CAベレス・サルスフィエルド
CAベレス・サルスフィエルド | |||
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原語表記 | Club Atlético Vélez Sarsfield | ||
愛称 | El Fortin(トーチカ/小要塞)[注釈 1] | ||
クラブカラー | 青と白 | ||
創設年 | 1910年 | ||
所属リーグ | アルゼンチンプロサッカーリーグ | ||
所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン | ||
ホームタウン | ブエノスアイレス, リニエルス | ||
ホームスタジアム | エスタディオ・ホセ・アマルフィターニ | ||
収容人数 | 54,000 | ||
代表者 | ラウル・ガメス | ||
監督 | クリスティアン・バセダス | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
クルブ・アトレティコ・ベレス・サルスフィエルド(スペイン語: Club Atlético Vélez Sarsfield[1])は、アルゼンチンの西ブエノスアイレスを本拠地とするスポーツクラブである。プリメーラ・ディビシオンに在籍するサッカー部門がよく知られている。
歴史
1910年、ブエノスアイレス近郊のフロレスタ地区に設立された。ホームグラウンドの向かい側にブエノスアイレス西鉄道のベレス・サルスフィエルド駅(現名称:フロレスタ駅)があり、クラブ名称はこの駅名に由来する。創設当初はCAアルヘンティノス・デ・ベレス・サルスフィエルドという名称だったが、後にCAベレス・サルスフィエルドに短縮されている[2]。1919年、まだアマチュアリーグだったアルゼンチンリーグに初参戦して準優勝した。1913年にクラブの組合員となったホセ・アマルフィターニは1923年に会長となり、1925年にいったん会長職を退いたが、1941年に再就任すると1969年まで長期政権を築いた[2]。1931年にはアルゼンチンリーグがプロ化され、創設時の18クラブの一員となった。1941年にプリメーラ・ディビシオン(1部)から降格したが、1943年に復帰して以来プリメーラ・ディビシオンに在籍し続けており、アルゼンチンリーグ通算順位表では5位に位置する[2]。
1968ナシオナルではアルゼンチン代表でもエースストライカーであったカルロス・ビアンチが活躍し、初のリーグ優勝を果たした。その後は優勝から遠ざかったが、1991年にはコパ・アメリカ1991優勝の立役者となったオスカル・ルジェリが南米年間最優秀選手賞を受賞した。1993年にビアンチが監督に就任すると、キーパーのホセ・ルイス・チラベルトやホセ・バスアルドやロベルト・トロッタを中心としたチームは1993クラウスーラで25年ぶりのリーグ優勝を遂げた。クラブの黄金期は1990年代であり、4つの国内タイトルと5つの国際タイトルを獲得している。1994年のコパ・リベルタドーレス決勝では前年度覇者のサンパウロFC(ブラジル)と対戦して勝利し、同年のトヨタカップではACミラン(イタリア)を2-0で破った。1995アペルトゥーラ、1996クラウスーラでもリーグ優勝し、1996年にはスーペルコパ・スダメリカーナで優勝した。ビアンチ監督は1996年に退いたが、1997年にはレコパ・スダメリカーナで優勝し、1998クラウスーラでは5度目のリーグ優勝を果たした。