否かという壁は未だ残されている[20]

また、独立後のアルメニアはナゴルノ・カラバフ戦争によってアゼルバイジャンとトルコから経済制裁を受けており、中東から帰国した在外同胞の中には、先行きの見えない経済状況を見限って欧米へ再移住する者も現れている[21]。独立後6年間だけでも、58万人が空路でアルメニアを出国したまま戻らなくなっており、アルメニア人は再びディアスポラとして世界へ拡散する動きを見せている[21]

一覧

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各国のアルメニア人ディアスポラの人口
順位 国・地域 公式統計 各種推計
1 ロシアの旗 ロシア
ロシアのアルメニア人
1,182,388(2010年)[22]
1,109,000,[2]1,161,000,[23]1,500,000,[24]2,000,000,[25]2,500,000,[26]2,900,000[27]
2 アメリカ合衆国の旗 アメリカ
アルメニア系アメリカ人
483,366(2011年)[28]
800,000,[29]1,000,000,[30]1,200,000,[31]1,400,000,[32]1,500,000,[33]217,000[34]
3 フランスの旗 フランス
フランスのアルメニア人英語版
12,355(2005年 / アルメニア出身者数)[35]
273,000,[2]300,000,[24]400,000,[36]468,000,[37]500,000,[38]750,000[39]
4 ジョージア (国)の旗 ジョージア
ジョージアのアルメニア人ロシア語版
248,929(2002年)[40]
239,000,[41]264,822[2]
5 イランの旗 イラン
イランのアルメニア人ペルシア語版
103,000,[42]120,000,[43]150,000,[44]200,000,[45]202,000,[2]250,000,[46]300,000,[47]500,000[48]
6 ウクライナの旗 ウクライナ
ウクライナのアルメニア人ウクライナ語版
99,894(2001年)[49]
92,000,[50]100,000,[51]250,000[52]
7 レバノンの旗 レバノン
レバノンのアルメニア人英語版
70,000–80,000,[53]83,000,[54]100,000,[24]260,000[2]
8 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
アルゼンチンのアルメニア人英語版
1,227(2001年 / アルメニア国籍者数)[55]
70,000,[56]132,000,[2]141,000[57]
9 シリアの旗 シリア
シリアのアルメニア人英語版
35,000–40,000,[58]60,000,[59]85,000,[60]200,000[2]
10 トルコの旗 トルコ
トルコのアルメニア人英語版
50,000,[24]50,000–70,000,[61]60,000,[62]61,000,[63]115,000[2]
11 ギリシャの旗 ギリシャ
ギリシャのアルメニア人英語版
7,742(2001年 / アルメニア国籍者数)[64]
34,000,[65]70,000-80,000[66]
12 アブハジアの旗 アブハジア
アブハジアのアルメニア人英語版
41,864(2011年)[67]
50,000,[68]70,000[69]
13 カナダの旗 カナダ
アルメニア系カナダ人英語版
50,500(2006年)[70]
32,000,[71]50,000,[72]60,000–65,000[73]
14 オーストラリアの旗 オーストラリア
アルメニア系オーストラリア人英語版
15,791(2006年)[74]
41,000,[75]50,000[76]
15 ドイツの旗 ドイツ
ドイツのアルメニア人ドイツ語版
11,205(2011年 / アルメニア国籍者数)[64]
30,000,[77]41,000,[78]50,000-60,000[79]
16 スペインの旗 スペイン (en) 11,706(2011年 / アルメニア国籍者数)[64]
3,600,[80]45,000,[81]80,000[82]
17 ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン (ru) 50,537(1989年)[83]
36,000,[84]42,359,[85]50,000[86]
18 ブラジルの旗 ブラジル
アルメニア系ブラジル人ポルトガル語版
30,000,[87]35,000-40,000,[88]45,000[89]
19 イラクの旗 イラク
イラクのアルメニア人英語版
10,000,[90]62,000[91]
20 トルクメニスタンの旗 トルクメニスタン (hy) 31,829(1989年)[92]
20,000-22,000,[93]30,000,[94]44,000[95]
21 ブルガリアの旗 ブルガリア
ブルガリアのアルメニア人英語版
10,832(2001年)[96]
6,300,[97]50,000[98]
22 ポーランドの旗 ポーランド
ポーランドのアルメニア人ポーランド語版
3,000(2011年)[99]
2,900,[100]15,000–30,000,[101]40,000,[102]50,000[103]
