大村航空基地
長崎空港A滑走路地区 大村航空基地 JMSDF Omura Air Base | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
IATA: OMJ - ICAO: RJDU | |||||||
概要 | |||||||
国・地域 | 日本 | ||||||
所在地 | 長崎県大村市今津町 | ||||||
種類 | 軍民共用 | ||||||
運営者 | 防衛省 | ||||||
運用時間 | 7:00 - 22:30 | ||||||
開港 | 1923年 | ||||||
座標 | 北緯32度55分47.65秒 東経129度55分56.89秒 / 北緯32.9299028度 東経129.9324694度 | ||||||
地図 | |||||||
航空基地の位置 | |||||||
滑走路 | |||||||
| |||||||
リスト | |||||||
空港の一覧 |
大村航空基地(おおむらこうくうきち、英: JMSDF Omura Air Base)は、長崎県大村市に所在する長崎空港のうち、陸上部分にあたる「長崎空港A滑走路地区」の一般的な名称。
概要
かつては大村空港と呼ばれていたが、1975年(昭和50年)の海上滑走路の完成により、名称が「長崎空港A滑走路地区」に変更となった。
海上自衛隊の飛行場として使われているほか、軽飛行機の離着陸にも使用されている。戦前からの歴史ある飛行場であり、戦前からの建造物が残っている。現在は、第22航空群の航空基地として、館山航空基地(千葉県)とともに護衛艦艦載ヘリコプター部隊の基地となっており、SH-60J/SH-60K哨戒ヘリコプターが配備され、UH-60J救難ヘリコプターも配備されている。
1992年(平成4年)からは、日米地位協定に基づき、佐世保基地を母港とするアメリカ海軍の強襲揚陸艦「ベロー・ウッド」~「エセックス」艦載ヘリの格納・整備のために、大村航空基地の一部施設が提供されている。
また、長崎空港B滑走路地区の沖合部分に、US-1/US-2飛行艇の離着水用の水域(シードローム)が設定されている。
歴史
大正
昭和(戦前)
- 1941年(昭和16年) - 当時、東洋一の規模を誇った、第21海軍航空廠が完成する。
- 広大な土地に、航空機・エンジンの製造工場、補修工場、武器弾薬の補給廠が揃っていた。
- 1945年(昭和20年) - 特別攻撃隊の出撃基地となった。
昭和(戦後)
- 1955年(昭和30年) - 大村航空隊の準備部隊が鹿屋航空基地(鹿児島県)内に鹿屋第2航空隊として発足。「大村空港」が開港。
- 1957年(昭和32年) - 大村航空基地への移駐が完了し、佐世保地方隊大村航空隊が本格始動。
- 1975年(昭和50年) - 大村湾に浮かぶ箕島を造成し、世界初の海上空港長崎空港が開港。
- 海上(箕島)側が「長崎空港B滑走路地区」に、陸上側が「長崎空港A滑走路地区」になる。
- 1981年(昭和56年) - 第122航空隊が、八八艦隊の佐世保基地への配備に関連して、大村航空基地で新編。
- 1987年(昭和62年)
平成
- 1998年(平成10年) - 舞鶴航空基地の設置に伴い、第123航空隊が第124航空隊と名称変更し、呉基地の第4護衛隊群のヘリコプター部隊に改組。
- 2008年(平成20年)3月26日 - 隷下部隊の再編。
- 「第122航空隊」、「第124航空隊」、佐世保地方隊隷下の「大村航空隊」を統合し「第22航空隊」に再編。
- 呉地方隊「小松島航空隊」を第22航空群隷下に編入し「第24航空隊」に改編。
- 小月救難飛行隊に所属していたUH-60J救難ヘリコプターが移動し、救難を主体任務とする「第72航空隊」を新編。
- 2011年(平成23年)10月 - 旧大村空港ターミナルビルの解体に着手。年内に長崎空港A滑走路が国土交通省から防衛省に移管される。[1]
- 長崎空港とは別のIATAコード「OMJ」及びICAOコード「RJDU」が付与される。
配置部隊
(佐世保システム通信隊)
- 大村システム通信分遣隊
(佐世保地方警務隊)
- 大村警務分遣隊
その他
- 長崎県警察航空隊:警察ヘリコプター ベル216L-3「さいかい」(JA6114)
- 長崎県防災航空隊:消防防災ヘリコプター BK117C-1「ながさき」(JA6708)
その他
- 航空祭(開隊記念行事)が毎年5月に開催される。
- 軍民共用と国土交通省管轄の間で騒音問題の対策が進まないことが問題となっている[2]。
脚注
- ^ 「旧大村空港ビルの解体工事始まる A滑走路は防衛省に移管へ」- 長崎新聞 2011年(平成23年)10月20日
- ^ “長崎空港A滑走路を防衛省に移管 防音工事にめど、2010(平成22)年度以降にも”. 長崎新聞. (2009年5月29日)[リンク切れ]