稲見哲男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。WCCbot (会話 | 投稿記録) による 2016年3月26日 (土) 01:15個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (WP:BOTREQ#民主党 (日本 1998-2016)の改名に基づくリンク変更依頼 (oldid=59086345)による)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

稲見 哲男
いなみ てつお
生年月日 (1948-07-20) 1948年7月20日(75歳)
出生地 京都府宇治市
出身校 大阪星光学院高等学校
前職 大阪市職員
衆議院議員
所属政党 民主党

選挙区比例近畿ブロック→)
大阪5区
当選回数 2回
在任期間 2003年 - 2005年
2009年 - 2012年
テンプレートを表示

稲見 哲男(いなみ てつお、1948年7月20日 - )は、日本政治家民主党所属の元衆議院議員(2期)。元総務大臣政務官野田第2次改造内閣)。

来歴

京都府宇治市に生まれ、3歳の時に大阪府大阪市へ移り住む。大阪星光学院高等学校卒業。高校卒業後は大阪市役所に就職し、大阪市職員労働組合に加入。1986年から1996年まで10年間にわたり大阪市職労副委員長を務め、組合活動・市民運動に取り組む。市職員時代は日本社会党及びその後継政党である社会民主党の党員であった。

1996年第41回衆議院議員総選挙に際して社民党を離党し、旧民主党に入党して同党公認で大阪5区から出馬するが、新進党現職の谷口隆義日本共産党現職の東中光雄自由民主党新人の中山泰秀に得票数で後塵を拝し、得票数最下位で落選。2000年第42回衆議院議員総選挙にも民主党公認で大阪5区から出馬するが、再び公明党現職(自民党・保守党推薦)の谷口に敗れた。2003年第43回衆議院議員総選挙でも大阪5区では落選したが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、初当選した。

2005年第44回衆議院議員総選挙では郵政解散による自民党への強い追い風に加え、大阪市職員を自身の秘書に登用していた「ヤミ専従」が問題視され[1]比例復活も叶わず落選した。

2009年第45回衆議院議員総選挙では初めて大阪5区で当選し、4年ぶりに国政に復帰した。2012年7月6日野田第2次改造内閣において、野田佳彦首相の消費税増税の方針に反発して辞任した福田昭夫の後任の総務大臣政務官に就任。

同年12月の第46回衆議院議員総選挙には出馬せず、政界を引退した[2]

政策

所属していた団体・議員連盟


脚註

  1. ^ [1]大阪市職、民主・稲見衆院議員の秘書2人に給与 「献金」批判も 2009年12月7日 産経新聞
  2. ^ 【衆院選】長男は維新府議…自民の西野元副大臣が引退 大阪、民主の稲見元政務官も - MSN産経ニュース
  3. ^ mネット、2004年2月 国会議員への民法改正に関するアンケート
  4. ^ 「共謀罪」に反対する超党派国会議員と市民の集い

外部リンク

公職
先代
郡和子大串博志園田康博
日本の旗 内閣府大臣政務官
園田康博郡和子大串博志北神圭朗と共同
加賀谷健郡和子金子恵美岸本周平大野元裕本多平直高山智司と共同

2012年 -
次代
(現職)
先代
加賀谷健森田高
日本の旗 総務大臣政務官
加賀谷健森田高と共同
石津政雄森田高と共同

2012年
次代
北村茂男片山さつき橘慶一郎