23 カザフスタンの旗 カザフスタン (hy) 11,031(2010年)[104]
15,000,[105]20,000-25,000,[106]25,000[107]
24 ベラルーシの旗 ベラルーシ
ベラルーシのアルメニア人英語版
8,512(2009年)[108]
8,100,[109]25,000,[110]30,000[111]
25 イギリスの旗 イギリス
イギリスのアルメニア人英語版
1,720(2011年 / アルメニア国籍者数)[112]
18,000,[113]19,000[114]
26 ウルグアイの旗 ウルグアイ
ウルグアイのアルメニア人英語版
15,000,[115]19,000[116]
27 ハンガリーの旗 ハンガリー
ハンガリーのアルメニア人英語版
161(2011年 / アルメニア国籍者数)[64]
3,400,[117]6,000,[118]30,000[119]
28 エジプトの旗 エジプト
エジプトのアルメニア人アルメニア語版
6,000,[120]11,000[121]
29 ベルギーの旗 ベルギー (en) 9,633(2011年 / アルメニア国籍者数)[64]
7,000[122]
30 オランダの旗 オランダ (en) 705(2011年 / アルメニア国籍者数)[64]
1,100,[123]12,000[124]
31 クウェートの旗 クウェート
クウェートのアルメニア人英語版
6,000,[125]6,200[126]
32 ルーマニアの旗 ルーマニア
ルーマニアのアルメニア人ロシア語版
1,780(2002年)[127]
1,800,[128]5,000,[129]7,500-10,000[130]
33 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 (en)
3,000,[110]9,100[131]
34 チェコの旗 チェコ
チェコのアルメニア人チェコ語版
2,100(2011年 / アルメニア出身者数)[35]
1,300,[132] -10,000[133]
35 カタールの旗 カタール
5,500[134]
36 スウェーデンの旗 スウェーデン (sv) 1,672(2011年 / アルメニア出身者数)[35]
5,000[135]
37 ベネズエラの旗 ベネズエラ (hy)
3,500,[136]6,900[137]
38 オーストリアの旗 オーストリア
オーストリアのアルメニア人英語版
2,667(2009年 / アルメニア国籍者数)[64]
4,000[138]
39 ヨルダンの旗 ヨルダン
ヨルダンのアルメニア人英語版
3,000,[139]4.900[140]
40 タジキスタンの旗 タジキスタン (hy) 5,651(1989年)[141]
3,000,[142]4,300[143]
41 イスラエルの旗 イスラエル
イスラエルのアルメニア人英語版
3,000,[144]4,000[145]
42 アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
アゼルバイジャンのアルメニア人ロシア語版
183(2009年 / 「ナゴルノ・カラバフ共和国」のアルメニア人は含まず)[146]
2,000–3,000,[147]5,000[148]
43 モルドバの旗 モルドバ
モルドバのアルメニア人英語版
2,873(1989年)[149]
2,400,[150]2,000-4,000[151]
44 イタリアの旗 イタリア
イタリアのアルメニア人ロシア語版
666(2011年 / アルメニア国籍者数)[64]
2,600,[152]3,000[153]
45 パレスチナ国の旗 パレスチナ国
2,800[154]
46 ラトビアの旗 ラトビア (ru) 316(2015年)[155]
2,300,[156]3,000[157]
47 キプロスの旗 キプロス
キプロスのアルメニア人ギリシア語版
1,341(2001年)[158]
1,100,[159]3,500[160]
48 エストニアの旗 エストニア (hy) 1,402(2011年)[161]
1,300,[162]3,000[163]
49 キルギスの旗 キルギス (hy) 1,364(1999年)[164]
900-1,000,[165]3,500[166]
50 デンマークの旗 デンマーク (en) 605(2011年 / アルメニア出身者数)[35]
600,[167]3,000[168]
51 ホンジュラスの旗 ホンジュラス
1,600[169]
52 サウジアラビアの旗 サウジアラビア
1,500[170]
53 スーダンの旗 スーダン (en)
1,500[171]
54 リトアニアの旗 リトアニア
リトアニアのアルメニア人英語版
1,233(2011年 / アルメニア国籍者数)[172]
1,400,[173]2,500[174]
54 チリの旗 チリ (hy) 11(2001年 / アルメニア出身者数)[55]
1,100,[175]1,500[176]
55 ノルウェーの旗 ノルウェー 275(2012年 / 移民とその子供に限る)[177]
1,000[178]
56 フィンランドの旗 フィンランド (hy) 93(2011年 / アルメニア国籍者数)[64]
200,[179]1,000[110]
57 スイスの旗 スイス
スイスのアルメニア人ロシア語版
612(2010年 / アルメニア国籍者数)[180]
