ファンケル

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株式会社ファンケル
FANCL CORPORATION
種類 株式会社
市場情報
東証1部 4921
1999年12月7日上場
略称 FANCL
本社所在地 日本の旗 日本
231-8528
神奈川県横浜市中区山下町89番地1
北緯35度26分42.8秒 東経139度38分36.5秒 / 北緯35.445222度 東経139.643472度 / 35.445222; 139.643472座標: 北緯35度26分42.8秒 東経139度38分36.5秒 / 北緯35.445222度 東経139.643472度 / 35.445222; 139.643472
設立 1982年昭和57年)5月13日(※)
(株式会社神奈川中央精米センター)
業種 化学
法人番号 3020001000366 ウィキデータを編集
事業内容 無添加化粧品、サプリメント、健康食品での通販、店舗販売
代表者 宮島 和美(代表取締役社長執行役員)
資本金 107億95百万円
発行済株式総数 6517万6600株
売上高 連結:995億36百万円
単独:733億72百万円
2010年3月期)
営業利益 連結:91億58百万円
単独:61億72百万円
(2010年3月期)
純利益 連結:43億06百万円
単独:36億62百万円
(2010年3月期)
純資産 連結:775億96百万円
単独:616億19百万円
(2010年3月31日現在)
総資産 連結:929億83百万円
単独:724億49百万円
(2010年3月31日現在)
従業員数 連結:1,286名 単独:714名
(2010年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 (株)ケイアイ 13.05%
HSBCプライベートバンク(スイス)香港・CMC 10.05%
池森 賢二 8.87%
(2010年3月31日現在)
主要子会社 関連企業の項目を参照
関係する人物 池森賢二(会長<創業者>、2013年4月復帰)
外部リンク http://www.fancl.co.jp/
特記事項:
※ 株式の額面金額を変更するため1993年平成5年)3月1日に旧株式会社ファンケル化粧品を吸収合併。旧株式会社ファンケル化粧品は1986年昭和61年)1月1日に旧ジャパンファインケミカル販売株式会社から化粧品事業に関する営業権を譲り受けた。実質上の存続会社である旧ジャパンファインケミカル販売株式会社の設立日は1981年昭和56年)8月18日
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株式会社ファンケル: FANCL Corporation)は、神奈川県横浜市中区に本社を置く化粧品健康食品メーカーである。

概要

三重県出身の池森賢二が、産能短期大学中退後、ガス会社勤務などを経て、1980年に創業。1981年株式会社化した。2003年会長、2005年に名誉会長となり第一線から退いたが、業績の悪化を受け2013年1月に執行役員として経営に復帰し、4月から会長復帰。

会社設立のきっかけは、池森の兄が経営するクリーニング店の手伝いをしていたことに始まる。ある日、団地の集配達の仕事で依頼主の家庭を訪ねた際、その家の主婦が化粧品の肌荒れがひどいとの相談を受けた。池森の妻もその主婦と同じ肌荒れに悩んでいた。1970年代後半に化粧品による肌のトラブルが日本各地で相次ぎ、その報道に着目した池森は大手化粧品メーカーの経営者からの意見を聞き、化粧品公害の原因が防腐剤殺菌剤であることを知る。そこで、池森は知人の化粧品技術者と共同で防腐剤・殺菌剤や香料などを使わない無添加化粧品の製造に着手する。当初は訪問販売形式だったが、なかなか反応が出なかった。こうしたことから、池森は無添加化粧品を多くの人たちに知らせるため、自作のチラシ800枚を製作して自宅近くのアパートや団地に一軒ずつ配布した。その結果、電話での問い合わせが殺到して無添加化粧品は間違ってなかったと確信し、ファンケルの設立と相成った。

鮮度を表す製造年月日の表示や、5ミリリットル入りの使いきりミニボトル(通称:バイアス瓶)を開発するなど、化粧品業界初の試みも池森のアイデアによるものである。

社名の「ファンケル」の由来は「ファイン・ケミカル」(日本語で『混じりけのない化学製品』)を簡略したもの。また「不安を蹴る=ファンケル」という説もある[1]

関連会社として、同じく化粧品、健康商品等を扱うアテニアがある。

沿革

  • 1980年(昭和55年)4月 - ファンケル化粧品として創業。
  • 1981年(昭和56年)8月 - 株式会社ファンケルを設立。
  • 1998年(平成10年)11月 - 株式を店頭公開。
  • 1999年(平成11年)12月 - 東京証券取引所市場第一部上場。

ラインナップ

  • 化粧品 - 1980年(昭和55年)の創業以来、無添加にこだわりつづけている。
    • 無添加モイスチャライジングライン
    • 無添加エイジングケアライン
    • 無添加ホワイトニングライン
    • 無添加アクネケアライン
    • 無添加BCライン
    • 無添加FDRライン
    • 無添加メンライン
  • 健康食品・サプリメント
    • 健康食品がまだ高価だった1994年(平成6年)にファンケルは、高品質・低価格なサプリメントを販売し、健康食品を一気に身近なものにした。
    • さらにツイントース(R)HTC(R)コラーゲンなどオリジナル成分の開発にも着手している。
  • 発芽玄米
  • 青汁
  • 快適肌着
  • 雑貨

展開している店舗

一部の店舗を除き、電子マネーQUICPayが利用できる。また、入居先によって交通系電子マネーも使える店舗がある。

  • ファンケルハウス
  • ファンケルハウスj
  • ファンケル元気ステーション
  • ファンケル銀座スクエア

関連企業

連結子会社

※ 2015年7月17日時点[2]

その他

コマーシャル

健康食品事業のコマーシャルについては、読売ジャイアンツに在籍していた原辰徳を起用している[3]。原はファンケルの「パートナー」として、同社がスポンサーとなっている野球教室「ファンケルキッズベースボールチャレンジ」にも携わっている[4]

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特許訴訟

2009年にDHCが販売開始したメイク落とし、「DHCマイルドタッチクレンジングオイル」は特許を侵害しているとして2010年にファンケルがDHCを相手に、特許侵害による損害賠償7億1000万円と販売差し止めを求めて提訴。

1審は2012年5月23日、東京地裁(大須賀滋裁判長)は特許権侵害を認め、DHCに約1億6000万円の賠償を命じた。販売差し止めについては、すでに製造販売を終えているとして退けた。この判決に対し、両社が控訴した。

控訴審は2013年7月9日、DHCによる特許権侵害がないことを両社で確認し、知財高裁(塩月秀平裁判長)で和解が成立した。[特許訴訟 1]

製品は、入浴中など手や顔がぬれた状態でも使えるのが特徴。ファンケルも同種製品を販売しており、判決などによると、ファンケルは2008年9月に特許を出願し、2009年8月に登録。DHCは同様のコンセプトで製造、販売していた。

なお、ファンケルの特許を巡っては、特許庁が2012年1月に無効審決をだしている。

  1. ^ 化粧品の特許権訴訟、ファンケルとDHCが和解」読売新聞2013年7月9日

脚注

  1. ^ 桑沢篤夫「マンガでわかる!社名の由来」(竹書房 2015年7月22日発行「ファンケル」より)。
  2. ^ グループ会社一覧|FANCEL(2015年7月17日閲覧)
  3. ^ 【特別インタビュー】ファンケルの池森賢二会長 3年で「根本から作り変える」 - 通販新聞(2013年8月1日発信、2015年5月7日閲覧)
  4. ^ ファンケルキッズベースボールチャレンジ公式ホームページ

外部リンク