横浜商科大学高等学校
横浜商科大学高等学校 | |
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過去の名称 |
横浜第一商業学校 横浜第一商業高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人横浜商科大学高等学校 |
校訓 | 安んじて事を託さるゝ人となれ |
設立年月日 | 1941年 |
創立記念日 | 4月17日 |
創立者 | 松本武雄 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 商業科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 14520D |
所在地 | 〒241-0005 |
神奈川県横浜市旭区白根七丁目1番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
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横浜商科大学高等学校(よこはましょうかだいがくこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市旭区白根七丁目に所在する私立高等学校。略称は商大(しょうだい)。横浜商科大学とは姉妹校の関係にあたるが、現在の設置者はそれぞれ異なる。
概要
教育課程
教育課程は大きく分けて普通科と商業科があり、入学後に類型別の学習体系となる。
沿革
- 1941年 - 現在の横浜商科大学つるみキャンパス所在地に横浜第一商業学校設立。
- 1946年 - 新学制により横浜第一商業高校になる。
- 1963年 - 普通科の生徒募集を開始。
- 1966年 - 校地を旭区白根町に移転。
- 1975年 - 校名を横浜商科大学高等学校に改称。
- 1978年 - 学校法人名を吉澤学園より横浜商科大学高等学校となる。
- 2001年 - 創立60周年記念新校舎完成。
- 2003年 - 男女共学校となる。
- 2006年 - 卒業生が30000人を超える。
- 2014年 - 理事長は松本良彦が退任し、松本一彦が就任する。
著名な出身者
- プロ野球選手
- 倉持明(元ロッテオリオンズ)
- 木田勇(元日本ハムファイターズ)
- 松本隆春(元横浜大洋ホエールズ)
- 斉藤秀光(元横浜ベイスターズ)
- 小森孝憲(元東京ヤクルトスワローズ・元同球団広報)
- 岩崎達郎(東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 田澤純一(ボストン・レッドソックス)
- 松井淳(東京ヤクルトスワローズ)
- 松山傑(元横浜ベイスターズ)
- 中村亘佑(広島東洋カープ)
- サッカー選手
- バスケットボール選手
- 福田幹也:1999年卒業
- 蒲谷正之(bjリーグ・横浜ビー・コルセアーズ所属):2001年卒業
- 君塚大輔:2001年卒業
- 浅野崇史(NBL・つくばロボッツ所属):2004年卒業
- 鈴木鉄夫(NBDL・アイシン・エィ・ダブリュ アレイオンズ安城所属)
- ラグビー選手
- その他
- 松田知幸(射撃選手・北京五輪代表 神奈川県警察)
- 冬木弘道(プロレスラー)
- 金親和憲(大相撲、中退)現・宮城野親方
- 木下政典(競輪選手)
- 細川洋(競輪選手)
- 真板潔(プロゴルファー)
- 野仲茂(プロゴルファー)
- 斉藤慶太(俳優)
- 斉藤祥太(俳優)
- 植村喜八郎(俳優)
- 中國卓郎(声優)
- Kayzabro(ラッパー)
- 中嶋裕(元芸人・Rまにあ)
- 蛭田達也(漫画家・コータローまかりとおる!シリーズ)
- 貝阿弥範明(ゲームデザイナー・プロデューサー 工画堂スタジオ)
- 黒沢幸司(アナウンサー)
- 藤代哲夫(横浜市会議員・神奈川区選出)
- 花上喜代志(横浜市会議員・瀬谷区選出)
野球部
- 全国大会出場回数 夏3回・春1回 夏4勝3敗 春0勝1敗
男子バスケットボール部
- 全国大会出場回数 夏5回・冬5回
- 2002年夏(1回戦敗退)
- 2002年冬(ベスト16)
- 2003年夏(ベスト16)
- 2003年冬(ベスト16)
その他
- 横浜商科大学への進学では、特別指定校推薦枠が設けられ、基準点以上の者は選考は書類審査と面接のみ。
- 2003年の男女共学化の年、野球部の全国大会出場だけでなく、バスケットボール部もインターハイとJOMO杯ウィンターカップ出場(3回目)を果たしている。
- 体操部は、湘南工大附属とライバル関係にあったが、2010年春に廃部。
- この他、剣道部・ゴルフ部・フェンシング部等で、全国大会やインターハイなどに出場している。
- 日本で初めてのインテリジェントビル校舎がある(1987年竣工)。[1][2]
- 2008年男子制服が黒から紺になる。
事故・訴訟
2008年5月3日、同高校柔道部において、柔道初心者の男子生徒(当時1年生)が神奈川県高等学校柔道大会兼関東高等学校柔道大会県予選会の応援(雑用)に同行した際に事前準備無しで出場選手を相手にした投げ込み練習に参加、数名の選手に大外刈など数回投げられた後、意識不明の状態、急性硬膜下血腫を発症、遷延性意識障害(寝たきり)の後遺症。事故から約2週間後、過失責任は学校側に無い旨の内容証明を本校より当該生徒の家族宛てに送付。後、被害生徒本人と両親が同校に逸失利益や介護費など約2億5600万円の損害賠償を求め提訴。2013年2月15日、横浜地方裁判所にて原告の請求を棄却。2013年7月4日 東京高等裁判所(難波孝一裁判長)は学校法人横浜商科大学高等学校に約1億7000万円の支払いを命じる判決(但し、生徒は4月20日に顧問に対し、頭痛について病院を受診し医師の診察を受け脳CT検査を施行したが、異常は認められず脳震盪と診断されたので大丈夫である旨の報告を行い、頭痛、吐き気、食欲不振の症状が出てもこれを学校に知らせなかった。また、生徒の両親らにおいても、生徒の上記症状が自宅でも発生していたことに照らせば、これを認識していたが父らも上記症状を学校に知らせなかった。両親が生徒に頭痛等の症状があることを本大会前に学校に知らせておけば、顧問が生徒をこの練習に参加させない旨の指示を事前に出すなどの対応策がとられ、この事故が回避された可能性もあったという理由で過失相殺あり)。[3]