天王寺 (台東区)
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山門 |
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| 所在地 | 東京都台東区谷中7-14-8 |
| 位置 | 北緯35度43分36.5秒 東経139度46分15.9秒 |
| 山号 | 護国山 |
| 宗派 | 天台宗 |
| 寺格 | 特別寺 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建年 | 文永11年(1274年) |
| 開山 | 日源 |
| 開基 | 関小次郎長耀 |
| 正式名 | 護国山尊重院天王寺 |
| 札所等 | 谷中七福神(毘沙門天) |
天王寺(てんのうじ)は東京都台東区谷中にある天台宗の寺院。正式名称は「護国山尊重院天王寺」である。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 開創から日蓮宗時代
日蓮が鎌倉と安房を往復する際に関小次郎長耀の屋敷に宿泊した事に由来する。関小次郎長耀が日蓮に帰依して草庵を結んだ。日蓮の弟子の日源が法華曼荼羅を勧請して開山した。1648年(慶安元年)に第9世日長による『長耀山感応寺尊重院縁起』が唯一の資料で、開創以後日耀が中興するまでの歴史は不明である。
[編集] 弾圧と改宗
開創時から日蓮宗であり早くから不受不施派に属していた。不受不施派は邪宗であるとして江戸幕府により弾圧を受けた。日蓮宗第15世日遼の時、1698年(元禄11年)に強制的に改宗となり、14世日饒、15世日遼が共に八丈島に遠島となる。廃寺になるのを惜しんだ輪王寺宮公弁法親王が寺の存続を望み、慶運大僧正を天台宗第1世として迎えた。
[編集] 寺号改称
1833年(天保4年)、法華経寺の子院知泉院の日啓や、その娘で大奥女中であったお美代の方などが林肥後守・美濃部筑前守・中野領翁らを動かし、感応寺を再び日蓮宗に改宗する運動が起きる。しかし、輪王寺宮舜仁法親王の働きにより日蓮宗帰宗は中止となり「長耀山感応寺」から「護国山天王寺」へ改号した。
[編集] 富くじ
1700年から徳川幕府公認の富突(富くじ)が興行され、目黒不動、湯島天神と共に「江戸の三富」として大いに賑わった。1728年(享保13年)に幕府により富突禁止令がだされるも、興行が許可され続け、1842年(天保13年)に禁令が出されるまで続けられた。
[編集] 年表
- 1274年 感応寺が開山する。
- 1645年 五重塔を建立する。
- 1648年 日蓮宗第9世日長により『長耀山感応寺尊重院縁記』が著される。
- 1690年 釈迦牟尼仏像を鋳造する。
- 1698年 天台宗に改宗する。
- 1699年 天台宗第1世慶運大僧正入寺、比叡山より毘沙門天像を迎えて本尊とする。
- 1700年 富くじの興行が幕府に許可される
- 1772年 明和の大火により、五重塔を焼失する。
- 1791年 五重塔を近江出身で湯島の大工八田清兵衛再建する。
- 1833年 護国山天王寺と改称する。
- 1842年 富くじ興行が禁止される。
- 1868年 彰義隊の兵火により本坊、五重塔以外焼失。
- 1870年 建仁寺の大島盈株が五重塔の実測図を作成する。
- 1874年 寺域の一部を東京府に移管し、谷中霊園となる。
- 1884年頃 五重塔を修理する。
- 1908年 五重塔を東京市に寄贈する。
- 1957年 谷中五重塔放火心中事件により、五重塔を焼失する。
- 1961年 毘沙門堂落成。
- 1979年 天台宗特別寺の寺格となる。
[編集] 文化財
- 絹本着色両界曼荼羅(台東区指定有形文化財)
- 絹本着色阿弥陀二十五菩薩来迎図(台東区指定有形文化財)
- 絹本着色天台大師画像(台東区指定有形文化財)
- 木造毘沙門天立像(台東区指定有形文化財)
- 銅造釈迦如来坐像(台東区指定有形文化財) 太田久右衛門
- 富興行関係資料(台東区指定有形文化財)
[編集] 関連項目
[編集] 交通アクセス
- バス
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 天王寺 - 天台宗東京教区の公式サイト