アクセル・ローズ

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アクセル・ローズ
Axl Rose
ガンズ・アンド・ローゼズ - ポーランド・ホジュフ公演(2018年7月)
基本情報
出生名 William Bruce Bailey
生誕 (1962-02-06) 1962年2月6日(62歳)
アメリカ合衆国の旗インディアナ州ラファイエット
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル ハードロック
ヘヴィメタル
LAメタル
職業 ミュージシャンシンガーソングライター
担当楽器 ボーカルピアノギターシンセサイザー
活動期間 1979年 -
レーベル ゲフィン・レコード
共同作業者 ハリウッド・ローズ
ガンズ・アンド・ローゼズ
AC/DC
公式サイト http://www.gunsnroses.com/

アクセル・ローズ (W. Axl Rose, 本名:William Bruce Rose, 1962年2月6日[1] - )は、アメリカ合衆国出身のロックミュージシャンシンガーソングライター

世界的なロックバンドガンズ・アンド・ローゼズ」を主宰しボーカリストを務める。身長175cm。

ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第64位[2]。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第87位[3]

"Axl Rose”という芸名は、後のガンズ・アンド・ローゼスのギタリストイジー・ストラドリンと組んだ最初のバンドである「A.X.L.」と、実父の名前の「ROSE」に由来する(現在は正式に改名)。

90年代初頭まで全盛を極めたあとは一時休眠状態にあったが、2001年頃より、再びガンズ・アンド・ローゼズとしてツアーを行ったり、アルバムをリリースしている。

アクセル・ローズ(2006年6月11日
イスラエルで講演中のアクセル・ローズ

音楽的特徴

スキャンダラスなイメージが先行しがちだが、ボーカル能力としては変幻自在で、曲に合わせて高音域から低音域まで幅広く使い分けることができる柔軟性を持ち合わせている。ソングライティングは、「ノーヴェンバー・レイン」や「イストレインジド」といった長編バラードを得意とする(「ノーヴェンバー・レイン」は、15歳の時に作曲)。また、コンサートではピアノの演奏も披露する。[要出典]

最も尊敬するバンドの一つがクイーンで、フレディ・マーキュリー追悼コンサートにも出演。最高のアルバムは『クイーン II』と答えており、「オレが死んだらクイーンIIのアルバムを棺に入れてくれ」と述べている。[要出典]

エルトン・ジョンと親交があり、前述のフレディ・マーキュリー追悼コンサートではエルトンと一緒に「ボヘミアン・ラプソディ」を歌ったり、1992年ロックの殿堂入りを果たしたエルトンのプレゼンターを担当したり、同年のMTV Video Music Awardsでは、ガンズ・アンド・ローゼズと「ノーヴェンバー・レイン」をセッションした。[要出典]

歌は、聖歌隊で習った、と友人らに話している[4]

元々はバリトンの普通の声で歌っていたが、ある時アクセルがシャワーを浴びながらナザレスの「ヘアー・オブ・ザ・ドッグ」を甲高い声で歌っているのをイジーと友人が聞きつけ、その特徴的な声で歌うように要請、これが特徴的な高音の始まりとなった[4]

来歴

RAPID FIRE
1984年1月 ROSE 1984年春 HOLLYWOOD ROSE
1984年10月-11月 L.A. GUNS
1985年1月 HOLLYWOOD ROSE (NEW)
1985年4月 GUNS AND ROSES

1984年インディアナからL.A.にヒッチハイクで移住。当時はビル・ベイリーと名乗っていた。ホームレス状態でバンド活動を続けていた。働いていたビデオ店(タワー・ビデオ)の階段下がねぐらだったり、彼女や友人の彼女、スラッシュの実家などを転々とした。バンドメンバーも極貧状態で、1985年にガンズ・アンド・ローゼズのオリジナルメンバーで行った自主ツアーでは、移動はヒッチハイク、食料は道の脇の畑で野菜を盗んで食べるなどして飢えをしのいでいた。ガンズ・アンド・ローゼズを結成してからは快進撃で、わずか数年の間にスターダムへと駆け上がった。[要出典]

タトゥー

右腕
上 AXL ROSE
中 デビュー前に付き合っていたモニークという女性
下 ガンズ・アンド・ローゼズのクロス

左腕
上 ROCKER(3度ほど改造)
下 VICTORY OR DEATH(AXLの座右の銘ともなっている)

エピソード

アルバム「GN'Rライズ」収録の楽曲「One in a Million」で黒人を侮辱する単語と同性愛者を侮辱する単語を用いたことで批判を受けた[1]。アクセルは後に謝罪した[5]