1991年から2000年まで在籍したチラベルトは南米チーム・オブ・ザ・イヤーに6度選出され、1996年には南米年間最優秀選手賞を受賞した。2009クラウスーラでも優勝争いに加わり、CAウラカンに次ぐ2位で最終節の直接対決を迎えた。ウラカン戦では雹が降って試合が一時中断するなどしたが、後半38分にマキシミリアーノ・モラレスが決勝点を挙げ、逆転で劇的なリーグ優勝を決めた。なお、判定への抗議などで試合が中断したため、この試合が終わったときに時計は後半60分を指していた。
ニックネーム
ベレスの愛称のEl Fortin(エル・フォルティン:要塞)は、1932年7月13日、日刊紙クリティカの記者、ウーゴ・マリーニが、彼の記事のタイトルを、「CAサン・ロレンソは明日、ビジャ・ルーロの要塞(ベレス・サルスフィエルドのこと)を攻め落とすことができるだろうか?」と書いたことに由来する。当時、ベレスのスタジアムはビジャ・ルーロにあり、スタジアムの照明の塔の群が要塞を思わせる外観だったのでこの様に例えられた。[3]
スタジアム
リニエルス地区にあるエスタディオ・ホセ・アマルフィターニをホームスタジアムとしている。1941年から1943年の間に建設され、1947年から1951年の間にセメントを用いて改築された。1978 FIFAワールドカップに向けて改築されたスタジアムは同大会で開催地のひとつとなり、1次リーグの試合が行われた。1979年のコパ・アメリカ1979ではグループリーグの試合や決勝戦プレーオフが行われた。2001年にアルゼンチンで開催されたFIFAワールドユース選手権でも会場となり、決勝や3位決定戦が行われるなど、メインとなるスタジアムだった。ラグビーアルゼンチン代表のテストマッチやコンサートなどにも使用される。49,540人収容であるが[4]、この数字は固定席以外の座席も含む。
サポーターとライバル
ベレスのサポーターはFortineros(フォルティネロス)と呼ばれる。ブエノスアイレス市西部のリニエルス地区周辺にサポーターが多く、グラン・ブエノスアイレスのモレーノ地区やメルロ地区にもサポーターがいる。しかし、1990年代に国内外で成功を収めたことで、ベレスのサポーターは目に見えて増加し、今日ではアルゼンチン全域でサポーターを見つけることができる。ブエノスアイレスから1600km離れたトゥクマン州トゥクマンにもファンクラブが存在する[5]。
ベレスには直接的なライバルが存在しないが、近隣のカバリート地区に本拠地を置くフェロ・カリル・オエステとは歴史的にライバル関係にある。彼らとの対戦はクラシコ・デル・オエステ(西部ダービー)として知られるが、フェロのプリメーラB・ナシオナル(2部)降格以来、両クラブは異なるカテゴリーに参戦しており、ライバル意識は薄れている。最後に対戦した2000年の試合ではアウェーのベレスが1-0の勝利を収めた。
2011年、ベレスがリーグ優勝してプロ化以降の優勝回数で、ビッグ5のひとつであるラシン・クラブを追い抜いたことがあった。これをきっかけに、ベレスの選手がメディアを通して、ラシンを挑発するなどして、両チームの対戦は以前より熱気を帯びている。
タイトル
国内タイトル
- プリメーラ・ディビシオン(1部) : 10回
- 1968ナシオナル、1993クラウスーラ、1995アペルトゥーラ、1996クラウスーラ、1998クラウスーラ、2005クラウスーラ、2009クラウスーラ、2011クラウスーラ、2012イニシアル, primera división 2012/13.