58 スロバキアの旗 スロバキア (hy) 261(2005年 / アルメニア出身者数)[35]
500[181]
59 マルタの旗 マルタ
マルタのアルメニア人英語版
10(2008年 / アルメニア国籍者数)[64]
500[182]
60 スロベニアの旗 スロベニア 7(2005年 / アルメニア出身者数)[35]
500[181]
61 アルバニアの旗 アルバニア (hy)
400[183]
62 メキシコの旗 メキシコ
メキシコのアルメニア人スペイン語版
400[184]
63 インドの旗 インド
インドのアルメニア人英語版
200,[185]600[186]
64 セルビアの旗 セルビア
セルビアのアルメニア人英語版
222(2011年)[187]
300–350[188]
65 北マケドニア共和国の旗 マケドニア
マケドニア共和国のアルメニア人マケドニア語版
300[189]
66 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ (hy)
300[190]
67 エチオピアの旗 エチオピア
エチオピアのアルメニア人アルメニア語版
80-90,[191]500[192]
68 シンガポールの旗 シンガポール
シンガポールのアルメニア人
80,[193]500[194]
69 ペルーの旗 ペルー
250[190]
70 ニュージーランドの旗 ニュージーランド (hy)
200[195]
71 アイルランドの旗 アイルランド 70(2011年 / アルメニア出身者数)[35]
150[196]
72 ポルトガルの旗 ポルトガル 105(2009年 / アルメニア出身者数)[35]
73 バーレーンの旗 バーレーン (en)
100[197]
74 キューバの旗 キューバ (hy)
80[198]
75 日本の旗 日本 46(2014年 / アルメニア国籍者数)[199]
50-60[200]
76 中華人民共和国の旗 中国
中国のアルメニア人英語版
50-60[201]
77 タイ王国の旗 タイ (hy)
40-50[202]
78 モロッコの旗 モロッコ
25-30[203]
79 コロンビアの旗 コロンビア 13(2001年 / アルメニア出身者数)[55]
80 ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク 7(2001年 / アルメニア国籍者数)[64]
81 コスタリカの旗 コスタリカ 5(2001年 / アルメニア出身者数)[55]
82 ボリビアの旗 ボリビア 1(2001年 / アルメニア出身者数)[55]
83 バングラデシュの旗 バングラデシュ
バングラデシュのアルメニア人英語版
1[204]
84 ミャンマーの旗 ミャンマー (en)
1[205]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 吉村 (2010) 75頁
  2. ^ a b c d e f g h i ロバート・コーエン 著、駒井洋 訳『グローバル・ディアスポラ』(新版)明石書店〈明石ライブラリー 150〉、2012年(原著1997年)、116頁。ISBN 978-4750335971 
  3. ^ Dufoix, Stéphane (2008). Diasporas. Berkeley, California: University of California Press英語版. p. 84. ISBN 9780520253599 
  4. ^ Harutyunyan, Arus (2009). Contesting National Identities in an Ethnically Homogeneous State: The Case of Armenian Democratization. ProQuest英語版. p. 56. ISBN 9781109120127 
  5. ^ 吉村 (2010) 98頁
  6. ^ Ember, Melvin; Ember, Carol R.; Skoggard, Ian A. (2004). Encyclopedia of diasporas: immigrant and refugee cultures around the world. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers. p. 37. ISBN 9780306483219 
  7. ^ Աճառեան Հ. [in ロシア語] (1926). Հայերէն Արմատական Բառարան. Vol. 1. Երևան: Երեւանի Համալսարանի Հրատարակչութիւն.
  8. ^ a b c d e f 吉村 (2010) 76-77頁
  9. ^ 浅田 (1990) 183頁
  10. ^ 浅田 (1990) 186頁
  11. ^ 浅田 (1990) 192頁
  12. ^ 吉村 (2010) 81頁
  13. ^ 吉村 (2010) 83頁
  14. ^ 吉村 (2010) 96-97頁
  15. ^ 吉村 (2010) 86頁
  16. ^ 吉村 (2010) 89頁
  17. ^ 吉村 (2010) 88頁
  18. ^ a b 吉村 (2010) 90頁
  19. ^ 吉村 (2010) 94頁
  20. ^ 吉村 (2010) 95頁
  21. ^ a b 吉村 (2010) 96頁
