一条兼冬
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一条 兼冬(いちじょう かねふゆ、享禄2年(1529年) - 天文23年2月1日(1554年3月14日)は、戦国時代の公家。一条家当主。父は一条房通で母は一条冬良の娘。弟に一条内基、義弟に土佐一条氏を継いだ一条兼定。
生涯
天文9年(1540年)従三位、右大臣に叙任され、同22年には25歳の若さで従一位、関白、左大臣となる。また歌や絵にも巧みであった。
天文23年2月1日に26歳で死去。法号は後円明寺、天岳行春。家督は弟の内基が継いだ。
参考資料
- 新訂増補国史大系(吉川弘文館)
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