- Supercopa Argentina: 2013
- プリメーラB・メトロポリターナ(現3部相当) : 1回
- 1943
- プリメーラD(現5部相当) : 2回
国際タイトル
- トヨタカップ : 1回
- 1994
- コパ・インテルアメリカーナ: 1回
- 1994
- コパ・リベルタドーレス : 1回
- 1994
- スーペルコパ・スダメリカーナ : 1回
- 1996
- レコパ・スダメリカーナ : 1回
- 1997
過去の成績
シーズン | ディビジョン | 順位 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 勝ち点 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006–07 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 7位 | 19 | 8 | 6 | 5 | 25 | 18 | 30 | |
クラウスーラ | 9位 | 19 | 7 | 5 | 7 | 22 | 26 | 26 | |||
2007–08 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 10位 | 19 | 8 | 3 | 8 | 25 | 25 | 27 | |
クラウスーラ | 5位 | 19 | 9 | 5 | 5 | 24 | 17 | 32 | |||
2008–09 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 9位 | 19 | 7 | 5 | 7 | 22 | 27 | 26 | |
クラウスーラ | 1位 | 19 | 11 | 7 | 1 | 29 | 13 | 40 | |||
2009–10 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 5位 | 19 | 10 | 5 | 4 | 29 | 21 | 34 | コパ・スダメリカーナ ベスト8 |
クラウスーラ | 9位 | 19 | 7 | 6 | 6 | 25 | 20 | 27 | コパ・リベルタドーレス ベスト16 | ||
2010–11 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 2位 | 19 | 13 | 4 | 2 | 33 | 9 | 43 | コパ・スダメリカーナ2回戦敗退 |
クラウスーラ | 1位 | 19 | 12 | 3 | 4 | 36 | 17 | 39 | コパ・リベルタドーレス ベスト4 | ||
2011–12 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 3位 | 19 | 9 | 4 | 6 | 22 | 17 | 31 | コパ・スダメリカーナ ベスト4 |
クラウスーラ | 3位 | 19 | 9 | 6 | 4 | 26 | 15 | 33 | コパ・リベルタドーレス ベスト8 | ||
2012–13 | イニシアル | プリメーラ | 1位 | 19 | 13 | 2 | 4 | 31 | 12 | 41 | コパ・リベルタドーレス ベスト16 |
フィナール | 14位 | 19 | 4 | 8 | 7 | 15 | 19 | 20 |
ユニフォーム
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胸にV字のデザインが1stユニフォームとして採用されたのは、1933年である。このユニフォームは元々はラグビー・チームのために、オーダーされたものだった。しかし、サッカー・チームは引き下がらずこれを自分達のユニフォームとして採用することに決めた。
記録
出場試合数
リーグ戦と国際カップ戦の通算出場試合数[8]
太字の選手は現所属選手であるため、必ずしも最新の記録を反映していない
順位 | 選手 | 試合数 | 在籍期間 |
---|---|---|---|
1 | ペドロ・ララクイ | 457 | 1975–1987 |
2 | ラウル・カルドーソ | 411 | 1986–1999 |
3 | ファビアン・クベロ | 404 | 1996–2007 / 2008– |
4 | アンヘル・アレグリ | 399 | 1946–1960 |
5 | アルマンド・オビーデ | 391 | 1941–1955 |
6 | ホセ・ルイス・チラベルト | 347 | 1991–2000 / 2004 |
7 | クリスティアン・バセダス | 331 | 1990–2000 |
8 | カルロス・ビアンチ | 324 | 1967–1973 / 1980–1984 |
