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アウディ・V8

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アウディ・V8
概要
販売期間 1988年 - 1994年
ボディ
ボディタイプ 4ドア セダン
駆動方式 4WD
パワートレイン
変速機 5速MT
6速MT
4速AT
車両寸法
ホイールベース 2,702mm
全長 4,861mm
全幅 1,814mm
全高 1,420mm
系譜
後継 アウディ・A8
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アウディ・V8 (Audi V8) は、ドイツの自動車メーカーであるアウディがかつて生産していた高級乗用車である。

概要

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1988年、アウディのフラグシップとして登場。100/200(C3系)のプラットフォームを流用し、外装でもフロントガラス、フロントドア、トランクリッドなどのパーツはC3系と共用する。

エンジンは新設計のV型8気筒DOHC(フォーカム)エンジンを搭載し、3.6Lの排気量から250馬力を発生させた。駆動方式はこのクラス初となる四輪駆動である。トランスミッションVWアウディグループ初の4速ATを採用し、前年デビューの80(B3系)と同じく誤操作防止のためにジグザグ状のスタッガード式ゲートを採用した。

なお、当車をベースにしたステーションワゴンも1台製造され、当時のフォルクスワーゲンの代表であったフェルディナント・ピエヒの妻の専用車として製造された。また、本国向けにはロングボディー仕様も存在した。

1990年にマイナーチェンジを行い、プラットフォームをアウディ・100(C4モデル)をベースとしたものに変更した。これに伴い全長、ホイールベースなどに若干変更が出るが、外観の変更はない。同時にロングホイールベース版を発売。

1992年に2度目のマイナーチェンジを行い、エンジンを4.2Lに拡大、最高出力は280馬力に向上した。

1994年A8へモデルチェンジ。このモデルから現在に至る「A#」の新呼称が採用された。

日本仕様車

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バブル絶頂期の1989年末にヤナセから発売。ラインナップは4速AT仕様のみである(本国では5速MTが標準)。また、右ハンドル仕様のV8自体は生産されていたものの、日本向けは左ハンドル仕様のみとされた。980万円という価格は出力的にやや格下のBMW・735iや、同じくヤナセが発売していたメルセデス・ベンツ・300SEと同等で、同クラスの輸入車には優位性を見出せる価格であった。

しかし、同時期に国内の2大メーカーが発表した高級車トヨタ・セルシオ日産・インフィニティQ45はさらに低価格かつあらゆる部分でV8と同程度かそれ以上の性能を有したために、知名度・話題性は完全に両者に取られる形となった。

1991年にプラットフォーム変更のマイナーチェンジ、1992年にエンジン換装及びダブルエアバッグ装備のマイナーチェンジを施したが、同じ時期にメルセデスはSクラスのフルモデルチェンジを行い、BMWもV8エンジンを投入するなど攻勢を強めたため販売不振となり、1993年モデルを最後に販売を打ち切った。

  • V8クワトロ(1989年-1991年)
    V型8気筒 DOHCエンジン 3,562cc、250ps/5,800rpm、34.7kg·m/4,000rpm、4速AT
  • V8クワトロ(1991年-1993年)
    V型8気筒 DOHCエンジン 4,172cc、280ps/5,800rpm、40.7kg·m/4,000rpm、4速AT

V8クワトロ DTM

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アウディ・V8クワトロ DTM(1990)
V8クワトロ DTM(1990年仕様)
ボディ
エンジン位置
駆動方式 4WD
パワートレイン
エンジン V8 4バルブ 3,561.8 cc[1]
最高出力 400 ps[2]
変速機 アウディ製 6速[2]
サスペンション
マクファーソンストラット[2]
ダブルウィッシュボーン[2]
車両寸法
ホイールベース 2,703 mm[2]
全長 4,874 mm[2]
全幅 1,814 mm[2]
全高 1,335 mm[2]
車両重量 1,220 kg[2]
その他
タイヤ ダンロップ[2]
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V8クワトロ DTM(V8 Quattro DTM)は、アウディが1990年からドイツツーリングカー選手権(DTM)参戦するために開発したコンペティション・カーである。

1987年限りで世界ラリー選手権(WRC)を含むラリー活動から撤退したアウディはサーキットレースに矛先を転じ、アメリカで新たなモータースポーツ活動を開始した。1988年にはアメリカのTrans-Amシリーズに200クワトロで参戦しタイトルを獲得。翌1989年には90クワトロIMSA GTOクラスに進出して活躍した[3]。サーキットでも4WDマシンの優秀さを証明したアウディは1990年、DTMへの参戦を開始した。当時DTMで活躍していたBMWメルセデス・ベンツは小型セダンでDTMを戦っておりアウディも90クワトロでの参戦を検討したが、シーズンの開幕までにホモロゲーションの取得に必要な12か月で5000台の生産をクリアすることが難しい状況であったため、高級車のV8をコンペティション仕様に仕立て上げて参戦することになった[4][5]。また登録に500台の追加生産が必要なエボリューションモデルも製造されなかった[6]

