燕王喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

燕王喜(えんおう き、? - 紀元前222年?、在位紀元前254年 - 紀元前222年)は、中国戦国時代の最後の君主。姓は[1]

父は先代の孝王。子に始皇帝の暗殺を謀ったことで有名な太子丹がいる。

紀元前254年に即位すると、宰相栗腹に使者として送って友好を深めようとした。しかし、この頃の趙は長平の戦い白起に大敗して40万の兵を失い、疲弊していた。帰国した栗腹の報告でそれを知った喜は、考えを改めて軍を趙に攻め込ませた。しかし、趙の名老将である廉頗に迎撃されて燕軍は大敗し、逆に都のを包囲されて和睦せざるを得なくなる。その後、秦の圧力を受けて趙が押されると、再度攻め入るが敗れた。

喜は秦と友好関係を結んでおり、友好の証として太子丹を人質として差し出していた。丹は趙で始皇帝が人質の境遇にあった際、共に人質として交友関係があったが、秦で始皇帝(当時は秦王政)に冷遇されたのを恨んで燕に逃亡した。丹は荊軻を刺客として送るが失敗し、秦は王翦李信両将軍に軍を預けて攻め込んできた。喜は抗戦するが、半年ほどで薊は陥落し、遼東に逃亡した。秦は執拗に燕を追討したため、喜は丹の首を送って秦に謝罪する。秦王政は一応燕を許し、喜は遼東でしばらく延命するも、前222年に秦の侵攻を受けて遼東も陥落し、喜は捕らえられて燕は滅亡した。

脚注[編集]

  1. ^ 史記』燕世家では周王朝と同姓の「姫姓」としているが、殷墟から発掘された『卜辞』および『史記索隠』が引く『竹書紀年』よれば、姓は姞姓である。

参考文献[編集]

先代:
孝王
の君主
紀元前254年 - 紀元前222年
次代:
滅亡