9 | ルイス・ガージョ | 319 | 1965–1974 |
10 | フアン・カルロス・ブヘド | 296 | 1979–1987 |
11 | マリオ・ルッカ | 279 | 1986–1992 |
得点数
リーグ戦と国際カップ戦の通算得点数[9]
順位 | 選手 | 得点 | 在籍期間 |
---|---|---|---|
1 | カルロス・ビアンチ | 206 | 1967–1973 / 1980–1984 |
2 | フアン・ホセ・フェラーロ | 157 | 1943–1949 / 1953–1957 |
3 | ノルベルト・コンデ | 110 | 1952–1959 / 1964–1966 |
4 | アグスティン・コッソ | 102 | 1933–1936 / 1941 |
5 | パトリシオ・カンプス | 89 | 1991–1994 / 1995–2000 / 2001–2002 |
6 | ペドロ・ララクイ | 82 | 1975–1987 |
7 | フアン・カルロス・カローネ | 75 | 1964–1969 |
8 | ミゲル・アンヘル・ベニート | 75 | 1970–1975 |
9 | オマール・ペドロ・ロルダン | 59 | 1976–1979 |
10 | オマール・ヘベ | 57 | 1965–1970 |
リーグ戦での得点王
以下はプリメーラ・ディビシオンで得点王を獲得した選手の一覧である。
- アマチュア時代
大会 | 選手 | 得点数 |
---|---|---|
AAF 1920 | サルバドール・カレーラス | 20点 |
- プロ時代
大会 | 選手 | 得点数 |
---|---|---|
1935 | アグスティン・コッソ | 33点 |
1954 | ノルベルト・コンデ | 19点 |
1965 | フアン・カルロス・カローネ | 19点 |
1968ナシオナル | オマール・ワハビ | 16点 |
1970ナシオナル | カルロス・ビアンチ | 18点 |
1971メトロポリターノ | 36点 | |
1981ナシオナル | 15点 | |
1985ナシオナル | ホルヘ・コマス | 12点 |
1990-1991 | エステバン・ゴンサレス | 18点 |
1995クラウスーラ | ホセ・オスカル・フローレス | 14点 |
2004クラウスーラ | ロランド・サラテ | 13点 |
2006クラウスーラ | マウロ・サラテ | 12点 |
2010アペルトゥーラ | サンティアゴ・シルバ | 11点 |
国際大会での得点王
以下は国際大会で得点王を獲得した選手の一覧である。
大会 | 選手 | 得点 |
---|---|---|
1996 スーペルコパ・スダメリカーナ | パトリシオ・カンプス | 4点 |
2006 コパ・リベルタドーレス | セバスティアン・エレロス | 5点 |
個人賞受賞者
以下はベレス在籍中に主要な個人賞を受賞した選手の一覧である。
受賞年 | 選手 | 賞 |
---|---|---|
1986 | ホセ・ルイス・クシューフォ | 南米チーム・オブ・ザ・イヤー |
1991 | オスカル・ルジェリ | 南米年間最優秀選手賞 |
アルゼンチン年間最優秀選手賞 | ||
南米チーム・オブ・ザ・イヤー | ||
1994 | ホセ・ルイス・チラベルト | 南米チーム・オブ・ザ・イヤー |
1995 | IFFHS 世界最優秀ゴールキーパー | |
南米チーム・オブ・ザ・イヤー | ||
ロベルト・トロッタ | 南米チーム・オブ・ザ・イヤー | |
1996 | ホセ・ルイス・チラベルト | 南米年間最優秀選手賞 |
アルゼンチン年間最優秀選手賞 | ||
南米チーム・オブ・ザ・イヤー | ||
1997 | IFFHS 世界最優秀ゴールキーパー | |
南米チーム・オブ・ザ・イヤー | ||
1998 | IFFHS 世界最優秀ゴールキーパー | |
南米チーム・オブ・ザ・イヤー | ||
1999 | 南米チーム・オブ・ザ・イヤー | |
2009 | ヘルマン・モントージャ | ウバルド・フィジョール賞[注釈 2] |
ニコラス・オタメンディ | 南米チーム・オブ・ザ・イヤー | |
2010 | フアン・マヌエル・マルティネス | アルゼンチン年間最優秀選手賞 |
マルセロ・バロベーロ | ウバルド・フィジョール賞 | |
サンティアゴ・シルバ | 南米チーム・オブ・ザ・イヤー | |
2011 | マルセロ・バロベーロ | ウバルド・フィジョール賞 |
FIFAワールドカップ出場選手
以下はベレス在籍中にFIFAワールドカップに出場した選手の一覧である。太字の選手はその大会で優勝したことを示している。
# | 選手 | 代表 | 出場年 |
---|---|---|---|
