シーン・リーガン
シーン・リーガン | |
---|---|
プロフィール | |
リングネーム |
シーン(ショーン)・リーガン アイリッシュ・マスク ゼブラ・キッド ワイルド・ビル・マーフィー |
本名 | ジェリー・マーフィー |
身長 | 188cm |
体重 | 115kg(全盛時) |
誕生日 | 1936年??月??日[1] |
出身地 |
イギリス 北アイルランド ロンドンデリー州[2] |
スポーツ歴 |
ラグビー レスリング |
シーン・リーガン(英: Sean Regan、本名:Gerry Murphy、1936年 - )は、北アイルランド出身の元プロレスラー。より原音に近いリングネームの読みは「ショーン・リーガン」だが、本項では来日時の呼称など日本での慣例的な表記を使用する。
欧州流のクリーンなレスリングを信条とする実力派として、カナダのNWA圏や新日本プロレスでも実績を残した。教師および作家としての顔も持ち、文筆業においても活躍している[3]。
来歴
少年時代にロンドンのブリクストンに移住、ハイスクールではラグビーで活躍し、兵役中もレスリングやボクシングで活動[2]。除隊後、ティーチャーズ・カレッジを卒業して教員となるが、ジョージ・ハッケンシュミットに憧れていたこともあり、休暇を利用してプロレスラーとしての活動を開始する[2]。
初期はワイルド・ビル・マーフィー、後にシーン・リーガン(ショーン・リーガン)をリングネームに、1960年代はダニー・リンチ、ケンドー・ナガサキ、アルバート・ウォールら地元のイギリス勢をはじめ、ドイツのホースト・ホフマン、スイスのレネ・ラサルテス、ベルギーのイワン・ストロゴフ、南アフリカのジャン・ウィルキンスなど欧州および英連邦各国のトップ選手と対戦[3]。パット・バレットともアイルランド王座を争った[3]。
1971年春、国際プロレスに初来日し、ビル・ロビンソン、カール・ゴッチ、モンスター・ロシモフが参加した第3回IWAワールド・シリーズに出場。減点式のバッド・マーク・システムによる予選リーグでは、グレート草津と時間切れ引き分け、ラッシャー木村と両者リングアウト、ビル・ロビンソンとサンダー杉山には敗退し、持ち点を失って失格した[4]。翌1972年9月にはカール・ゴッチのブッキングで旗揚げ1年目の新日本プロレスに参戦、アントニオ猪木とのシングルマッチも3度行われた[5]。
1973年は北米マットに進出し、カナダ・バンクーバーのNWAオールスター・レスリングにて活動[6]。ベビーフェイスとしてディーン・ホーやダッチ・サベージと共闘し、ジン・キニスキー、ブル・ラモス、ザ・ブルートらと抗争。4月23日にはブルートからNWAパシフィック・コースト・ヘビー級王座を奪取[7]、6月11日にはハーリー・レイスが保持していたNWA世界ヘビー級王座に挑戦した[8]。同地区ではテリー・ファンクともタッグを組んでいる[6]。
同年7月に新日本プロレスに再来日した際も、ムーンドッグ・ロニー・メインらの反則攻撃を受けていたアントニオ猪木を救出するなど、ベビーフェイス的なポジションで活躍。新日本には1979年6月にも参戦し、品川プリンスホテルのゴールドホールにて藤波辰巳が保持していたWWFジュニアヘビー級王座に挑戦した[1][5]。
教職に戻りレスラー活動をセミリタイアした後、1982年にオーストリアのウィーン、1984年にドイツのハノーバーにて、アイリッシュ・マスク(The Irish Mask)なる覆面レスラーとして一時的にリングに復帰。オットー・ワンツ、スティーブ・ライト、ビッグ・ジョン・クイン、ムース・モロウスキー、ミレ・ツルノなどと対戦した[9][10]。彼はイギリスにおいても、教職に支障のないよう覆面を被って素顔を隠し、ゼブラ・キッドやジ・アベンジャーなどと名乗ってリングに上がっていたことがあったという[2][3]。
レスラーを引退後は南アフリカに居住し、リメディアル教育の講師となって活動[2]。近年は作家として活動しており、アパルトヘイト体制下の南アフリカにおける白人と黒人の子供たちの教育格差を題材にした小説などを発表している[11]。
得意技
獲得タイトル
- NWAパシフィック・コースト・ヘビー級王座:1回[12]
脚注
- ^ a b 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P32(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b c d e “The Man Behind Sean Regan”. Sean Regan - Official Website. 2014年10月12日閲覧。
- ^ a b c d e “Sean Regan”. Sean Regan - Official Website. 2014年10月12日閲覧。
- ^ “The IWE matches fought by Sean Regan in 1971”. Wrestlingdata.com. 2014年10月12日閲覧。
- ^ a b “Sean Regan”. Cagematch.net. 2014年10月12日閲覧。
- ^ a b “The ASW matches fought by Sean Regan in 1973”. Wrestlingdata.com. 2014年10月12日閲覧。
- ^ “NWA Pacific Coast Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月12日閲覧。
- ^ “The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1963”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月12日閲覧。
- ^ “Sean Regan fought at Austria in the year 1982”. Wrestlingdata.com. 2014年10月12日閲覧。
- ^ “Sean Regan fought at Germany in the year 1984”. Wrestlingdata.com. 2014年10月12日閲覧。
- ^ “Hot off the Press!”. Sean Regan - Official Website. 2014年10月12日閲覧。
- ^ “NWA Pacific Coast Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月12日閲覧。