アルメニア高原

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アルメニア高原
The Armenian plateau near Mount Masis.jpg
トルコ=イラン国境付近からのアルメニアの山地の眺め
アルメニアの旗 アルメニア
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
ジョージア (国)の旗 ジョージア
 イラン
トルコの旗 トルコ
最高地 アララト山
 - 標高 5,137m (16,854ft)
面積 400,000 km² (154,441 sq mi)
Caucasus.A2001306.0815.250m.jpg
衛星写真

アルメニア高原(アルメニアこうげん、アルメニア語: Հայկական լեռնաշխարհ)、またはアルメニア台地は、3つの台地の集合が中央部で高まりを形成する、中東北部内陸の地形である[1]。西部にはカッパドキア東部からエーゲ海低岸までゆるやかに下降するアナトリア高原があり、南東部には標高600メートルから1500メートルまで急激に高まりをみせるイラン高原がある[1]古典古代には、アルメニア人の一大居住域であったことから「大アルメニア」と呼ばれ、小アルメニアフランス語版キリキアソフェーネフランス語版と共に4地域からなるアルメニア人地域の一部をなしていた[2][3]

地理[編集]

総面積は約40万平方キロメートル[4]。かつては火山活動が盛んな地域であり[5]、結果として今日では広範囲に渡る火山地形山塊群がみられる[6]。さらに、テクトニクスによってセヴァン湖ヴァン湖オルーミーイェ湖の3つの巨大湖も形成されており[6]、アルメニア高原は水資源に恵まれた土地でもある[7]。酸性の温泉水には湯治の効能があるとされ、ジェルムクアルメニア語版アルズニアルメニア語版では湧水を利用したリゾート開発も行われている[8]

アルメニア高原の大部分はトルコ東アナトリア地方に属するが、イラン北西部、ジョージア南部、アゼルバイジャン西部、そしてアルメニア全域も領域に含んでいる[4]。広義には東トロス山ロシア語版クルド山地アラビア語版までも領域に数えられる[9]。北東部は小カフカース山脈としても知られるアルメニア文化ロシア語版の中心地である[10]。その他にも、ジャヴァヘティ台地ジョージア語版カルス台地、ゲガム山脈英語版ヴァルデニスロシア語版台地、カラバフ台地ロシア語版、アグダグ山塊 (uk) を内包する[11]

植生[編集]

今日のアルメニア高原はほぼ森林を欠いているが、古代に緑豊かであった面影は、ポントス山脈やクルド山地などに残されている[12]。盆地部にはステップと半砂漠性の植生がみられ、川沿いには草原や低木の茂みも広がる[12]。山麓部のオアシス綿タバコの栽培に適し、エレブニ自然保護区ロシア語版にはコムギや他の栽培植物が野生化した植生がみられる[12]。湿潤な風の吹く山腹ではマツナラの林が優勢となっており、その他の場所はイバラやビャクシン属の茂みと岩場が点在する[12]。茶色の土壌や塩生湿地にはピスタチオエノキサボテン類といった乾燥性亜熱帯型の森林も確認されている[12]

歴史[編集]

アルメニア高原は、伝統的にエデンの園の所在地と信じられていた[13]。また「鉄器時代発祥の地」とも称され、最古の製鉄が紀元前2千年紀末には行われていたと考えられている[14]。『ギルガメシュ叙事詩』では、メソポタミア神話の地アラッタ英語版はアルメニア高原に位置するとされている[15]。また、この地で採れるアンズローマ人によって prunus armenicus(アルメニアのスモモ)と呼ばれ、ヨーロッパへも輸出される特産品であった[1]

古典古代から中世に渡って、アルメニア高原はパルティア帝国サーサーン朝東ローマ帝国イスラーム帝国など様々な支配者による統治を経験した[16]。さらに時代が下ると、高原全域はサファヴィー朝オスマン帝国による争いの舞台とされ、1639年までのオスマン・サファヴィー戦争英語版の結果、カスレ・シーリーン条約英語版によって、高原の西アルメニア英語版部分がオスマン領とされた[17]19世紀後半になると、オスマンの支配から外れていた領域の高原は、4度に渡るロシア・ペルシャ戦争の結果として、ガージャール朝からロシア帝国の手に移っている[18]。また、アルメニア高原は戦略的要衝であったばかりでなく、カスピ海からアララト平野英語版を経由して黒海へ至るまでの、陸上貿易の輸送路としても活用されていた[8]

