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3-4X10月

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3-4×10月から転送)
3-4X10月
Boiling Point
監督 北野武
脚本 北野武
製作 奥山和由
出演者 小野昌彦
石田ゆり子
井口薫仁
飯塚実
豊川悦司
小沢仁志
井川比佐志
ベンガル
ジョニー大倉
渡嘉敷勝男
ビートたけし
撮影 柳島克己
編集 谷口登司夫
配給 松竹
公開 日本の旗 1990年9月15日
上映時間 96分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 2.3億円[1]
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3-4X10月』(さんたいよんえっくすじゅうがつ)は、1990年の日本映画である。北野武監督第2作。1990年9月15日全国松竹系ほかで公開。日本国外配給に当たっての英語タイトルは"Boiling Point"。

キャッチコピーは『軍団、野放し!

概要

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監督北野武として二作目の映画で脚本も本作からたけしが手がけるようになりその後に至る。キャスティングにおいては、渡嘉敷勝男たけし軍団をメインに据えて、本作ではたけしは脇役で出演している。

興行的には、前作『その男、凶暴につき』がまずまずの成績だったため、邦画系100館以上という規模で公開したが惨敗した。

ストーリー

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草野球チームに所属しているガソリンスタンド店員・雅樹は、ふとしたことから大友組のチンピラと職場で衝突する。チームの監督で元大友組幹部の井口が事態の収拾に動くが、井口は刺され重傷を負い、やがてチームと大友組との抗争に発展する。雅樹はチームメイトとともに沖縄拳銃を入手するため旅立つ[2]。沖縄にたどり着いた雅樹と和男はヤクザの上原と玉城と出会う。上原達は組の金を使い込んでしまい組員全員から敵視されており、上原自身も組に反感を抱いていた。翌日、雅樹と和男は上原達と共に駐屯していたアメリカ兵から銃を購入する[3]。上原は銃の半分を雅樹達に残し、去っていった。そして上原達は組の事務所に乗り込み、組員全員一人残らず射殺した。一方、雅樹達は空港で銃を隠しながら帰りの便を待っていた。そこへ玉城が現れ、世話になった礼として大量の金が入ったカバンを渡し帰っていった。だが、そこへ生き残った組員に捕まり、報復として上原と玉城は殺されてしまう。何とか空港の警備を潜り抜き、東京に戻った雅樹達はその足で大友組の事務所へ殴り込むが、逆に返り討ちに遭いボロボロにされてしまう。その夜、雅樹はサヤカと共にガソリンスタンドのタンクローリーを奪い、再び事務所へ向かう。そして、タンクローリーごと事務所に突っ込み、事務所は大爆発する。

…という想像を抱きながら、今日も草野球に励む雅樹の姿があった。

出演者

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作品解説

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たけしの作品の中でも独特の作品で具体的な説明もなく淡々と物語が進み、BGMが一切無く、台詞も少ない。

「3-4X10月」というタイトルについて

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タイトル『3-4X10月』のうち、前半の「3-4X」は劇中の草野球の試合で、"3-4x"と表示されたスコアボードに由来する[4]。「10月」は本来10月に公開予定だったために付加されたが、実際の公開が9月になったため、実質的に意味がなくなってしまった[4]

後に、ストーリーのクライマックス部分が10月3日から10月4日にかけての出来事と解釈され、フランス向け配給ではタイトルは "Jugatsu"とされた。

アクシデント

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タンクローリーが建物に突入するラストシーンは住宅地の空き地を借りて夜間に行ったが、予想に反して大爆発が発生、その模様は住民によりビデオ撮影され、テレビで流されている。たけしが住民に謝罪する事態となり、このシーンはそのまま採用された。

評価

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興行的には失敗したものの批評家の評価は高く、批評家の森直人は「目に激しく焼きつく構図が頻出する映像にはドラッギーな幻覚性が満ち、批評家はゴダール大島渚と頻繁に比較し後に訪れるフランスでの熱狂的評価につながった」という見解を示している[5]

受賞歴

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  • トリノ国際映画祭・特別賞
  • 日本映画監督協会新人賞・奨励賞
  • (第64回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第7位、第12回ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第4位)

映画監督の逆襲

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本作の公開直後、たけしが北野武ではなくビートたけしとして司会を務めていたテレビ番組『どーする!?TVタックル』の1990年11月12日放送の回で「映画監督の逆襲」と題して本作を題材に討論が行われた。

出演者は、たけしのほか、大島渚伊藤俊也崔洋一井筒和幸という映画監督の5人と、映画評論家の田山力哉が出演。辛口の映画批評で知られる田山は本作を「『その男、凶暴につき』より毒が薄まっていて面白くない」と評した。

田山以外の映画評論家はビデオ出演で『3-4X10月』についてコメントを語るというものだった。田山は1人で低い位置の被告席に座らされ、高いひな壇に座る5人の映画監督から集中攻撃を受けた。『週刊文春』のテレビコラムを執筆する清野徹に糾弾大会という印象を与えるものであった[6][7]

脚注

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  1. ^ 「1990年邦画3社<封切配収ベスト作品>」『キネマ旬報1991年平成3年)2月下旬号、キネマ旬報社、1991年、144頁。 
  2. ^ キネマ旬報増刊5月10日号フィルムメーカーズ[2]北野武、1998年2月3日号、p.210
  3. ^ その際、上原はアメリカ兵を射殺している。
  4. ^ a b オールナイトニッポン・高田文夫編 『ビートたけしの幸せ丸10年』 扶桑社、1990年。
  5. ^ ムック本 [Quick Japan vol 72]
  6. ^ 「座談会 同時代監督への共感と、破滅志向と、酒と…」『さよなら映画、また近いうちに』キネマ旬報社、1997年、p.321。
  7. ^ 『辛口シネマ批評 これだけは言う』pp.20-21,23,26-27

外部リンク

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