小林亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Mfatggs (会話 | 投稿記録) による 2012年2月6日 (月) 14:57個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎エピソード)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

小林 亮
名前
愛称 リョウ
カタカナ コバヤシ リョウ
ラテン文字 KOBAYASHI Ryo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1982-09-12) 1982年9月12日(41歳)
出身地 埼玉県さいたま市中央区
身長 170cm
体重 67kg
選手情報
在籍チーム モンテディオ山形
ポジション DF
背番号 2
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2007
2008
2009-
柏レイソル
大分トリニータ
モンテディオ山形
74 (5)
18 (1)
65 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年1月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

小林 亮(こばやし りょう、1982年9月12日 - )は、日本プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(主にサイドバック)。Jリーグモンテディオ山形所属。サッカー選手の小林慶行は実兄。

来歴

与野西北小学校、八王子中学校、武南高等学校駒澤大学を経て、2005年柏レイソルに入団。同年4月9日にデビューし、早々と試合に出始める。本職の右サイドバックの位置には当時波戸康広がいたため、センターバックとしてプレーすることも多かった。新人らしい勢いのあるプレーを見せたものの、チームのシーズン最終順位は16位。J1・J2入れ替え戦にも敗れ、J2降格の憂き目に遭った。

2006年、監督が石崎信弘に交替し、前年度の主力メンバーが抜けた中で右サイドバックのレギュラーポジションを奪取。プレーにも自信を付け、1対1の局面での積極的な仕掛けと、ドリブル突破からのミドルシュートなど攻撃面での成長が光った。右サイドハーフを務める谷澤達也とは特に良いコンビネーションを見せ、2年目ながら48試合中44試合に出場し、チームのJ1復帰に大きく貢献した。

藏川洋平らの台頭もあり、チーム内のポジション争いが激しくなる中で、サイドハーフでプレーする機会も増えていた。

2008年は、出場機会を求め大分トリニータに期限付き移籍。その大分でも出場機会は限られたが、選手層の薄い大分にあって、豊富な運動量と複数のポジションでプレーできる小林は貴重なバックアッパーとしてチームに貢献した。

2009年は、J1初昇格のモンテディオ山形に期限付き移籍。長谷川悠と共に柏からの期限付移籍でプレーすることとなった。2011年に完全移籍。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2002 駒大 4 - - -
2005 2 J1 21 1 4 0 2 0 27 1
2006 J2 44 4 - 2 0 46 4
2007 J1 9 0 4 0 0 0 13 0
2008 大分 18 1 7 1 1 0 26 2
2009 山形 20 25 0 6 0 1 0 32 0
2010 2 16 0 0 0 4 0 20 0
2011 24 0 1 0 2 0 27 0
2012 J2 -
通算 日本 J1 113 2 22 1 10 0 145 3
日本 J2 44 4 - 2 0 46 4
日本 - -
総通算 157 6 22 1 12 0 191 7

その他の公式戦

エピソード

柏時代に高齢者施設を訪問したことをきっかけに、「サッカーで福祉活動ができないか」と考え、NDスタのメインスタンド5席を購入し「コバリョウシート」として提供している。[1]

兄の慶行は、東京V時代の2002年に背番号7を取られてしまい「もう誰にも取られたくないから」と、32という重い番号をつけ続けているが[2]、自身は、運良くという感もあるがプロ入り以来、山形移籍1年目を除き背番号2をつけ続けている(1年目は背番号20をつけていた)

外部リンク

こばりょうの写真でGO!:小林亮公式ブログ

脚注

  1. ^ 2009年8月19日放送 YBCテレビピヨ卵ワイド430』“モンテとGO!”より。
  2. ^ 2009年にレンタル移籍した柏時代を除く。