南ベトナム
| |||||
公用語 | ベトナム語 | ||||
首都 | サイゴン | ||||
国家指導者 | 大統領、或いは主席 | ||||
面積 - 総計 - 水面積率 |
173,809km² N/A | ||||
人口 - 総計 - 人口密度 |
19,370,000人(1973年) 111.4/km² | ||||
GDP (PPP) | N/A | ||||
存在期間 - 誕生 - 消滅 |
ジュネーヴ協定の取り決め 1954年7月21日 1976年7月2日 | ||||
通貨 | ドン(徐々にピアストルから交換される) | ||||
時間帯 | UTC +7 | ||||
国歌 | 青年行進曲、南部解放 | ||||
国際電話番号 | 不詳 |
南ベトナム(みなみベトナム)とは、日本の降伏からベトナム社会主義共和国成立までの間(1945年9月2日~1976年7月2日)、北緯17度線以南のベトナム領域に存在したベトナム人国家の通称である。なお、1954年7月21日までは、領土を縮小されたフランス領インドシナの一角であった。
冷戦下の分断国家の一つ。反共主義を名目としていた。対して17度線以北には、共産主義を名目とするベトナム民主共和国(北ベトナム)が存在していた。
概要
北緯17度線でのベトナム分断は、第一次インドシナ戦争におけるフランスとベトミンの休戦協定として、1954年に締結されたジュネーヴ協定に基づいて実施された。
- 親仏政府・親米国家(1954年7月21日 - 1975年4月30日):ベトナム国、これに続くベトナム共和国。これらの国は、北ベトナムの共産党国家であるベトナム民主共和国に対抗し、ベトナムにおける唯一正統な国家であることを主張していた。→詳細は本記事、下記参照。
- 共産主義国家(1975年4月30日 - 1976年7月2日):南ベトナム共和国。この国は、南ベトナム領域のみを統治する臨時政府であることを主張し、ベトナムの再統一をベトナム民主共和国に一任していた。詳細は「南ベトナム共和国」を参照すること。
親仏・親米国家
南ベトナムとして、フランス政府やホワイトハウスと親密な国家が存在していた時期は、以下の通りである。
- ベトナム国(ベトナム語:Quốc gia Việt Nam)1948年5月27日注 - 1955年10月26日
- ベトナム共和国(Việt Nam Cộng Hòa)1955年10月26日 - 1975年4月30日
注:1948年から1949年までは、ベトナム臨時中央政府という名の暫定政府であった。
歴代元首
南ベトナムの指導者を参照。
関連項目
外部リンク
|
|
西側諸国 | 東側諸国 | 統一後の状況 | |||
中華民国 (台湾) |
中華人民共和国 (中国大陸) | 未統一 (中国統一も参照) |
|||
大韓民国(韓国) (朝鮮半島南部) |
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮) (朝鮮半島北部) |
未統一 (朝鮮統一問題も参照) |
|||
サイゴン陥落前の南ベトナム (ベトナム国→ベトナム共和国) |
ベトナム民主共和国(北ベトナム) (+サイゴン陥落後の南ベトナム) |
ベトナム社会主義共和国 (統合<補足>:1976年7月2日) |
|||
イエメン・アラブ共和国 (北イエメン) |
イエメン人民民主共和国 (南イエメン) |
イエメン共和国 (統一:1990年5月22日) ただし内戦下で再分裂 |
|||
ドイツ連邦共和国 (西ドイツ) |
ドイツ民主共和国 (東ドイツ) |
ドイツ連邦共和国 (再統一:1990年10月3日) |
|||
※「統一後の状態」が「未統一」の国家は、五十音順で掲載。 ※統一された国家は、統一された年代順で掲載。また、太字記載の国は統一の主体となった国。 |