大久保択生
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名前 | ||||||
カタカナ | オオクボ タクオ | |||||
ラテン文字 | OKUBO Takuo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1989年9月18日(34歳) | |||||
出身地 | 東京都江東区 | |||||
身長 | 190cm | |||||
体重 | 90kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ジェフユナイテッド市原・千葉 | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 21 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1996-2001 2002-2004 2005-2007 |
砂町サッカークラブ 帝京中学校 帝京高等学校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2008-2010 2011- |
横浜FC ジェフユナイテッド市原・千葉 |
40 (0) 0 (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2010年12月4日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
大久保 択生(おおくぼ たくお、1989年9月18日 - )は、東京都江東区出身のプロサッカー選手である。ポジジョンはゴールキーパー。
来歴
クラブ
帝京高校3年次に第86回全国高等学校サッカー選手権大会に出場したが、2回戦で広島皆実高校に0-2で敗れた。2008年にJ2に降格した横浜FCへ加入。同年はベテラン小山健二の前に出場機会を得られなかったが、2009年に監督が都並敏史から樋口靖洋に代わると出場機会が増加。小山・岩丸史也との正GK争いを制し、この年は33試合に出場した。
小山が引退し、監督が樋口から岸野靖之(前サガン鳥栖監督)に交代した2010年からは背番号を21から小山がつけていた1に変更した。しかし、岸野の鳥栖時代の教え子であるシュナイダー潤之介にポジションを奪われ、中盤戦で一旦は奪い返したものの、出場した7試合でわずか1勝しかできず再びシュナイダーに定位置を譲った。終盤戦は関憲太郎にも後塵を拝してしまいシーズン終了後、横浜FCを退団した。
2011年、ジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍した。序盤戦は岡本昌弘・櫛野亮に次ぐ第3GKであったが、中盤戦以降は出場機会こそなかったもののベンチ入りする機会が増加。第2GKの座を櫛野から奪った。10月10日の天皇杯2回戦・デッツォーラ島根戦で移籍後初出場を果たし、見事無失点に抑え1-0の勝利に貢献した。
代表
帝京高校時代にU-19日本代表、横浜FC在籍時の2009年にU-20日本代表にそれぞれ選出されている。
所属クラブ
- 1996年 - 2001年 砂町サッカークラブ (第四砂町小学校)
- 2002年 - 2004年 帝京中学校
- 2005年 - 2007年 帝京高等学校
- 2008年 - 2010年 横浜FC
- 2011年 - ジェフユナイテッド市原・千葉
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | 横浜FC | 31 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2009 | 21 | 33 | 0 | - | 2 | 0 | 35 | 0 | |||
2010 | 1 | 7 | 0 | - | 0 | 0 | 7 | 0 | |||
2011 | 千葉 | 21 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
2012 | - | ||||||||||
通算 | 日本 | J2 | 40 | 0 | - | 3 | 0 | 43 | 0 | ||
総通算 | 40 | 0 | - | 3 | 0 | 43 | 0 |
代表歴
- U-18日本代表
- U-20日本代表
外部リンク
- 大久保択生オフィシャルブログ LaBOLAフットボール
- 大久保択生 (@takuookubo21) - X(旧Twitter)