1 | ルドビコ・アビオ | アルゼンチン | 1958 |
2 | ネリー・プンピード | アルゼンチン | 1982 |
3 | ホセ・ルイス・クシューフォ | アルゼンチン | 1986 |
4 | ホセ・バスアルド | アルゼンチン | 1994 |
5 | パブロ・カバジェロ | アルゼンチン | 1998 |
6 | ホセ・ルイス・チラベルト | パラグアイ | 1998 |
7 | ニコラス・オタメンディ | アルゼンチン | 2010 |
以下はベレスの下部組織出身でFIFAワールドカップに出場した選手の一覧である。出場したのがベレス在籍時ではない選手も含まれる。
# | 選手 | 代表 | 出場年 |
---|---|---|---|
1 | ルドビコ・アビオ | アルゼンチン | 1958 |
2 | カルメロ・シメオネ | アルゼンチン | 1966 |
3 | ディエゴ・シメオネ | アルゼンチン | 1994, 1998, 2002 |
4 | パブロ・カバジェロ | アルゼンチン | 1998, 2002 |
6 | クラウディオ・ウサイン | アルゼンチン | 2002 |
7 | ニコラス・オタメンディ | アルゼンチン | 2010 |
8 | ホナス・グティエレス | アルゼンチン | 2010 |
現所属メンバー
- 2014年5月29日時点
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- 監督
歴代会長
在職期間 | 名前 |
---|---|
1910–13 | ルイス・バレード |
1913–14 | プラシド・マリン |
1914 | ロベルト・ピアーノ |
1914–17 | エドゥアルド・フェーロ |
1917–19 | アントニオ・マリン・モレーノ |
1919 | エドゥアルド・フェーロ |
1920–21 | アントニオ・マリン・モレーノ |
1921–23 | エステバン・アベルサーノ |
1923–25 | ホセ・アマルフィターニ |
1925–32 | エンリケ・デリア |
1932–35 | ニコラス・マリン・モレーノ |
1936–37 | フアン・ススタイタ |
1937 | ナルシーソ・バリオ |
1937–38 | イノセンシオ・ビエナティ |
1938–39 | ニコラス・マリン・モレーノ |
1940–41 | ロベルト・オルステイン |
在職期間 | 名前 |
---|---|
1941–69 | ホセ・アマルフィターニ |
1969 | レオナルド・パレハ |
1969–70 | ドミンゴ・トリマルコ |
1970–76 | ホセ・ラモン・フェイホオ |
1976 | ドミンゴ・トリマルコ |
1976–79 | オスバルド・ゲレーロ |
1979–85 | リカルド・ペトラッカ |
1985–91 | フランシスコ・アントニオ・ペレス |
1991–93 | リカルド・ペトラッカ |
1993–96 | エクトル・ガウディオ |
1996–99 | ラウル・ガメス |
1999–02 | カルロス・エドゥアルド・モウセアウド |
2002–05 | ラウル・ガメス |
2005–08 | アルバロ・バレストリーニ |
2008–11 | フェルナンド・ラッファイーニ |
2011– | ミゲル・カレーリョ |
歴代監督
- ホルヘ・ソラーリ 1980
- アルフィオ・バシーレ 1984-1986, 1989-1990
- カルロス・ビアンチ 1993-1996
- マルセロ・ビエルサ 1997-1998
- オスカル・タバレス 2001
- カルロス・イスチア 2002-2004
- ミゲル・アンヘル・ルッソ 2005-2006
- リカルド・ガレカ 2009-2013
- ホセ・オスカル・フローレス 2014-
歴代所属選手
GK
- ネリー・プンピード 1981-1983
- カルロス・モントーヤ 1984-1986,1987-1988
- ウバルト・フィジョール 1989-1991
- ホセ・ルイス・チラベルト 1991-2000
- パブロ・カバジェロ 1995-1998
- セルヒオ・ゴイコチェア 1997-1998
- ネルソン・タピア 2000-2001
DF
- カルロス・イスチア 1979-1984
- ビセンテ・ペルニア 1982
- マウリシオ・ペジェグリーノ 1990-1998
- オスカル・ルジェリ 1990-1992
- フラビオ・ガブリエル・サンドナ 1992-1999
- エドゥアルド・ドミンゲス 1996-2002
- ファブリシオ・フエンテス 2001-2003
- エミリアーノ・パパ 2006-2007,2008-
- パブロ・リマ 2007-2010
- ニコラス・オタメンディ 2008-2010
