紀元前245年

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世紀: 前4世紀 - 前3世紀 - 前2世紀
10年紀: 前260年代 前250年代 前240年代 前230年代 前220年代
: 前248年 前247年 前246年 紀元前245年 前244年 前243年 前242年

紀元前245年は、ローマ暦の年である。当時は、「マルクス・ファビウス・ブテオガイウス・アティリウス・ブルブス共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元509年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前245年と表記されるのが一般的となった。

できごと[編集]

エジプト[編集]

ギリシア[編集]

中国[編集]

  • 麃公が韓を攻め、首を斬ること3万であった。
  • 廉頗相国代行とし、を攻め、繁陽(現在の河北省内黄県)を取る。趙の孝成王が死去し、子の悼襄王が即位すると、廉頗の代わりに武襄君楽乗を後任とする。廉頗は怒り、楽乗を攻撃する。楽乗は逃げ、廉頗も魏に亡命する。しかし魏は信任しなかった。趙は秦に度々攻められ、廉頗を再び用いようとする。趙王は使者を送り、廉頗の様子をみる。廉頗と不仲だった郭開は、使者に金を送り、これを失敗させようと図る。廉頗は使者に会うと、「一飯に斗米、肉十斤、甲を被り馬に上り」という様子を見せ、健在を示す。使者は帰って「廉頗は老いていますが、健啖だ。しかし3度も小用に立った(または3度も失禁した)」と報告する。趙王は老いたと思い、召さなかった。は密かに廉頗を迎え、将とした。しかし功績を立てられず、「趙の人を使って戦いたい」と言った。寿春で病没した

誕生[編集]

死去[編集]