池松時和

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池松時和

池松 時和(いけまつ ときかず、1873年8月 - 1953年4月17日)は、日本内務官僚政友会系官選府県知事

経歴

鹿児島県出身。池松静蔵の長男として生まれる。第七高等学校を経て、1898年東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り警視庁警部となる。

以後、佐賀県参事官群馬県警部長岩手県警部長栃木県事務官第四部長、愛知県事務官・第四部長、福井県内務部長などを歴任。

1912年3月、福井知事に就任。以後、千葉県滋賀県和歌山県大阪府の知事を歴任。1922年10月、京都府知事となる。郡部の道路整備、養蚕業の振興を推進した。1924年12月に辞任し退官。1933年都ホテル株式会社取締役会長に就任した。

親族

娘・田鶴子は日本画家・橋本関雪の長男・節哉に嫁いだ[1]

脚注・出典

参考文献

  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。