長澤徹
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名前 | ||||||
愛称 | テツ、テツさん | |||||
カタカナ | ナガサワ テツ | |||||
ラテン文字 | NAGASAWA Tetsu | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1968年5月28日(56歳) | |||||
出身地 | 愛媛県 | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右 | |||||
ユース | ||||||
1984-1987 1987-1991 |
静岡県立清水東高等学校 筑波大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1991-1994 1995-1997 |
ヤマハ発動機/ジュビロ磐田 本田技研 |
28 (1) 53 (2) | ||||
監督歴 | ||||||
2006 2008-2010 |
FC東京U-15深川 FC東京U-15深川 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
長澤 徹(ながさわ てつ、1968年5月28日 - )は愛媛県出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー/ディフェンダー。
来歴・人物
清水東高校(武田修宏の1年後輩)から筑波大学へ進み、筑波大では中山雅史、井原正巳の1年後輩。大学卒業後1991年に日本サッカーリーグ1部に所属していたヤマハ発動機サッカー部に入団、ヤマハからジュビロ磐田への変革期に主に右サイドバックとしてチームを支え、磐田のJリーグ昇格に貢献した。
ジャパンフットボールリーグの本田技研へ移籍後、1996年のジャパンフットボールリーグ優勝にも貢献した後に現役を引退し、同チームのコーチとなり指導者としてのキャリアをスタート。
2001年からJ1のFC東京のコーチに就任。選手一人一人を丁寧に観察し、出場機会を得られない選手を技術面・メンタル面ともにサポートする姿が練習場で日々見られた。加地亮、佐藤由紀彦、福田健二、鈴木規郎、増嶋竜也[1]らが、試合出場機会を得られなかった時期に基本的な技術を見つめなおす助言を与えたり、クサりがちになる精神面のケアなど丁寧に話し掛け、真摯に選手と向き合った指導法に感謝する談話が選手本人らのインタビュー記事などで語られるなど、選手に大きな影響を与え信頼も厚い。
2006年、FC東京U-15深川監督に就任し、ユース世代の育成担当となったが、夏にトップ監督のガーロが解任となり、倉又寿雄新監督就任と共にトップチームヘッドコーチに就任。
2010年5月、S級ライセンスを取得した[2]。同年9月19日、大熊清の監督就任に伴いトップチームのコーチに再任。契約満了により、2011年限りでFC東京を退団。
2012年より、古巣である磐田のヘッドコーチを務める。
エピソード
- 中山雅史によれば、長澤はサッカーを観て研究することが大好きな人物で、ヤマハ時代にはセリエAなどのビデオを好んで観て研究していたという。
- 2002年FIFAワールドカップの準備で日本でキャンプしていたアルゼンチン代表とFC東京が練習試合をする機会があり、その時にアルゼンチン代表の練習法やコーチの指導法を研究していたことを本人が明らかにしている。
指導法編
- 守備が嫌いだった馬場憂太や梶山陽平に、守備のイメージの薄いデイビッド・ベッカムが守備のために奔走しているシーンを集めたVTRを用意して見させ「守備なんて格好良くない」と思っていた選手の美意識を変えさせた[3]。
名言編
- 「実生活とサッカーは結びついている。プライベイトがうまく行っていない選手はプレーを見ればすぐに判る」
- 「結婚もプロ選手も1年2年は誰でもできる、10年・20年と勝負できないと」
- 「プロサッカー選手は30歳過ぎてもやれれば一流。20代で終わったらアルバイト」[4]
所属クラブ
- 1984年 - 1987年 静岡県立清水東高等学校
- 1987年 - 1991年 筑波大学
- 1991年 - 1994年 ヤマハ発動機/ジュビロ磐田
- 1995年 - 1997年 本田技研
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1990-91 | ヤマハ | 27 | JSL1部 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||
1991-92 | 14 | 6 | 0 | 0 | 0 | ||||||
1992 | 旧JFL1部 | 0 | 0 | - | |||||||
1993 | 磐田 | 14 | 15 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 19 | 1 | |
1994 | - | J | 7 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | |
1995 | 本田 | 4 | 旧JFL | 24 | 1 | - | 1 | 0 | 25 | 1 | |
1996 | 29 | 1 | - | 3 | 0 | 32 | 1 | ||||
1997 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J | 7 | 0 | |||||||
日本 | JSL1部 | 6 | 0 | 0 | 0 | ||||||
日本 | 旧JFL | 68 | 3 | ||||||||
総通算 | 81 | 3 | 6 | 0 |
その他の公式戦
- 1991年
- コニカカップ 1試合0得点
指導歴
- 1998年-2000年 本田技研 コーチ
- 2001年-2011年 FC東京
- 2001年-2005年 トップチーム コーチ
- 2006年1月-8月 U-15深川 監督
- 2006年8月-2007年 トップチーム ヘッドコーチ
- 2008年-2010年9月 U-15深川 監督
- 2010年9月-2011年 トップチームコーチ
- 2012年 - ジュビロ磐田 ヘッドコーチ
タイトル
- FC東京U-15深川
脚注
- ^ 増嶋竜也のドラマ 京都サンガ選手インタビュー 京都サンガF.C.公式サイト
- ^ 財団法人 日本サッカー協会 平成22年度 第2回理事会 協議事項 (PDF) 日本サッカー協会公式サイト
- ^ FC東京の実態(2/3) スポーツナビ
- ^ 石川直宏、プロ10年目の覚醒 ゴール量産を支える“積み上げの美学” スポーツナビ