1990年、アウディはシュミット・モトール・シュポルト(SMS)からハンス=ヨアヒム・スタックの1台体制でDTMに臨んだ。アウディは参戦初年度をテスト期間と考えていたが[7]、シーズン前半で第4戦 アヴス、第6戦 ヴンストルフで4勝をあげ、有力なコンテンダーであることを自ら証明した[8]。その後ドイツ・ナショナル・モータースポーツ協会(ONS)がV8クワトロの最低重量を1220㎏から1300㎏に引き上げたことから成績が伸び悩んだが[9]、最低重量が1250㎏に引き下げられた最終戦 ホッケンハイムにSMSはストック、ヴァルター・ロールフランク・イェリンスキーの3台体制で挑み、連勝したストックが参戦1年目でドライバーズ・チャンピオンを獲得した[10][11]

V8クワトロ DTM(1991年仕様)

1991年はSMSに加えてアウディ・ツェントラム・ロイトリンゲン(AZR)から4台をエントリーさせた。1991年仕様のV8クワトロはフロントとリヤにスポイラーを装備し、エンジン出力も42馬力向上し442馬力を発生したが、最低重量は前年の活躍の結果BMWとメルセデスより300㎏以上重い1290㎏に設定された[12][13]。この最低重量の影響でシーズン序盤アウディの成績は振るわなかったが、第5戦 ヴンストルフからV8クワトロの最低重量が1250㎏に軽減されて以降アウディは競争力を取り戻した[14][15]。その結果、最終戦 ホッケンハイムでAZRのフランク・ビエラがメルセデスのクラウス・ルートヴィッヒを逆転しドライバーズ・タイトルを獲得。ビエラと同じくシーズン4勝をあげたスタックもドライバーズ・ランキングで3位のリザルトを残した[16]

V8クワトロ DTM(1992年仕様)

1992年はチーム、ドライバーとも前年と変わらず2チーム4台エントリーの体制で3年目のシーズンに臨んだ。最低重量は2年連続でタイトルを獲得した結果1300㎏とされた[17]。1992年シーズン序盤、アウディの成績は低迷し第2戦 ニュルブルクリンクヒート1でビエラがあげた1勝のみにとどまった[18]。その後、6月23日にONSのクランクシャフトのレギュレーション違反の指摘に反発したアウディは、第6戦 ニュルブルクリンクを最後にDTMから撤退した[19]

脚注

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  1. ^ ピーター・ニガード「ドイツ・ツーリングカーマシン解説」『RACING ON』第081号、武集書房、1990年、134頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j ニガード 1990a, p. 134.
  3. ^ 「革新こそ、我が使命」『RACING ON』第417号、ニューズ出版、2007年、39頁。 
  4. ^ ニガード 1990, p. 134.
  5. ^ 阪和明「ドイツ・ツーリングカー・レースのすべて」『CAR GRAPHIC』第368号、二玄社、1991年、281頁。 
  6. ^ 阪 1991, p. 281.
  7. ^ 「NEWS NETWORK」『RACING ON』第069号、武集書房、1990年、38頁。 
  8. ^ ピーター・ニガード「1990 ドイツ・ツーリングカー選手権レビュー」『RACING ON』第087号、武集書房、1990年、68頁。 
  9. ^ ニガード 1990b, p. 69.
  10. ^ 「NEWS NETWORK」『RACING ON』第086号、武集書房、1990年、37頁。 
  11. ^ ニガード 1990b, pp. 69‐70.
  12. ^ ピーター・ニガード「'91ドイツ&イギリス・ツーリングカー選手権プレビュー」『RACING ON』第098号、武集書房、1991年、70頁。 
  13. ^ 阪 1991, p. 285.
  14. ^ ピーター・ニガード「ドイツ・ツーリングカー選手権シリーズ中間展望」『RACING ON』第106号、武集書房、1991年、122頁。 
  15. ^ 阪 1991, p. 277.
  16. ^ ピーター・ニガード「最終戦'91ドイツ・ツーリングカー選手権レビュー」『RACING ON』第114号、武集書房、1992年、130頁。 
  17. ^ ピーター・ニガード「'92ドイツ・ツーリングカー選手権プレビュー」『RACING ON』第120号、ニューズ出版、1992年、138頁。 
  18. ^ ピーター・ニガード「'92ドイツ・ツーリングカー選手権レビュー」『RACING ON』第136号、ニューズ出版、1993年、82頁。 
  19. ^ 「NEWS NETWORK」『RACING ON』第125号、ニューズ出版、1992年、36頁。 

関連項目

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