内田九一

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明治6年(1873年)10月、内田九一によって撮影された明治天皇肖像写真(神奈川県立歴史博物館蔵)

内田 九一(うちだ くいち、弘化元年(1844年) - 明治8年(1875年2月17日)は、幕末から明治時代初期にかけての写真家(写真師)。名は。最初に明治天皇肖像写真を撮影したことで知られる(史上初の天皇の公式写真)。

生涯[編集]

長崎万屋町の生まれ。幼少期に両親を失い、伯父の医師・吉雄圭斎に育てられる。長じて、松本良順の庇護を受けつつ、オランダ軍医・ポンペ舎密試験所で化学を学び(上野彦馬の後輩)、福岡藩士・前田玄造などから写真術を学んだ。慶応元年(1865年)、大坂石町に写真館を開業し、歌舞伎役者や芸者を撮影して評判を得、慶応4年(1868年)に横浜馬車道へ移る。

明治2年(1869年)、東京浅草大代地で写真館「九一堂万寿」(くいちどうまんじゅ)を開業、「東都随一」の写真師として名を馳せた。明治5年(1872年)、明治天皇の西国御巡幸の際、宮内省御用掛の写真師第一号として随行し、名所旧跡の写真を数多く撮影。御巡幸出発前の明治5年4月に束帯姿と小直衣金巾姿の天皇を、翌年10月には洋装礼服姿の天皇を撮影し、後者を複製したものが「御真影」として地方官庁・学校などに下賜された。

役者芸者の写真の撮影や販売も行って生活は大いに潤い、神田駿河台紅梅町に洋館兼写真館の豪邸を建てたが、明治7年(1874年)冬より肺結核を患い、翌明治8年(1875年)2月に死去。享年32。九一が撮影したネガは日下部金兵衛が引き継いだ。また、浅草の写真館は、明治14年(1881年)、当時の著名な写真師だった北庭筑波が購入し、「旧内田舎」として再開業した。

参考文献[編集]

関連新聞記事[編集]

  • 内田九一の写真集刊行へ(2011年1月19日付読売新聞・文化面)

外部リンク[編集]