「アリアドネー」の版間の差分
m 手短に |
編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{Otheruses||その他|アリアドネ}} |
{{Otheruses||その他|アリアドネ}} |
||
[[File:DrinkingScene.JPG|thumb|200px|3世紀ごろの[[ガンダーラ]]のギリシア風仏教美術。ディオニューソスの膝の上で酒を飲むアリアドネーが描かれている。[[東京国立博物館]]蔵]] |
[[File:DrinkingScene.JPG|thumb|200px|3世紀ごろの[[ガンダーラ]]のギリシア風仏教美術。ディオニューソスの膝の上で酒を飲むアリアドネーが描かれている。[[東京国立博物館]]蔵]] |
||
'''アリアドネー'''({{lang-grc-short|'''Ἀριάδνη''', ''Ariadnē''}})は、[[クレタ島|クレー |
'''アリアドネー'''({{lang-grc-short|'''Ἀριάδνη''', ''Ariadnē''}})は、[[クレタ島|クレータ]]王[[ミーノース]]と妃[[パーシパエー]]のあいだの娘である<ref name=grd30>『ギリシア・ローマ神話辞典』p.30。</ref>。[[テーセウス]]がクレータ島の迷宮より脱出する手助けをしたことで知られる。アリアドネーという名は「とりわけて潔らかに聖い娘」を意味するので、この名からすると本来女神であったと考えられる<ref>呉茂一『ギリシア神話』p.302。</ref>。 |
||
<!-- |
|||
'''アリアドネー'''は[[クレタ島]]の豊穣の[[女神]]である。語源はクレタ・ギリシア語の arihagne (完全に純粋な)に由来する。しかし、この名は別称に過ぎず元来は「迷宮の女主人」であり、彼女は迷宮中に住む恐るべき[[ミーノータウロス]]と、曲がりくねった迷路によって囚われの身であった。 |
|||
アリアドネーは[[ナクソス島]]や、[[デロス島]]、[[キュプロス]]、[[アテーナイ]]で特に崇拝される。また、[[古代ローマ|古代ローマ人]]は対応する女神[[リベラ_(ローマ神話)|リベラ]]の名で呼び、ローマ時代の詩人がミノア・ギリシア語の「アリアドネ」に関連付けた。--> |
|||
日本語では[[長母音]]を省略して'''アリアドネ'''とも表記される。 |
日本語では[[長母音]]を省略して'''アリアドネ'''とも表記される。 |
||
== 概説 == |
== 概説 == |
||
<!-- 後に、[[ギリシア神話]]において、アリアドネーの女神としての出自は隠され、彼女はクレー |
<!-- 後に、[[ギリシア神話]]において、アリアドネーの女神としての出自は隠され、彼女はクレータ王ミーノースの娘として知られるようになる。--> |
||
クレー |
クレータ王ミーノースは、息子[[アンドロゲオース]]がアッティカで殺されたため、アテーナイを攻めた。こうしてアテーナイは、九年ごとに七人の少女と七人の少年をミーノータウロスの生贄としてクレータに差し出すことになっていた。テーセウスはこの七人の一人として、一説ではみずから志願して生贄に加わってクレータにやって来た<ref>『ギリシア・ローマ神話辞典』p.161。</ref>。 |
||
=== 迷宮とアリアドネーの糸 === |
=== 迷宮とアリアドネーの糸 === |
||
アリアドネーはテーセウスに恋をし、彼女をアテーナイへと共に連れ帰り妻とすることを条件に援助を申し出た。テーセウスはこれに同意した。アリアドネーは工人[[ダイダロス]]の助言を受けて、[[迷宮#神話・伝説と迷宮|迷宮]](ラビュリントス)に入った後、無事に脱出するための方法として糸玉を彼にわたし、迷宮の入り口扉に糸を結び、糸玉を繰りつつ迷宮へと入って行くことを教えた。 |
アリアドネーはテーセウスに恋をし、彼女をアテーナイへと共に連れ帰り妻とすることを条件に援助を申し出た。テーセウスはこれに同意した。アリアドネーは工人[[ダイダロス]]の助言を受けて、[[迷宮#神話・伝説と迷宮|迷宮]](ラビュリントス)に入った後、無事に脱出するための方法として糸玉を彼にわたし、迷宮の入り口扉に糸を結び、糸玉を繰りつつ迷宮へと入って行くことを教えた。 |
||
テーセウスは迷宮の一番端にミーノータウロスを見つけ、これを殺した。糸玉からの糸を伝って彼は無事、迷宮から脱出することができた。アリアドネーは彼とともにクレー |
テーセウスは迷宮の一番端にミーノータウロスを見つけ、これを殺した。糸玉からの糸を伝って彼は無事、迷宮から脱出することができた。アリアドネーは彼とともにクレータを脱出した<ref name=apol>アポロドーロス、摘要 I, 8-9。</ref>。 |
||
=== クレー |
=== クレータよりの脱出後 === |
||
[[File:Borghese Vase Louvre Ma86 n5.jpg|thumb|150px|ディオニューソスと[[キタラー]]を持つアリアドネー]] |
