生國魂神社
生國魂神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9 |
位置 | 北緯34度39分54.3秒 東経135度30分45.4秒 / 北緯34.665083度 東経135.512611度座標: 北緯34度39分54.3秒 東経135度30分45.4秒 / 北緯34.665083度 東経135.512611度 |
主祭神 |
生島大神 足島大神 |
社格等 | 式内社(名神大)・官幣大社・別表神社 |
創建 | 伝・神武天皇年間(紀元前711年-紀元前585年) |
本殿の様式 | 生国魂造 |
札所等 | 神仏霊場巡拝の道48番(大阪7番) |
例祭 | 9月9日 |
地図 |
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区にある神社。式内社で、旧社格は官幣大社。難波大社(なにわのおおやしろ)ともいう。地元では生玉(いくたま)さんの通称で親しまれている。
祭神
生島(いくしま)大神・足島(たるしま)大神を主祭神とし、相殿に大物主大神を祀る。主祭神二神は宮中でも生島巫(いくしまのみかんなぎ)によって祀られ、歴代の天皇即位の際には国家の祭祀として二神を祀る八十島(やそしま)祭が行われた。
歴史
伝承によれば、神武東征の際に、神武天皇が難波碕(現在の上町台地)の先端に日本列島そのものの神である生島大神・足島大神を祀り、国家安泰を祈願したことに始まるという。『日本書紀』孝徳天皇即位前紀には、天皇が難波宮造営に際して北隣する「生國魂社の樹(木)」を切ったとある。延喜式神名帳には「難波坐生國咲國魂神社 二座」と記載され、名神大社に列している。
1496年(明応5年)に蓮如によって、のちに石山本願寺となる石山御坊の草庵が神域の一角に結ばれた。石山本願寺は豊臣期の大坂城の詰之丸に存在したとされ、当社の最初の鎮座地は豊臣期の詰之丸付近に相当する、現在の天守閣周辺ということになる。
1580年(天正8年)に石山合戦の戦火により焼失。1583年(天正11年)には豊臣秀吉による大坂城築城に際して現在地への移転が決定された。秀吉は300石の社領を寄進して社殿を造営し、1585年(天正13年)に遷座された。このときに造営された社殿は「生国魂造」と呼ばれ、流造の屋根の正面の屋上に千鳥破風、唐破風さらにその上に千鳥破風と3重に破風を乗せるという独特の建築様式のものである。1615年(元和元年)には大坂夏の陣の兵火にかかったが、徳川秀忠によって再建され、これまで通り300石の社領が寄進された。
明治維新期の神仏分離によって神宮寺の法案寺(真言宗)を境外へ分離。1912年(明治45年)1月のミナミの大火により焼失し、翌年再建。1945年(昭和20年)3月の第1回大阪大空襲により焼失し、4年後に再建されるも1950年(昭和25年)9月のジェーン台風により倒壊。社殿喪失が相次いだこともあって、1956年(昭和31年)に鉄筋コンクリート造りで再建された。
境内社
以下の11社の境内社がある。
- 皇大神宮
- 住吉神社
- 天満宮
- 鴫野神社(しぎのじんじゃ) - かつては弁天島(現在の大阪ビジネスパークの位置)に祀られており、淀殿が篤く崇敬した。淀殿死去の後は淀姫社と呼ばれるようになった。弁天島の用地売収にともない当社内に遷座した。現在も「女性守護の神」として信仰を集める。市寸島比売(いちきしまひめ)、大宮賣神(おおみやひめのかみ)、淀姫神(よどひめのかみ)が祭神。
- 城方向(きたむき)八幡宮 - 大坂城鬼門鎮護の社。大坂城の方を向いて北向きに建てられている。
- 家造祖(やづくりみおや)神社 - 家造りの祖神を祀り、建築業者から崇敬される。手置帆負神(たおきのおいのかみ)、彦狭知神(ひこさしりのかみ)が祭神。
- 浄瑠璃神社 - 近松門左衛門ら文楽(浄瑠璃)関係者を祀る。文楽だけでなく、広く芸能上達の神として信仰される。
- 鞴(ふいご)神社 - 鉄鋼・金物の神として、また、かまどの神として信仰される。天目一箇神(あめのまひとつのかみ)、石凝土杼売神(いしこりどめのかみ)、香具土神(かぐつちのかみ)が祭神。
- 稲荷神社 - 祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)の分霊。
- 源九郎稲荷神社
- 精鎮(せいちん)社 - 元は表参道の蓮池に祀られていたが、戦後、地下鉄工事のために蓮池が埋められることになり、境内に遷された。事代主神(恵比須)、比咩大神(弁天)が祭神。
祭
文化財
文学作品
近松門左衛門の『生玉心中』は生國魂神社の境内が舞台である。 近松の代表作『曽根崎心中』の冒頭生玉社の段も生國魂神社が舞台である。
関連図書
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、6頁
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、23頁
- 上山春平他『日本「神社」総覧』新人物往来社、1992年、192-193頁
- 『神道の本』学研、1992年、222頁