コンテンツにスキップ

東京大学駒場地区キャンパス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。219.175.128.173 (会話) による 2012年5月20日 (日) 07:04個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎関連項目)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

東京大学 > 東京大学駒場地区キャンパス

東京大学 駒場地区キャンパス(とうきょうだいがく こまばちくキャンパス)は、東京都目黒区駒場に所在する東京大学キャンパスの一つであり、同大学の本郷地区キャンパス柏地区キャンパスと並ぶ規模をもつ。「駒場キャンパス」あるいは「駒場」とも呼ばれる。

概要

駒場I、駒場IIの2キャンパスで構成されている。しかし、学生や学外の人の間では駒場IIキャンパスはあまり知られていないため、通常「駒場キャンパス」といえば駒場Iキャンパスのみを指すことが多い。また、「駒場」は東京大学教養学部の代名詞ともなっている(使用例:東大駒場騒動など)。

建造物については東京大学の建造物#駒場地区キャンパスの建造物を参照。

歴史

もともとこの地区は、現在の東京大学農学部の前身である駒場農学校(その後東京農林学校→東京帝国大学農科大学と改称)の校地であったが、1935年、東京大学農学部は向ヶ丘(本郷校地の一部)の旧制第一高等学校と校地を交換して移転し、代わって移転してきた旧制第一高等学校は、新制東京大学に包括され廃止になるまでここを校地とした。そして新制大学移行により、旧制第一高等学校に代わり東京大学教養学部がこのキャンパスに設置され、現在に至っている。

また一高の駒場移転以前の1926年、東大校地に隣接していた侯爵前田利為の邸宅(現在の東京大学「懐徳館」付近に所在)も、東京大学と敷地を交換し駒場の農学部農場跡地に移転してきた。この地に新しく建てられた前田邸は、その後さまざまな経緯をたどって1967年東京都駒場公園として公開されるようになり、現在に至っている。

駒場Iキャンパス

駒場Iキャンパスの銀杏並木

駒場Iキャンパスには教養学部があり、全ての学部前期課程の学生はここで学ぶ。また、理学部数学科は以前は本郷キャンパスにあったが、数理科学研究科の発足に伴い駒場に移転した。

未成年者が多いため、キャンパスは特定の喫煙所を除き禁煙となっている(他キャンパスも2008年4月1日より禁煙となった)。講義室での大量ビラ撒き、生協前でのサークル勧誘活動、銀杏並木(駒場Iキャンパスのメインストリート)の立て看板、学期開始時の大教室講義の立ち見(座席数以上の学生が聴講を希望するため)など、東大の他キャンパスにはない独特の雰囲気をもつ。国際的なキャンパスを目指しており、留学生比率が東大のキャンパスの中で最も高い。

駒場Iキャンパスには正門を入って正面に時計台(教養学部1号館(旧制第一高等学校本館))があり、同キャンパスを代表する景観となっていたが、最近その背後に高層の教養学部18号館が建設されたため、本郷キャンパスの安田講堂と同様に景観が破壊されたという声もある。

駒場寮の跡地に建設された新しい施設「東京大学駒場コミュニケーション・プラザ」には、大学生協の他、多目的教室・和室・身体運動実習室・音楽実習室などの設備がある。この施設はPFI事業によって建設された。2006年4月に北館がオープンし、同年10月に南館・和館がオープンした。

またキャンパスの西側には旧物理倉庫[1]と呼ばれる築80年以上を経過した[2]サークル棟が存在し、東京大学ウォリアーズアメリカンフットボール部)や美術サークルなど多くのサークルが利用していたが[3]2010年3月に取り壊しされた。

キャンパス南東部の数理科学研究科棟の近くには矢内原公園と呼ばれている小公園があるが、この付近にはかつて「矢内原門」という通用口があった。現在は「矢内原門跡」の石碑がある。

キャンパス東部にある池は、学生の間で本郷キャンパスの三四郎池にならい、「一二郎(浪)池」などと呼ばれていた(最近になって構内の一部の案内板にも「一二郎池」と記載されるようになった)が、2008年12月に学内公募によって正式名称が「駒場池」、愛称が「一二郎池」と決定された。この池の周辺はこれまで立入禁止になっていたため、池の存在はあまり知られていなかったが、現在遊歩道を整備中である。また、この池には「入学前に一人で見ると浪人する」や「入学後に一人で見ると留年する」などといったジンクスがある。

駒場IIキャンパス

駒場リサーチキャンパス内の研究棟。建物のモダンなデザインは京都駅の設計でも知られる原広司によるもの。
  • 使用学部:なし
  • 使用研究科:なし(ただし、工学系研究科の一部の専攻の研究室が置かれ、大学院学生も配属されている)
  • 使用附属施設:生産技術研究所、先端科学技術研究センター、国際・産学共同研究センター、駒場オープンラボラトリー
  • 交通アクセス:小田急小田原線東京メトロ千代田線代々木上原駅より徒歩12分、小田急小田原線東北沢駅より徒歩7分、京王井の頭線駒場東大前駅西口より徒歩10分、京王井の頭線池ノ上駅より徒歩10分

「駒場リサーチキャンパス」とも呼ばれる。駒場Iキャンパスとは直接は隣接していない。駒場に農学部が置かれていた時期には、駒場Iキャンパスだけでなく、駒場IIキャンパスも両キャンパスに挟まれた駒場公園も農科大学の敷地(農場)であった(先述のように現・駒場公園敷地は1935年の旧制第一高等学校移転に先立ち1926年前田家の邸宅地となった)。

1923年関東大震災後、被災した越中島の東京帝国大学航空研究所が駒場IIキャンパスの敷地に移転した。当時、日本海軍零式艦上戦闘機の開発にも使用された大型風洞が現在も残されている。

1964年に東京大学航空研究所が改組し、東京大学宇宙航空研究所が設置された。同研究所は1981年文部省所管の宇宙科学研究所(ISAS。現:宇宙航空研究開発機構(JAXA)・宇宙科学研究所)に改組されたが、1989年相模原キャンパスに移転するまではここに本拠を置いていた。

その後、1987年に先端科学技術研究センターが設置され、2001年には生産技術研究所が六本木から駒場IIキャンパスに移転してきた。現在は先端工学系の研究施設が集まるキャンパスとなっている。

出典

  1. ^ 東大駒場 旧物理倉庫
  2. ^ 東大のアトリエ展 第50回国公立展に寄せて”. 2010年12月30日閲覧。
  3. ^ アンケートへの協力のお願い”. 東京大学学友会学生理事会 (2008年12月2日). 2010年12月30日閲覧。

関連項目