中国科学技術大学

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中国科学技術大学
大学設置/創立 1958年
学校種別 国立
設置者 中国科学院
本部所在地 安徽省合肥市
学部 少年班、教改実験班
数学系
理学院
化学与材料科学学院
生命科学学院
工程科学学院
信息科学技術学院
計算機科学技術学院
地球和空間科学学院
管理学院
人文与社会科学学院
核科学技術学院
軟件学院
蘇州研究院
上海研究院
研究科 数学系
物理系
近代物理系
天文与応用物理系
化学物理系
材料科学与工程系
化学系
高分子科学与工程系
分子生物学与細胞生理学系
神経生物学与生物物理学系
系統生物学系
力学和機械工程系
精密機械与精密儀器系
熱科学和能源工程系
安全科学与工程系
電子工程与信息科学系
自動化系
計算機科学技術系
電子科学与技術系
信息安全専業信息管理与決策科学系管理科学系
統計与金融系
外語系
科技考古系
科技伝播与科技政策系
ウェブサイト http://www.ustc.edu.cn/
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中国科学技術大学英語: University of Science and Technology of China)は、安徽省合肥市に本部を置く中華人民共和国国立大学1958年創立、1958年大学設置。大学の略称は中国科大。

大学全体

中国科学技術大学は中国の大学としては国際的に著名である。卒業生が海外留学する比率は中国の大学の中で長らく首位の座を保持している。 また歴史的影響と資金的な制約から、大学側はアメリカカリフォルニア工科大学をモデルに、自然科学研究を突出させた「小粒でもキラリと光る」研究型大学を目指している。 大学評価の世界的指標である The Times Higher Education による「世界大学ランキング 2010-2011」では49位であり、中国本土では北京大学に次ぎ第2位である[1]

略歴

北京時代

中国科学技術大学は銭学森華羅庚ら科学者の要求により、1958年に北京に開学した。直接的な目標は中国共産党の推進する原子爆弾水素爆弾人工衛星(「両弾一星」)の開発事業を遂行するための人材を育成することであった。創立当時のキャンパスは北京市玉泉路の中国共産党中央党校内に存在した。初代学長は当時の中国科学院院長である郭沫若が兼任した。趙忠尭・銭学森・華羅庚・郭永懐らがそれぞれ近代物理系・近代力学系・数学系・化学物理系などの主任を担当し、また自ら講義を行った。

合肥への移転

1966年に開始した文化大革命後、中国科学技術大学は相当の打撃を被り、1970年に北京を追われることとなった。河南省南陽市安徽省安慶市を転々としたのち、最終的に安徽省の省都である合肥市に落ち着いた。この移転の過程で図書・器材・教員の大半が失われる事態となった。

文革以降

文化大革命終了後の1978年厳済慈が学長に就任し、「世界の学府を創り、天下の英才を育てる(创寰宇学府,育天下英才)」という建学目標を掲げた。これにより大学は徐々に正常な運営軌道に戻ることになった。

鄧小平の支持のもと、大学は1978年に「少年班」(優秀な才能を持った少年を対象とした特別クラス)を設置、また中国大陸で最初の大学院を設置した。1983年、中国大陸で初めて18人に博士の学位が授与されたとき、うち7人は中国科学技術大学出身の大学院生であった。ここにおいて、中国科学技術大学は中国大陸で最も嘱目される理系大学のひとつの座に返り咲いた。また自然科学分野のみならず、1980年代には社会科学方面における言論で中国に名を馳せた。

歴代校長

脚注

  1. ^ The Times Higher Education World University Rankings 2010-2011

外部リンク