第一次世界大戦はオスマン領内でアルメニア人虐殺が発生したが、「東アナトリア」という地域名はその隠滅のために作り出されたものである、と歴史家のリチャード・G・ホヴァニスィアン英語版は主張している[19]。その後のアルメニア高原はトルコソビエト連邦とイランによって分割されていたが、1991年ソ連崩壊に伴い、ソ連領となっていた部分はさらにジョージア(グルジア)、アゼルバイジャン、そしてアルメニアへと分割された[15]

脚注[編集]

  1. ^ a b c Hewsen, Robert H. "The Geography of Armenia" in The Armenian People From Ancient to Modern Times Volume I: The Dynastic Periods: From Antiquity to the Fourteenth Century. Richard G. Hovannisian (ed.) New York: St. Martin's Press, 1997, pp. 1-17
  2. ^ Adalian, Rouben Paul (2010). Historical Dictionary of Armenia. Historical Dictionaries of Europe (Book 77) (Second ed.). Lanham, Maryland英語版: Scarecrow Press. pp. 336-338. ISBN 978-0810874503. https://books.google.co.jp/books?id=QS-vSjHObOYC&printsec=frontcover&hl=ja#v=onepage&q&f=false. 
  3. ^ Mørkholm, Otto (1991). Grierson, Philip; Westermark, Ulla. eds. Early Hellenistic Coinage from the Accession of Alexander to the Peace of Apamaea (336-188 B.C.). Cambridge: Cambridge University Press. p. 175. ISBN 978-0521395045. https://books.google.co.jp/books?id=U_5Ez0kAOuIC&printsec=frontcover&hl=ja#v=onepage&q&f=false. 
  4. ^ a b Armenian Highland”. Encyclopædia Britannica. 2015年9月27日閲覧。
  5. ^ Volcanoes, their structure and significance Thomas George Bonney - 1912 - Page 243
  6. ^ a b Emerald Network Pilot Project in Armenia, Council of Europe.[リンク切れ]
  7. ^ Der Völkermord an den Armeniern, Nikolaĭ Oganesovich Oganesian - 2005- Page 6
  8. ^ a b Древнейшие племена, народности и Государства Армянского Нагорья”. История.ру. 2015年9月27日閲覧。
  9. ^ Магакьян И. Г.ロシア語版. “Армянское нагорье”. Большая Советская Энциклопедия. 2015年9月27日閲覧。
  10. ^ West, Barbara A. (2009). Encyclopedia of the Peoples of Asia and Oceania. New York: Facts on File. p. 47. ISBN 978-0816071098. https://books.google.co.jp/books?id=pCiNqFj3MQsC&printsec=frontcover&hl=ja#v=onepage&q&f=false. 
  11. ^ Армянское нагорье / География. Современная иллюстрированная энциклопедия. — М.: Росмэн. Под редакцией проф. А. П. Горкина. 2006. стр.42 (624) ISBN 5-353-02443-5, 9785353024439
  12. ^ a b c d e Боголюбов А.С.. “Армянское нагорье и Закавказье”. Экологический центр "Экосистема". 2015年9月27日閲覧。
  13. ^ Mesopotamian Trade. Noah's Flood: The Garden of Eden, W. Willcocks, H. Rassam pp. 459-460
  14. ^ Lang, David M. Armenia: Cradle of Civilization. London: George Allen & Unwin, 1970, pp. 50-51, 58-59.
  15. ^ a b Encyclopedia of the Peoples of Asia and Oceania, By Barbara A. West, 2009, p. 47
  16. ^ Peimani, Hooman (2009). Conflict and Security in Central Asia and the Caucasus. Santa Barbara, California: ABC-CLIO英語版. p. 232. ISBN 978-1598840544. https://books.google.nl/books?id=5MOYzS3IDTQC&printsec=frontcover&hl=nl#v=onepage&q&f=false. 
  17. ^ Holding, Deirdre (2014) [2003]. Armenia: with Nagorno Karabagh. Bradt Travel Guide (4 ed.). Guilford, Connecticut英語版: Globe Pequot Press. p. 19. ISBN 978-1841625553. https://books.google.nl/books?id=Gbz-AwAAQBAJ&printsec=frontcover&hl=nl#v=onepage&q&f=false. 
  18. ^ Dowling, Timothy C., ed (2015). Russia at War: From the Mongol Conquest to Afghanistan, Chechnya, and Beyond. Santa Barbara, California: ABC-CLIO. pp. 728-730. ISBN 978-1598849479. https://books.google.nl/books?id=KTq2BQAAQBAJ&printsec=frontcover&hl=nl#v=onepage&q&f=false. 
  19. ^ The Armenian Genocide: Cultural and Ethical Legacies - Page 3, by Richard G. Hovannisian - 2011