葛の葉
葛の葉(くずのは)は、伝説上のキツネの名前。葛の葉狐(くずのはぎつね)、信太妻、信田妻(しのだづま)とも。また葛の葉を主人公とする人形浄瑠璃および歌舞伎の『蘆屋道満大内鑑』(あしやどうまん おおうち かがみ)も通称「葛の葉」として知られる。稲荷大明神(宇迦之御魂神)の第一の神使であり、 安倍晴明の母とされる。
伝説の概要
伝説の内容は伝承によって多少異なるが、おおむね以下のとおりである。
村上天皇の時代、河内国のひと石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、兄の蘆屋道満の占いによって、和泉国和泉郡の信太の森(現在の大阪府和泉市)に行き、野狐の生き肝を得ようとする。摂津国東生郡の安倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名(伝説上の人物とされる)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際にけがをしてしまう。そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱して家まで送りとどける。葛の葉が保名を見舞っているうち、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうける(保名の父郡司は悪右衛門と争って討たれたが、保名は悪右衛門を討った)。童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知れてしまう。全ては稲荷大明神(宇迦之御魂神)の仰せである事を告白し、さらに次の一首を残して、葛の葉は信太の森へと帰ってゆく。
- 恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
保名は書き置きから、恩返しのために葛の葉が人間世界に来たことを知り、童子丸とともに信太の森に行き、姿をあらわした葛の葉から水晶の玉と黄金の箱を受け取り別れる。なおこの水晶の玉と黄金の箱は、稲荷大明神(宇迦之御魂神)から葛の葉が童子丸に授ける様に仰せを受けて預かっていた。数年後、童子丸は晴明と改名し、天文道を修め、母親の遺宝の力で天皇の病気を治し、陰陽頭に任ぜられる。しかし、蘆屋道満に讒奏され、占いの力くらべをすることになり、結局これを負かして、道満に殺された父の保名を生き返らせ、朝廷に訴えたので、道満は首をはねられ、晴明は天文博士となった。
伝説の背景
稀代の陰陽師としての伝説を持つ安倍晴明が、人間の父と狐の母の間に生まれたという異類婚姻譚の初出は、中世末期に成立した『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』という陰陽道の注釈書である[1]。信太妻伝説は晴明の伝説が膨張した室町時代中期に成立し、近世初期には多くの類話が仮名草子に集成された。
民間の陰陽師が語った系統の信太妻では、和泉市王子町にある聖神社の祀る信太明神との関連を強調している[1]。信太明神は元々は聖神という狐を使役する神であり、社伝によれば675年(白鳳3年)に渡来人の信太首の勅願によって祀られた事を縁起している。平安時代末期には信太の森にちなんで信太明神と呼ばれるようになった。近世初期の文献からは、信太妻伝説が発生する以前から信太の森には古狐が棲むという伝承があったと考えられ[1]、諏訪春雄は、民間の陰陽師が自分たちの祖師とも言える安倍晴明の出自を、渡来系の神である信太明神や稲荷信仰と関連付ける過程で異類婚姻譚が組み込まれたと述べている[1]。
葛の葉を題材とする作品
- 説経節『信太妻』(『信田妻』とも)
- 地歌『狐会』(こんかい)元禄元年(1690年)頃 - 男女が入れ替わっているために立役のために作られた芝居唄と考えられている
- 紀海音 浄瑠璃『信田森女占』元禄16年(1703年)
- 初世竹田出雲 人形浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑』 享保19年(1734年)
- 歌舞伎『蘆屋道満大内鑑』享保20年(1735年) - 歌舞伎化
- 岡田玉山 『阿也可之譚』(あやかし ものがたり)文化3年(1806年)
- 曲亭馬琴 『敵討裏見葛葉』(かたきうち うらみ くずのは)文化4年(1807年)
- 歌舞伎舞踊『保名』文政元年(1818年)初演 - 地(曲)は『清元』
- 瞽女唄『葛の葉子別れ』
- 映画『恋や恋なすな恋』 1962年 - 監督:内田吐夢、主演:大川橋蔵、東映
- 小松左京 『女狐』 1967年
- 石ノ森章太郎 『変身忍者嵐』第3話 1972年
- 横溝正史 『車井戸はなぜ軋る』 1973年
- 手塚治虫 『悪右衛門』 1973年
- 阿井文瓶 『ウルトラマンレオ第29話 運命の再会!ダンとアンヌ』[要出典] 1974年
- 辻井喬 『狐の嫁入り』 1976年
- 坂田靖子 『葛の葉』(『珍見異聞1』所収)1991年
- 田辺真由美 『華夜叉 巻之九 葛の葉』 1996年
- 藤原眞莉 『姫神さまに願いを』 1998年–2006年
- 演劇 月蝕歌劇団『陰陽師 安倍晴明ー最終決戦ー』 2001年 - 作・演出:高取英、音楽:J・A・シーザー
- 小松左京・高橋桐矢 『安倍晴明 天人相関の巻』 2002年
- 落語「天神山」(上方落語) / 「墓見」(江戸落語、「安兵衛狐」「葛の葉」とも) - 罠にかかった狐を逃がしてやった保名ならぬ「安兵衛」のところに狐が化けた女房が訪ねてくる物語。信太ではなく、上方落語では安居天神(安居神社)、江戸落語では谷中の天王寺が舞台となる。上方落語では狐が書き残す歌も「恋しくばたずねきてみよ 南なる天神山の森の中まで」となっている。
- オペラ「白狐」 - 岡倉覚三(天心)が英語で執筆した "The White Fox"を原作とするオペラ[2]
- 日本のサーカスには足芸(台に寝転んだ人の足の上に物や人を乗せる芸)で、障子と人を乗せ、乗った人が障子に:恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉を毛筆で書く芸がある[3]。
安倍晴明を主人公とする作品には、葛の葉に触れているものもある。安倍晴明が登場する作品を参照。
備考
- 油揚げを用いた食べ物のことを、葛の葉の生誕地とされる信太の森にちなんで「しのだ」と呼ぶことがある[4]。(例:信太巻)
- 明治時代の曲芸に、「信田妻」という、両手での同時筆記、筆を口に加えての筆記などを売り物にした演目がある。
- 南海本線の高石駅と阪和線の北信太駅は、それぞれ「葛葉」と「葛葉稲荷」という駅名で開業している。
- 信太森葛葉稲荷神社の鎮座地は、中という村名(のち信太村の大字名)だったが、和泉市編入の際に「葛の葉町」と改称されている。
脚注
参考文献
- 折口信夫 「信田妻の話」 『折口信夫全集』第二巻、中央公論社、1965年 ISBN 4-1240-0712-4 / ISBN 4-1220-0267-2〈中公文庫〉
- 高木元 『江戸読本の研究 -十九世紀小説様式攷-』 ぺりかん社、1995年 ISBN 4-8315-0677-X
- ともえ 「越後の瞽女さん」 ともえのお部屋 - ウェイバックマシン(2000年2月29日アーカイブ分)、2002年
- 「説経とその枝葉」(十四) 『邦楽ニュース』VOL.190、日本の伝統音楽を守る会、2001年
関連項目
外部リンク
- 信太森葛葉稲荷神社
- 安倍晴明神社
- 信太の森ふるさと館
- 桔梗院 - ウェイバックマシン(2018年12月24日アーカイブ分) 「葛乃葉伝説」「写真でみる晴明縁の地」など
- いずみ観光ナビ-伝説
- 説経節 若松若太夫 若松派(説経節にて葛の葉を上演)