[[File:Borghese Vase Louvre Ma86 n5.jpg|thumb|150px|ディオニューソスと[[キタラー]]を持つアリアドネー]] |
||
クレー |
クレータより脱出後、[[アポロドーロス|プセウド・アポロドーロス]]は、二人は子供もつれてナクソス島へと至ったと記すが、これ以降のアリアドネーの運命については諸説がある。プセウド・アポロドーロスは、ナクソス島で[[ディオニューソス]]が彼女に恋し、奪って[[リムノス島|レームノス島]]へと連れて行きそこでアリアドネーと交わり子をなしたとする。この交わりによって、[[トアース]]、[[スタピュオス]]、[[オイノピオーン]]、[[ペパレートス]]が生まれたとされる<ref name=apol />(オイノピオーン、エウアンテース、スタピュロスの三人ともいわれる<ref>フェリックス・ギラン『ギリシア神話』p.217,220。</ref>)。 |
||
しかし別の説では、アリアドネーはナクソス島に至りひどい悪阻であったため、彼女が眠っているあいだにテーセウスに置き去りにされたともされる。或いはこの後、ディオニューソスが彼女を妃としたともされる<ref name=grd30 />。 |
しかし別の説では、アリアドネーはナクソス島に至りひどい悪阻であったため、彼女が眠っているあいだにテーセウスに置き去りにされたともされる。或いはこの後、ディオニューソスが彼女を妃としたともされる<ref name=grd30 />。 |
||
27行目: | 23行目: | ||
=== 大女神としてのアリアドネー === |
=== 大女神としてのアリアドネー === |
||
アリアドネーの名は、むしろ女神の名に相応しい。5世紀の辞典編纂者[[ヘーシュキオス]]の記録に従えば、クレー |
アリアドネーの名は、むしろ女神の名に相応しい。5世紀の辞典編纂者[[ヘーシュキオス]]の記録に従えば、クレータでは、'''アリアグネー'''と彼女は呼ばれていた。この名は「いとも尊き(女・女神)」の意味で、この名の女神は[[エーゲ海]]の多くの島で知られている。またディオニューソスの妃として結婚の祝祭が行われていた。 |
||
[[アルゴス (ギリシャ)|アルゴス]]では、[[アプロディーテー|アプロディーテー・ウーラーニアー]](「天のアプロディーテー」の意、[[ウーラノス]]より生まれた女神をこの称号で呼ぶ)の社殿の傍らにアリアドネーの墓が存在していた<ref>呉茂一『ギリシア神話』p.172。</ref>。 |
[[アルゴス (ギリシャ)|アルゴス]]では、[[アプロディーテー|アプロディーテー・ウーラーニアー]](「天のアプロディーテー」の意、[[ウーラノス]]より生まれた女神をこの称号で呼ぶ)の社殿の傍らにアリアドネーの墓が存在していた<ref>呉茂一『ギリシア神話』p.172。</ref>。 |
||
<!-- |
|||
他説では、この迷宮はクレーテーの[[クノッソス|クノッソス宮殿]]であり、ミーノース王が海神[[ポセイドーン]]の怒りを買い、生まれてきたミーノータウロスを閉じ込めるために作った迷宮であるとされている。そしてアリアドネーはクレーテーを脱出したのち、テセウスにナクソス島に置き去りにされてしまうのである。 |
|||
[[ヘーシオドス]]など多くの詩人は、彼女はナクソス島で眠らされ、ディオニューソス([[バックス (ローマ神話)|バッカス]])に嫁いだと説明する。--> |
|||
==系図== |
==系図== |
||
43行目: | 35行目: | ||
** [[アルベール・ルーセル|ルーセル]]の『[[バッカスとアリアーヌ]]』(バレエ音楽) |
** [[アルベール・ルーセル|ルーセル]]の『[[バッカスとアリアーヌ]]』(バレエ音楽) |
||
** [[クラウディオ・モンテヴェルディ|モンテヴェルディ]]の『アリアンナの嘆き』(マドリガーレ集 第6巻) |
** [[クラウディオ・モンテヴェルディ|モンテヴェルディ]]の『アリアンナの嘆き』(マドリガーレ集 第6巻) |
||
* [[ローマ]]・[[カピトリーノ美術館]]所蔵の[[彫刻]]「アリアドネー」(作者不詳)は通称「アリアス」と呼ばれ、美術における[[デッサン]]に使用される石膏像に取り上げられており、多くの画学生や絵を描く人々に親しまれている。 |
* [[ローマ]]・[[カピトリーノ美術館]]所蔵の[[彫刻]]「アリアドネー」(作者不詳)は通称「アリアス」と呼ばれ、美術における[[デッサン]]に使用される石膏像に取り上げられており、多くの画学生や絵を描く人々に親しまれている。 |
||
* バッカスとアリアドネーを扱った絵画等が描かれている。 |
* バッカスとアリアドネーを扱った絵画等が描かれている。 |
||
** [[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]による『[[バッカスとアリアドネ]]』 |
** [[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]による『[[バッカスとアリアドネ]]』 |
||
