横山松三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
自画像(写真油絵)個人蔵

横山松三郎(よこやま まつさぶろう、1838年11月26日天保9年10月10日) - 1884年明治17年)10月15日)は、幕末 - 明治初期の写真家、洋画家。城郭、社寺などの写真が、重要文化財として残っている。なお、同姓同名の心理学者ゲシュタルト心理学研究に功績のあった慶應義塾大学教授・横山松三郎 (心理学者)がおり、検索に注意を要する。

生涯[編集]

択捉島に生まれた。祖父と父は高田屋嘉兵衛および金兵衛に仕え、冬期を除き、箱館から択捉島に出向いて漁場を管理し、高田屋の没落後も、それを続けていた。

1848年(嘉永元年)(10歳)、父が没し、1852年から箱館の呉服屋に丁稚奉公した。画を好み、夜分葛飾北斎の漫画を写した。2年後肺を病んで家に戻った。肺患が生涯の持病であった。1854年、ペリーの米艦隊が箱館に上陸したときに、初めて写真を知った。1855年商店を開き2年後に畳んだ。この頃、写真機の製作を試みた。

1859年(安政6年)、箱館が自由貿易港となって米・露・英人が住むようになり、彼らから洋画・写真術を学びあるいは盗み見る機会が増えた。特にロシア領事のヨシフ・ゴシケーヴィチからは昆虫の実写画を頼まれ、その代わりに写真術を学んだ。

1862年(文久2年)(24歳)、箱館奉行の香港バタヴィア行貿易船「健順丸」に乗り込み海外で写真を学ぼうとしたが、一旦は品川港で渡航中止となった。しかし、翌1864年に今度は上海へ渡航でき、約1ヶ月半滞在して欧米の洋画・写真を見聞した。帰国後、横浜下岡蓮杖に印画法を教わり、箱館に帰った。

1865年(元治2・慶応元)(27歳)、再び下岡蓮杖に写真と石版術を教わった。

1868年(明治元)(30歳)、下岡に更に石版印刷を学んだのち、江戸両国元坊に写真館を開き、すぐに上野池之端に移って「通天楼」と称した。横山はここで多くの肖像写真を撮影し、宮下欽片岡如松など後進の写真家も育てている。箱館戦争が勃発して、現地の母を見舞った。1869年(明治2年)門人たちと共に日光山に赴き、中禅寺湖華厳の滝日光東照宮など数多くの写真を撮影した。

1871年(明治4年)(33歳)、3月、蜷川式胤の依頼で、同じく写真家の内田九一と共に荒れた江戸城を撮影する。その写真の一部は洋画家・高橋由一によって彩色され、翌年蜷川により、『旧江戸城写真帖』計64枚に編集された。1872年、湯島聖堂大成殿で文部省博物局が3月 - 4月一杯催した日本初の博覧会を、撮影した[1]。5月から10月まで、町田久成、蜷川式胤らが、伊勢・名古屋・奈良・京都の、古社寺・華族正倉院の宝物を調査した『壬申検査』に、同行した[2]

1873年(明治6年)(35歳)、通天楼に洋画塾を併設し、ここで亀井至一亀井竹二郎本田忠保らを育てた。1874年、漆紙写真と光沢写真を作った。1876年、通天楼を譲渡して陸軍士官学校教官となり、フランス人教官アベル・ゲリノー(Abel Guérineau)から石版法や墨写真法などを教わり、研究した。1877年、電気版写真を完成し、当時日本で殆ど知られていなかったゴム印画やカーボン印画、サイノアタイプなど19世紀半ば欧州で発明された写真技法を、日本で先駆的に取り入れている。

1878年(明治11年)(40歳)、士官学校の軽気球から日本初の空中写真を撮った。蜷川式胤が、松三郎の写真を編『観古図絵城郭之部』を刊行し、翌年京都の洋画展に油絵を出品した。1880年(明治13年)頃、横山は長年の研究の成果から、「写真油絵」法を完成させる。これは印画紙表面の感光乳剤層を薄く剥がし、裏から油絵具で着彩するという繊細で高い技術を要するものである。横山の写真・油彩・スケッチなどに共通する特徴として、物そのものを捉えようとする写実の重視が挙げられ(この姿勢は高橋由一ら多くの洋画家・写真家に共通する)、横山は自分が発明した写真油絵技法で、自己が理想とする写実表現を求めた。反面、研究に没頭するあまり、次第に「通天楼」の仕事からは遠ざかっていったようだ。

1881年、肺病再発のため、陸軍士官学校を辞し、『写真石版社』を銀座に開いた。

1884年、(明治17年)(46歳)、市谷亀岡八幡宮社内の隠居所に没し、遺骨は函館の高龍寺に、遺髪は高輪泉岳寺に埋められた。

重要文化財に指定されている作品[編集]

江戸城関係[編集]

壬申検査関係[編集]

  • 「壬申検査関係写真」ステレオ写真386枚、四切写真109枚、四切写真ガラス原板70枚、1872年5月 - 10月撮影、東京国立博物館蔵
東寺五重塔、桂離宮(笑意軒、梅馬場、園林堂、松琴亭など)法隆寺(金堂、五重塔、夢殿など)、正倉院宝物などの写真を含む。[5]
  • 「壬申検査関係ステレオ写真ガラス原板」257枚、1872年5月 - 10月撮影、東京都江戸東京博物館蔵

参考文献[編集]

  • 千代肇、『西洋画・写真術の先覚者横山松三郎伝』、市立函館博物館研究紀要第1号(1990年)[6]
  • 「『日本の写真家1 上野彦馬と幕末の写真家たち』、岩波書店(1997) ISBN 4-0000-8341-4」巻末の、「木下直之・石井亜矢子編、写真史年表」
  • 『月刊文化財』441号、453号、477号、489号、第一法規(2000、2001、2003、2004)(新指定重要文化財の解説あり)
  • 東京都写真美術館監修 日外アソシエーツ株式会社編集、『日本の写真家 近代写真史を彩った人と伝記・作品集目録』、日外アソシエーツ(2005) ISBN 978-4-8169-1948-0
  • 『企画展140年前の江戸城を撮った男 横山松三郎』図録、江戸東京博物館、2011年

外部リンク[編集]

脚注[編集]