長村裕之
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 徳島県鳴門市 |
生年月日 | 1958年12月12日(65歳) |
身長 体重 |
176 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1980年 ドラフト2位 |
初出場 | 1984年4月1日 |
最終出場 | 1988年10月23日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
| |
コーチ歴 | |
| |
この表について
|
長村 裕之(ながむら ひろゆき、1958年12月12日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手(捕手)。オリックス・バファローズの元編成部長で、2015年からは同球団の事業本部リテール営業部担当部長を務める[1]。
来歴・人物
鳴門市立鳴門工業高等学校では1976年、夏の甲子園予選南四国大会準決勝に進出するが高知商に敗退。 卒業後は駒沢大学へ進学した。大学時代には東都大学リーグで3度優勝。1980年の全日本大学野球選手権大会準優勝。同年の第9回日米大学野球選手権大会日本代表に選出され、秋季リーグでは首位打者を獲得している。リーグ通算72試合に出場、209打数62安打、打率.297、1本塁打、20打点という成績を残した。ベストナインを2度受賞。
1980年のドラフト会議で、阪急ブレーブスから2位指名を受けて入団。阪急には中沢伸二、片岡新之介がおり、一軍への登場は1984年と遅かったが、1985年には藤田浩雅の控え捕手や右の代打として60試合に出場している。阪急が球団の経営権をオリックスに売却した1988年限りで、現役を引退。
阪急の後継球団であるオリックス・ブルーウェーブでは、1995年から1998年まで一軍バッテリーコーチを務め、チームのリーグ2連覇と1996年の日本一に貢献。1999年には二軍バッテリーコーチを担当した。ブルーウェーブが大阪近鉄バファローズとの合併を機にオリックス・バファローズになった2005年以降は、ファームディレクターを経て、球団本部長補佐兼管理部長、編成部長兼国際グループ長、球団副本部長兼編成部長などの要職を歴任した。
2013年12月16日には、オリックス・バファローズから、二軍ヘッドコーチ兼チーフバッテリーコーチへの転任が発表された[2]。長村にとっては、16年ぶりの現場復帰になる。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1984 | 阪急 | 31 | 41 | 35 | 1 | 9 | 1 | 0 | 0 | 10 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 0 | 6 | 0 | .257 | .350 | .286 | .636 |
1985 | 60 | 101 | 86 | 8 | 18 | 1 | 0 | 2 | 25 | 11 | 0 | 0 | 2 | 3 | 10 | 0 | 0 | 17 | 3 | .209 | .283 | .291 | .574 | |
1986 | 26 | 37 | 30 | 2 | 5 | 2 | 0 | 0 | 7 | 6 | 0 | 0 | 2 | 1 | 4 | 0 | 0 | 3 | 2 | .167 | .257 | .233 | .490 | |
1987 | 9 | 7 | 7 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .143 | .143 | .286 | .429 | |
1988 | 18 | 20 | 16 | 2 | 2 | 0 | 0 | 1 | 5 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | .125 | .300 | .313 | .613 | |
通算:5年 | 144 | 206 | 174 | 13 | 35 | 5 | 0 | 3 | 49 | 20 | 0 | 1 | 5 | 4 | 23 | 0 | 0 | 27 | 6 | .201 | .289 | .282 | .570 |
年度別守備成績
年度 | 試合 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 |
---|---|---|---|---|---|
1984 | 4 | 1 | 1 | 0 | .000 |
1985 | 23 | 18 | 11 | 7 | .389 |
1986 | 12 | 5 | 4 | 1 | .200 |
1987 | 6 | 3 | 2 | 1 | .333 |
1988 | 3 | 0 | 0 | 0 | - |
通算 | 48 | 27 | 18 | 9 | .333 |
記録
- 初出場・初先発出場:1984年4月1日、対ロッテオリオンズ1回戦(阪急西宮球場)、6番・指名打者として先発出場
- 初打席:同上、1回裏に石川賢の前に凡打
- 初安打:1984年4月14日、対西武ライオンズ2回戦(西武ライオンズ球場) 9回表に小林晋哉の代打として出場、江夏豊から二塁打
- 初打点:1984年8月30日、対日本ハムファイターズ23回戦(阪急西宮球場)、8回裏に小林晋哉の代打として出場、間柴茂有から決勝適時打
- 初本塁打:1985年8月6日、対南海ホークス16回戦(大阪球場)、4回表に藤田浩雅の代打として出場、山内孝徳からソロ
背番号
- 23 (1981年 - 1988年)
- 73 (1995年 - 1999年)
- 97 (2014年 - )
関連項目
脚注
- ^ 森脇監督付に元阪神杉山直久氏 オリ人事 ニッカンスポーツ・コム、2014年12月26日閲覧
- ^ 長村裕之二軍ヘッドコーチ就任のお知らせオリックス・バファローズ公式サイト2013年12月16日付ニュース