岩波書店

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。180.147.132.89 (会話) による 2015年4月3日 (金) 12:24個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

岩波書店
正式名称 株式会社岩波書店
英文名称 Iwanami Shoten, Publishers.
現況 事業継続中
市場情報 非上場
出版者記号 00
取次コード 0365
法人番号 6010001010826 ウィキデータを編集
設立日 1949年昭和24年)4月30日
(創業は1913年大正2年)8月5日
代表者 代表取締役社長岡本厚
本社所在地 東京都千代田区一ツ橋二丁目5番5号
従業員数 200名
ネット販売 自社サイト、オンライン書店
主要出版物 広辞苑岩波文庫岩波現代文庫岩波新書岩波ジュニア新書 ほか
定期刊行物 #雑誌を参照。
出版以外の事業 電子書籍
得意ジャンル 学術書、自然科学書、全集、一般書、児童書辞典
外部リンク http://www.iwanami.co.jp/
テンプレートを表示

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本出版社

概要

1913年大正2年)8月5日岩波茂雄東京市神田区南神保町16番地(現・東京都千代田区神田神保町)に開いた古書店として出発。正札販売方法を採用し、注目を集めた。翌1914年大正3年)に夏目漱石の『こゝろ』を刊行し、出版業にも進出。漱石没後に『夏目漱石全集』を刊行し、躍進する。看板は漱石の筆による。

多くの学術書を出版するだけでなく、岩波文庫岩波新書を出版するなどして古典学術研究の成果を社会に普及させることに貢献。文化の大衆化に多大な影響を与えた。昭和時代にはしばしば、大衆的な路線を貫く講談社と対比された。

戦前には、いわゆる共産主義講座派の拠点であった。

1933年昭和8年)12月10日ミレー絵画『種をまく人』を題材にとったマークの使用を開始(実際のマークはデザイナーによってかなり加工されている)。1949年(昭和24年)4月25日株式会社に改組。社長も岩波家の世襲から脱した。

戦後は、日本の単巻辞書としては最大級の収録数を誇る国語辞典広辞苑』(新村出著・編)の発行で知られている。

本社の隣には一ツ橋グループ小学館集英社がある。

沿革

販売店での扱い

岩波書店は他の出版社の用いる返品制を採用しておらず、全て書店の買い切りという責任販売制の形をとっている。また、比較的高正味(=出版社側の取り分が多い)であるため値下げもできず、不良在庫となっても処分が難しい面も持ち合わせている(なお、値下げができないという点などについては日本に出版物再販制度があるため、日本国内の同業他社においてもその部分は同じと言える)。そのため書店の岩波新書の多くは隅のコーナーでありながら日焼けしていたり、小さな書店ではほとんど取り扱っていない事が多い。

雇用における特徴

かつては業界内では最も高い給与体系としても知られていたが、現在は中堅出版社並みである。また、2013年度定期採用は事実上の縁故採用に限る方針を発表した[1]。岩波書店は批判を受け、サイトで「あくまで応募の際の条件であり、採用の判断基準ではありません。」とする謹告を出した[2]

出版物

雑誌

叢書

かつて刊行されていた叢書

総合辞書

関連人物

脚注

関連項目

外部リンク