  22. ^ Национальный состав населения (PDF) (Report). Федеральная служба государственной статистикиロシア語版. p. 11. 2015年6月28日閲覧
  23. ^ Armenian in Russia”. Joshua Project. 2015年7月4日閲覧。
  24. ^ a b c d Gibney, Matthew J. (2005). Immigration and asylum: from 1900 to the present. Santa Barbara, California: ABC-CLIO英語版. p. 13. ISBN 978-1-57607-796-2 
  25. ^ Арутюнян, Ю. (2010). "Об этносоциологических исследованиях армян России" (PDF) (ամսագիր) (1) (Պատմա-բանասիրական հանդես ed.). Երևան: Հայաստանի գիտությունների ակադեմիան: 129. ISSN 0135-0536 {{cite journal}}: Cite journalテンプレートでは|journal=引数は必須です。 (説明)
  26. ^ “В России проживает более 2,5 млн армян”. РИА Новости. (2008年6月5日). http://ria.ru/society/20021216/282886.html 2015年6月28日閲覧。 
  27. ^ Saunders, Robert A.; Struko, Vlad (2010). Historical dictionary of the Russian Federation. Lanham, Maryland英語版: Scarecrow Press. p. 50. ISBN 978-0-8108-5475-8 
  28. ^ Total ancestry categories tallied for people with one or more ancestry categories reported: 2011 American Community Survey 1-Year Estimates (PDF) (Report). U.S. Census Bureau. 22 December 2012. p. 1. 2015年6月28日閲覧
  29. ^ Takooshian, Harold. “Armenian American's Immigration to California”. 2015年6月28日閲覧。
  30. ^ Azadian, Edmond Y. (23 April 2012). “Commentary: A Million Person March on Washington”. Armenian Mirror-Spectator. http://www.mirrorspectator.com/2012/04/23/commentary-a-million-person-march-on-washington/ 21 July 2012閲覧。 
  31. ^ Judah, Tim (21 June 2012). “Armenia Survives!”. The New York Review of Books英語版. 2015年6月28日閲覧。
  32. ^ Reynolds, Maura (7 January 2007). “Genocide question hits home”. Los Angeles Times. http://articles.latimes.com/2007/jan/07/nation/na-armenia7/2 2015年6月28日閲覧。 
  33. ^ Barack Obama on the Importance of US-Armenia Relations”. Armenian National Committee of America英語版 (19 January 2008). 24 July 2012閲覧。
  34. ^ Armenian in United States”. Joshua Project. 2015年7月4日閲覧。
  35. ^ a b c d e f g h Population by sex, age group and country of birth”. Eurostat (2013年1月3日). 4 January 2013閲覧。
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参考文献

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書籍

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論文

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関連項目

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外部リンク

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