- ファビアン・クベロ 2008-
- ガストン・ディアス 2008-2013
- セバスティアン・ドミンゲス 2009-
MF
- ホルヘ・ソラーリ 1962-1963
- オスバルド・サルバドル・エスクデロ 1979
- ディエゴ・シメオネ 1987-1990
- アレハンドロ・マンクーソ 1989-1993
- ルーカス・カストロマン 1998-2001,2004-2007
- マクシミリアーノ・ブストス 2000-2008
- ホナス・グティエレス 2001-2005
- レアンドロ・ソモサ 2001-2006、2008-
- レアンドロ・グラシアン 2001-2006
- ダミアン・エスクデロ 2006-2008
- / イバン・モレノ・イ・ファビアネシ 2006-2007
- レアンドロ・コロネル 2007-
- マキシミリアーノ・モラレス 2009
FW
- カルロス・ビアンチ 1967-1973, 1980-1984
- エスクデロ・セルヒオ 1996-2000
- ハイロ・カスティージョ 2000-2001
- マウロ・サラテ 2004-2007, 2013-
- エルナン・ロドリゴ・ロペス 2009-2010
その他の競技
- バスケットボール
男女のバスケットボールチームも所有している[10][11]。男子チームはリーガ・ナシオナルB(3部)などに在籍しているが、女子チームはアルゼンチンで最も成功を収めているチームであり[12]、リーガ・ナシオナル・デ・バスケット・フェメニーノ(1部)で2010年シーズンなど6度のリーグ優勝経験がある[13]。2010年シーズンのスターティングファイブ(サンドラ・パボン、マリーナ・カーバ、パウラ・ガッティ、パウラ・レッヒアルド、フローレンシア・フェルナンデス)は全員がアルゼンチン代表として女子バスケットボール世界選手権2010に出場した[14]。
- バレーボール
男女のバレーボールチームも所有しており[15][16]、ブエノスアイレス大都市圏リーグに参戦している。
脚注
注釈
脚注
- ^ “Datos – Nombre completo” (Spanish). Club Atlético Vélez Sarsfield. 2010年10月27日閲覧。
- ^ a b c FIFA.com. “Vélez Sársfield”. 2012年10月1日閲覧。
- ^ http://deportv.gov.ar/noticias/por-que-se-lo-conoce-a-velez-como-el-fortin/
- ^ “Estadio José Amalfitani” (Spanish). Club Atlético Vélez Sarsfield. 2010年11月10日閲覧。
- ^ de Tucuman
- ^ "Argentina: Fourth level champions 1905-2008/09", RSSSF
- ^ Campeones de Cuarta División - AFA website
- ^ “Máximas Presencias” (Spanish). Club Atlético Vélez Sarsfield. 2011年8月6日閲覧。
- ^ “Máximos Goleadores” (Spanish). Club Atlético Vélez Sarsfield. 2011年8月6日閲覧。
- ^ “Men's basketball section” (Spanish). www.velezsarsfield.com.ar. 2010年9月9日閲覧。
- ^ “Women's basketball section” (Spanish). www.velezsarsfield.com.ar. 2010年9月9日閲覧。
- ^ “Vélez, campeón del básquet femenino” (Spanish). Cancha Llena. (2009年12月29日) 2010年9月9日閲覧。
- ^ “Un verdadero Fortín” (Spanish). www.velezbasquet.com.ar (2010年7月19日). 2010年9月9日閲覧。
- ^ “Las Gigantes, rumbo al Mundial” (Spanish). Clarín. (2010年9月15日) 2010年9月18日閲覧。
- ^ “Men's volleyball section” (Spanish). www.velezsarsfield.com.ar. 2010年9月9日閲覧。
- ^ “Women's volleyball section” (Spanish). www.velezsarsfield.com.ar. 2010年9月9日閲覧。