かなりの遅刻魔。開演時間に数時間遅れて登場することはざらで、開演直前になってキャンセルしたことも。ゲフィンとのデビュー契約時も、「コンタクトレンズが見つからない」という理由で、相手の経営陣を2時間も待たせた[4]。最新アルバム『チャイニーズ・デモクラシー』の製作にも14年という年月を要している。

2008年11月23日に発売されたガンズ・アンド・ローゼズのアルバム『チャイニーズ・デモクラシー』の売り上げが、当初の予想よりも期待外れであること(アクセルによるプロモーション活動が十分でなかったとの噂)を米国のザ・サン紙へ問われた際、モトリー・クルーのヴィンスは、「あんなに長い年月を掛けてレコーディングしたにも関わらず期待ハズレだったなんて、クレイジーにも程がある。また、このアルバムのツアーはキャンセルだろ?俺のダチ(DJアシュバ)が、奴のためにギターを演奏しに行って約3ヶ月もリハーサルをしたというのにも関わらず、アクセルの奴は1度も現れなかったらしいな。ルールその1、姿を見せろ!」とアクセルのレコーディングに対する態度を痛烈に批判し、「こんなことをし続けていたら、ファンがどんどん去って行く。奴(アクセル)はずっとこんな状態だ。それでも付いてきているファンだって“いい加減にしろ!もうやってられねーよ!”って、心では思っていると思うぜ。肝心のバンドのライブを見られないなら、ファンではいられないぜ」とも語っている。[6]

2012年 映画「ロック・オブ・エイジズ」で主演のトム・クルーズに演技指導を行った。[7]

新生ガンズ・アンド・ローゼズとして

ガンズ・アンド・ローゼズのオリジナル・メンバーとしては、最後の一人[8]。最近では性格も落ち着いてきたのか、彼の家で開かれたハロウィン・パーティの夜に、子ども達を驚かすところを目撃されている。しかし、2006年にはニューヨークで友人(ロザリオ・ドーソン)の27歳の誕生パーティに出席したアクセルは有名デザイナーのトミー・ヒルフィガーと殴り合いの乱闘を繰り広げた。原因はトミーのガールフレンドの飲み物が落ちそうだったため、アクセルがコップの位置を変えたところ、トミーが言いがかりをつけてきたために乱闘となった。[9] [10]また、6月27日にはスウェーデンストックホルムのホテルにてセキュリティ・ガードの足に噛み付き、ロビーの鏡を割り逮捕された[10](4万クローナ(約64万円)の罰金を払って釈放、足を噛まれた警備員には1万クローナ(約16万円)を払った)[11]

スキッド・ロウセバスチャン・バックと親交があり、2006年のツアーに彼を帯同。声がでなくなったクライマックスにヴォーカルを代わってもらうなどした。バックのアルバム『エンジェル・ダウン』でゲスト参加もしている。

90年代のGN'R全盛期には、ショーがたった40分で終わるなどということもあったが、2009年の来日公演では、大阪・東京の両公演で3時間を超えるコンサートを披露。[12][13][14][15]

脚注

  1. ^ a b The ups n' downs of Guns N' Roses - BBC News
  2. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Axl Rose”. 2013年5月26日閲覧。
  3. ^ Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
  4. ^ a b c Reckless Road and the Making of Appetite for Destruction(マーク・カンター著)
  5. ^ Here Today... Gone To Hell! | Articles > Axl Rose: The Rolling Stone Interview
  6. ^ モトリー・クルー、アクセル・ローズの態度にご立腹」 BARKS、2009年8月25日。
  7. ^ GN'Rアクセル・ローズが、トム・クルーズのヴォーカルトレーナー!映画『ロック・オブ・エイジズ』”. シネマトゥデイ (2011年4月19日). 2018年5月2日閲覧。
  8. ^ しかし、2016年に同じくオリジナル・メンバーであるスラッシュダフ・マッケイガンがバンドに復帰した。
  9. ^ GNR、トミー・ヒルフィガーとひと騒動!?」 BARKS、2006年5月13日。
  10. ^ a b ガンズのアクセル・ローズが警備員に“噛み付いて”御用に」 ABC振興会、2006年6月27日。
  11. ^ アクセル、罰金を支払い釈放される」 BARKS、2006年6月29日。
  12. ^ http://www.barks.jp/news/?id=1000056545
  13. ^ http://www.barks.jp/news/?id=1000056661
  14. ^ ガンズ・アンド・ローゼズ大阪公演、3時間超の熱狂」 BARKS、2009年12月17日。
  15. ^ ガンズ・アンド・ローゼズ東京公演速報、3時間半ライヴの末、二度にわたって宙に弧を描いたアクセルのマイクの行方は?」 BARKS、2009年12月20日。

関連項目

外部リンク

先代
オリジナル
ガンズ・アンド・ローゼズのボーカリスト
1985 – 現在
現職