<!--** 性愛芸術の『[[イ・モーディ]]』の1枚([[アゴスティーノ・カラッチ]]による複製品)--> |
|||
===ギャラリー=== |
===ギャラリー=== |
2016年11月18日 (金) 14:46時点における版
アリアドネー(古希: Ἀριάδνη, Ariadnē)は、クレータ王ミーノースと妃パーシパエーのあいだの娘である[1]。テーセウスがクレータ島の迷宮より脱出する手助けをしたことで知られる。アリアドネーという名は「とりわけて潔らかに聖い娘」を意味するので、この名からすると本来女神であったと考えられる[2]。
日本語では長母音を省略してアリアドネとも表記される。
概説
クレータ王ミーノースは、息子アンドロゲオースがアッティカで殺されたため、アテーナイを攻めた。こうしてアテーナイは、九年ごとに七人の少女と七人の少年をミーノータウロスの生贄としてクレータに差し出すことになっていた。テーセウスはこの七人の一人として、一説ではみずから志願して生贄に加わってクレータにやって来た[3]。
迷宮とアリアドネーの糸
アリアドネーはテーセウスに恋をし、彼女をアテーナイへと共に連れ帰り妻とすることを条件に援助を申し出た。テーセウスはこれに同意した。アリアドネーは工人ダイダロスの助言を受けて、迷宮(ラビュリントス)に入った後、無事に脱出するための方法として糸玉を彼にわたし、迷宮の入り口扉に糸を結び、糸玉を繰りつつ迷宮へと入って行くことを教えた。
テーセウスは迷宮の一番端にミーノータウロスを見つけ、これを殺した。糸玉からの糸を伝って彼は無事、迷宮から脱出することができた。アリアドネーは彼とともにクレータを脱出した[4]。
クレータよりの脱出後
クレータより脱出後、プセウド・アポロドーロスは、二人は子供もつれてナクソス島へと至ったと記すが、これ以降のアリアドネーの運命については諸説がある。プセウド・アポロドーロスは、ナクソス島でディオニューソスが彼女に恋し、奪ってレームノス島へと連れて行きそこでアリアドネーと交わり子をなしたとする。この交わりによって、トアース、スタピュオス、オイノピオーン、ペパレートスが生まれたとされる[4](オイノピオーン、エウアンテース、スタピュロスの三人ともいわれる[5])。
しかし別の説では、アリアドネーはナクソス島に至りひどい悪阻であったため、彼女が眠っているあいだにテーセウスに置き去りにされたともされる。或いはこの後、ディオニューソスが彼女を妃としたともされる[1]。
また、ホメーロスの『オデュッセイア』においては(巻11、324-5)、一行がディアー島に至ったとき、ディオニューソスの了承のもと、アリアドネーはアルテミスに射られて死んだとされる[6]。呉茂一はこちらが本来の神話であったろうとしている。
大女神としてのアリアドネー
アリアドネーの名は、むしろ女神の名に相応しい。5世紀の辞典編纂者ヘーシュキオスの記録に従えば、クレータでは、アリアグネーと彼女は呼ばれていた。この名は「いとも尊き(女・女神)」の意味で、この名の女神はエーゲ海の多くの島で知られている。またディオニューソスの妃として結婚の祝祭が行われていた。
アルゴスでは、アプロディーテー・ウーラーニアー(「天のアプロディーテー」の意、ウーラノスより生まれた女神をこの称号で呼ぶ)の社殿の傍らにアリアドネーの墓が存在していた[7]。
系図
芸術作品
- アリアドネーのフランス語読みはアリアーヌ、イタリア語はアリアンナで、次のような作品などが知られる。
- ルーセルの『バッカスとアリアーヌ』(バレエ音楽)
- モンテヴェルディの『アリアンナの嘆き』(マドリガーレ集 第6巻)
- ローマ・カピトリーノ美術館所蔵の彫刻「アリアドネー」(作者不詳)は通称「アリアス」と呼ばれ、美術におけるデッサンに使用される石膏像に取り上げられており、多くの画学生や絵を描く人々に親しまれている。
- バッカスとアリアドネーを扱った絵画等が描かれている。
ギャラリー
-
シャルル・ド・ラ・フォッス 『バッコスとアリアドネ』 1699年 ディジョン美術館所蔵
-
ジョヴァンニ・バッティスタ・ ピットーニ『バッカスとアリアドネ』 1720年 ワルシャワ国立美術館所蔵
-
アンゲリカ・カウフマン 『テセウスに捨てられたアリアドネ』 1774年 ヒューストン美術館所蔵
-
フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ 『アリアドネに出会うバッコス』 1856年-1863年 サンパウロ美術館所蔵
-
ハーバート・ジェームズ・ドレイパー 『アリアドネ』 1905年 個人所蔵
その他
脚注
参考文献
- アポロドーロス 『ギリシア神話』 岩波書店 改版1978年 1982年
- 高津春繁 『ギリシア・ローマ神話辞典』 岩波書店 1960年 2007年 ISBN 4-00-080013-2
- 呉茂一 『ギリシア神話』 新潮社 1969年 1986年 ISBN 4-10-307101-X C0014
- フェリックス・ギラン 『ギリシア神話』 青土社 1991年 ISBN 4-7917-5144-2